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優しさの裏側 ― 見ないことで守る

朝の空は、薄い雲に覆われていた。

晴れてもいないし、雨でもない。

判断を先延ばしにしたような空だった。


茜は、珠希の部屋の前で一度だけ立ち止まった。

ドアの向こうは静かで、

寝息も、物音も聞こえない。


ノックすればいい。

声をかければいい。


そう分かっていながら、

茜はそのままキッチンへ向かった。


“起こさないほうが、いい。”

その判断が、

優しさだと信じたかった。


学校。


珠希は、教室の後ろの席に座り、

窓の外を見ていた。


先生の声は聞こえている。

内容も分かっている。


ただ、

“自分がここにいる理由”だけが、

分からなかった。


休み時間、

誰も話しかけてこない。


でも、

それは完全な無視ではなかった。


視線は来る。

すぐに逸らされる。


“見てる。

 でも、見ない。”


その距離感に、

珠希は慣れ始めていた。


放課後。


音楽準備室のドアを閉めると、

世界が一段階、静かになる。


椅子に座り、

壁に背中をつける。


“今日は、誰にも会わなかった。”


それは、

失敗ではなかった。


“問題も、

 起きなかった。”


それが、

安心に変わっていく。


夕方。


悠真は、帰り道で一瞬だけ足を止めた。

コンビニの前。


“今日は、

 早く帰って話すべきか。”


そう考えて、

結局、いつも通りの時間にした。


“今は、

 刺激しないほうがいい。”


その判断が、

理性的で、

大人の選択に思えた。


夜。


三人は、

それぞれ別の場所で夕食をとった。


茜はリビングで、

悠真は書斎で、

珠希は自分の部屋で。


同じ家にいて、

同じ時間に食べているのに、

誰とも一緒ではなかった。


食後。


茜は、

珠希の部屋の前に立ち、

また、立ち止まった。


“今日も、

 何も聞かなかった。”


その事実に、

少しだけ胸が痛む。


でも、

聞いてしまったら、

自分が壊れてしまう気もした。


“私は、

 ちゃんと耐えられるだろうか。”


そう思った瞬間、

ドアノブから手を離した。


深夜。


珠希は、

ベッドの中で天井を見ていた。


“今日、

 ママは何も聞かなかった。”

“パパも、

 何も言わなかった。”


それは、

責められていない証拠だった。


でも同時に、

“知ろうとしていない”証拠でもあった。


「……私が、

 大丈夫そうだからかな。」


その問いに、

答えはなかった。


この日も、

誰も怒らなかった。

誰も声を荒げなかった。


ただ、

見ないことで成り立つ平穏が、

少しずつ、

家族の中で

“当たり前”になっていった。


それが、

いつか壊れることを、

誰もまだ、

現実として考えていなかった。

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