表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/63

見逃した違和感 ― 帰り道の変化

夕方の空が、

少しずつ色を失っていく時間帯。


珠希は、校門を出てからすぐには家へ向かわなかった。

ランドセルの肩紐を握り直し、

いつもの帰り道とは反対の方向へ歩き出す。


“今日は、少しだけ。”


理由はない。

ただ、家に近づくほど、

胸の奥が重くなる気がした。


音楽準備室に寄る日が、

増えていた。


誰にも見られず、

誰にも名前を呼ばれない。


ピアノの前に座り、

鍵盤に触れないまま、

ただ時間をやり過ごす。


気づけば、

校舎に残る生徒はほとんどいなくなっていた。


“そろそろ帰らなきゃ。”


そう思うのに、

体が動かない。


時計の針が進む音だけが、

やけに大きく聞こえた。


その日、

珠希が家に帰ったのは、

いつもより四十分ほど遅かった。


玄関の灯りは点いている。


「……ただいま。」


返事はすぐに返ってきた。


「おかえり。」


茜の声。

少しだけ安心する。


だが、

その声には

“時間を確認する色”がなかった。


「遅くなってごめん。」


茜は、

洗濯物を畳みながら言った。


「うん。

 お腹空いてるでしょ。」


それだけだった。


珠希は、

胸の奥で小さく息を吐いた。


“気づかれてない。”


その事実が、

楽で、

少しだけ寂しかった。


別の日。


悠真が先に帰宅していた。


「……今日は、早かったな。」


時計を見て、

何気なく言った言葉。


珠希は一瞬、

心臓が跳ねる。


「……うん。」


それ以上、

追及はなかった。


悠真は、

“無事に帰ってきた”という事実だけで、

安心してしまった。


日が経つにつれ、

珠希の帰宅時間は

少しずつ、

少しずつ、

後ろへずれていった。


十分。

二十分。

三十分。


その変化は、

あまりにも緩やかで、

誰の警戒心も刺激しなかった。


夜。


珠希は布団に入り、

今日の帰り道を思い返す。


街灯の下で立ち止まったこと。

遠回りをしたこと。

誰もいない公園のベンチに座ったこと。


“ここでも、

 誰にも会わなかった。”


そのことに、

ほっとしてしまった自分に、

少し驚く。


リビング。


悠真と茜は、

同じニュース番組を見ていた。


画面では、

事件の続報が流れている。


「……あの子、

 最近、元気そうに見えるけど。」


悠真がぽつりと言う。


茜は、少し考えてから答えた。


「……無理してないなら、いい。」


その言葉は、

願いでもあり、

判断放棄でもあった。


珠希は、

自分の部屋で天井を見つめる。


“誰にも気づかれずに、

 今日も一日終わった。”


それが、

成功のように感じてしまった。


でも、

その“成功”は、

誰かと繋がる道から

一歩、離れた証でもあった。


帰り道が変わったこと。

時間がずれたこと。

説明しなくなったこと。


どれも小さな違和感だった。


小さすぎて、

家族は

まだそれを

危険だとは思わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ