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積み重なる無理 ― 正常を演じる代償

朝、珠希はいつもより少し早く起きた。


昨日の遅れが、

頭の中にまだ残っている。


“心配させた。”


その事実が、

小さな失敗のように感じられた。


だから今日は、

完璧にする。


鏡の前で深呼吸をする。

目の下の影を指でなぞり、

無理にでも表情を整える。


「おはよう。」


声は、昨日より明るい。


茜は微笑む。

悠真も、

少し安心した顔をする。


その反応を見て、

珠希は胸の奥で思う。


“これでいい。”


学校。


授業中、

先生に指される前に手を挙げる。


「ここ、分かります。」


教室の空気が、

一瞬だけ珠希に集まる。


だが、

それは敵意ではなかった。


普通の注目。


それだけで、

胸が少し締めつけられる。


“ちゃんとできた。”


それでも、

指先は微かに震えていた。


昼休み。


机に向かっていると、

隣の席の子が小さく言う。


「最近、元気だね。」


珠希は笑う。


「うん。」


その“うん”の裏で、

呼吸が浅くなる。


“元気じゃない。”


でも、

否定する理由はない。


否定すれば、

説明が必要になる。


説明すれば、

何かが崩れる。


だから、

肯定する。


放課後。


今日は音楽準備室に行かない。


“逃げない。”


そう決めて、

まっすぐ校門を出る。


だが、

帰り道の途中で

胸が急に苦しくなる。


立ち止まる。


深呼吸。


人通りは少ない。


“ここで、

 泣いても誰も知らない。”


その考えが一瞬よぎる。


だが、

涙は出ない。


代わりに、

胸の奥に重さが沈んでいく。


家。


「ただいま。」


今日は時間通り。


茜はすぐに言う。


「早いね。」


珠希は、

にこりと笑う。


「今日は、すぐ帰った。」


悠真も頷く。


「それが一番だ。」


その一言が、

珠希の胸に静かに刺さる。


“それが一番。”


じゃあ、

昨日は間違いだったのか。


自分の“限界”より、

帰宅時間のほうが大事なのか。


そんな考えが、

ほんの一瞬だけ浮かぶ。


すぐに打ち消す。


“違う。

 パパはそんな意味じゃない。”


そう思い込む。


夜。


珠希は机に向かい、

宿題を終わらせる。


ペンを持つ手が重い。


目の奥が痛い。


でも、

止まらない。


止まったら、

“崩れた”ことになる。


リビングでは、

悠真と茜が静かに話している。


「最近、安定してきたね。」


茜は、

小さく頷く。


「うん……。」


その声には、

まだ不安が残っている。


でも、

目の前の“普通”が

それを上書きしてしまう。


深夜。


珠希は布団の中で、

目を閉じたまま考える。


“今日もちゃんとできた。”


その達成感と同時に、

強い疲労が押し寄せる。


胸の奥が、

じんわりと重い。


昨日より、

確実に。


無理を重ねるたびに、

“壊れていない顔”は

上手になっていく。


だが、

その代償は、

確実に内側を削っていた。


誰も怒らなかった。

誰も責めなかった。


それでも、

珠希は今日、

また一つ

自分の本音を奥へ押し込めた。


その積み重ねが、

やがて何を生むのか。


家族はまだ、

知らない。

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