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崩れないふり ― 何も起きていない顔

朝、珠希はいつもより早く起きた。


鏡の前で、

髪を丁寧に整える。

制服の襟を直す。


表情を作る。


口角を少し上げる。

目を少し開く。


“これなら大丈夫。”


昨日よりも、

ずっと自然な笑顔だった。


朝食の席。


「おはよう。」


珠希の声は明るい。


茜は少し驚いたように顔を上げた。


「……おはよう。」


悠真も、

ほっとしたように言う。


「元気そうだな。」


珠希は、

パンをかじりながら言う。


「うん。

 最近、慣れてきた。」


その言葉に、

二人は安堵する。


“慣れた”

それは、

回復の兆しに聞こえた。


学校。


珠希は、

休み時間に自分からクラスメイトに話しかけた。


「昨日の宿題、難しかったよね。」


相手は少し戸惑いながら、

短く答える。


それでも、

珠希は笑う。


“普通。”

それが今日の目標。


教室の空気は、

昨日よりも少しだけ軽かった。


だが、

その軽さは、

薄い氷の上に立つような不安定さを持っていた。


放課後。


音楽準備室には行かなかった。


まっすぐ帰る。


“今日は、ちゃんとする。”


家に着くと、

茜が少し驚いた顔をした。


「今日は早いね。」


「うん。」


珠希は、

リビングに座る。


テレビを一緒に見る。


悠真も、

その様子を見て少し笑った。


「……大丈夫そうだな。」


その言葉に、

茜は静かに頷く。


“よかった。”


二人の胸に、

ようやく少しだけ安心が戻る。


夜。


珠希は、

自分の部屋で天井を見つめる。


笑った。

話した。

早く帰った。


全部、できた。


“これなら、

 誰も心配しない。”


その事実が、

なぜか

胸を締めつけた。


今日、

音楽準備室には行かなかった。


逃げ場を使わなかった。


それなのに、

胸の奥の重さは

消えなかった。


むしろ、

はっきりした。


“私は、

 本当は全然大丈夫じゃない。”


でも、

そのことを言わなかった。


言わないことが、

今の家族を守る方法だと思っていた。


リビングでは、

悠真が静かに言った。


「少し落ち着いてきたな。」


茜も、

小さく息を吐く。


「うん……。」


二人とも、

信じたかった。


今日の笑顔を。


今日の“普通”を。


その夜、

家族は久しぶりに

静かな安心の中で眠りについた。


だが、


本当に崩れ始めているものほど、

最後まで

“崩れていない顔”をしている。


珠希は、

布団の中で目を閉じながら、

初めて思った。


“明日も、

 ちゃんと笑えるかな。”


その問いに、

答えはなかった。

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