【踏み抜けてしまった階段④】
「寒くないか?」とナトーが僕に聞いた。
すぐ近くでテルミット反応による摂氏2千度にも上る火災が発生している状況でと誰もが思うだろうが、彼女は的確に僕のいまの体の状態を把握していた。
僕は素直に少し寒いことを伝えると、ナトーは部下の着ている上着を脱いで僕に掛けるように指示をした。
だが僕は断わった。
他人の温もりなど欲しくはなかった。
最後のときを迎えるのであれば、サラに抱かれて「さようなら」を言って死にたかった。
しかしここにサラはいない。
だからせめてサラの妹であり、死を司る神の使いであるナトーに抱かれて旅立ちたいと思った。
「もし君が構わなければ、抱いてくれないか?」と、ナトーに聞くと、彼女は「構わない」と答えて優しく包み込むように抱いてくれた。
身長差20㎝、体重で30㎏も上回る僕が、まるで母親に抱かれる子供のように居心地よく感じた。
そして僕のことを、少しでも知って欲しいと思った。
「知っていたんだ」
「知っていた?」
「俺がミヤンに似ている事。 だからザリバン高原から逃げ帰ったあと、君のスカウト担当になった」
ナトーは僕の気持ちを察したのか、余計なことは一切聞かなくて、ただ話を聞いてくれた。
「ミヤンの事も調べたし、ザリバン高原からの帰り道にミヤンの故郷ベラルーシのレオンポリにも立ち寄った。勿論ミヤンの両親をこれ以上悲しませてはいけないから会ってはいない」
「なぜ、それを付け加えた?」
「ミヤンの両親に会ったと言ったら、君に殺されるだろ?」
僕はナトーが聞き返したくなるように言って、それにナトーが乗ってくれたことがうれしくて笑顔を向けた。
「君のミヤンは、良い奴だったらしいな」
「ああ、良い奴だった」
「似ていると分かってから、意識するようになってしまう」
「なにを?」
「ミヤンの事。もしも本物のミヤンだったら、どういう風に君にコンタクトを取るのか」
「たしかに、あのシチュエーションは絶妙だったな。本物かと思ったぞ」
僕は先に死んだミヤンはカメラが趣味だったのでノートルダム大聖堂のあるシテ島に架かる橋の上から、ナトーを待ち伏せてカメラを向けるミヤンを演じた。
ナトーは、まんまと釣られて、僕の仕掛けた罠に掛かり僕はスカウトの話をした。
「実は、最初から知っていたんだ。君に何をしても無駄な事を」
「……」
「君を、どう説得した所で俺たちの仲間にはならないし。捕獲には成功したとしても、そこまでが精一杯だってこと」
「どうして? ナカナカ良かったぞ、赤外線センサーに注意を払っているところに、音を使うなんて思ってもいなかった」
「お世辞を言うなよ。それだって1回きりで、その他の企みは全部君と君の仲間に打ち破られたじゃないか……」
そこまで言ったとき、肺に溜まった血が出て咳き込んでしまった。
「大丈夫か。もうそろそろ静かにした方が……」ナトーは更に強く、そして更に優しく僕を抱いてくれた。
「なあに、もう暫くしたら、騒ごうにも騒げなくなる。だから最後に一つだけ君の質問に答えてあげるから何でも聞いてくれ」
体の感覚は既に鈍っていたし、もう視力も殆ど無かった。
だけど僕の傷口を抑えてくれているナトーの手の、微かな震えでもう僕には流す血も少なくなっていることがわかった。
死はすぐ手の届くところまで来ている。
ナトーが僕にひとつの質問をした。
「またいつの日か会えるとしたら、今度は俺を助けて平和のために尽くしてくれるか?」と。
意外だった。
どんな質問にも答えるといったのだから、もっと事件のことや、自分たちの利になりそうな質問をされると思っていたから。
やはり神は無欲だと思った。
「ああ。俺で良ければ、従士のひとりに、つけ・く・・わ・・・え……」
最後まで言葉にする息は続かなかったが、口の動きだけでも読み取って欲しいと口だけを動かして“ありがとう”と言い僕は気を失った。
体の全ての感覚を失ったあとにナトーの言った言葉が僕の脳に届けられた。
「Goodbye, he didn't say his name. Be happy in heaven(さようなら。名前を言わなかった人。天国で幸せに過ごしてください)」それは僕が聞いたナトーの最後の言葉だった。
(※心停止したあと様々機能が失われますが、聴覚だけはしばらく機能していると言われています)




