じゃんけん
遡ること数十分前の蔵書室
甘栗色のよく似た髪、そっくりな容姿、はっきりとした違いは各々の瞳の色と纏う雰囲気。そんな双子令嬢は机いっぱいに本という本を広げて頭を突き合わせる。
「川の構造的にもう少し深く掘っていくべきでは?」
「でもその工事期間中に川の水をなくすことは不可能よ。今の川は自然が作り出したもの。そこに人がよって町を形成しているのだもの」
「人工物でない…というのは案外厄介ですね」
「ええ。川の水は冷え上がるなどがないし…もう少し川の堤防を高くして高台にしていく感じしかないわね」
「ですが、高台にすると住んでいる場所が川より低くなります。そうすると…あぁ、ありました。こちらの本には増水時に被害拡大するとありますよ」
「もぉ~難しいぃよおー!!」
「お姉さま、嘆かないでください」
話している内容は到底年齢かつご令嬢に見合わない内容だが、それを指摘するものはこの場にはいない。
手元の紙にはいくつかの案を出してはペンで二重線を引いて消したり、線で別の場所に付属用語を書き連ねたりと既に白い紙は真っ黒に近しい状況だった。
リズビアは中々進まない現状に本日何度目かになる嘆きを溢しながらもその手はまた別の書籍へとのびる。パラパラとめくってはアロー達に鍛えられ、おじいさまにも必要だろうと鍛えられた速読で情報と思しき箇所がないか確認していく。
そもそも川とかガーナ公爵領にはないから不慣れなのよね。仕方ないんだけどさ。
ガーナ公爵領は平地ではあるが豊だ。もちろんの農業水路や下水設備もあるぐらいだし水不足とかもない。ただ、シャッフェクローラ領の様に大きな川はないのだ。もともと国内を通して見てもシャッフェクローラ領並みの川幅、長さ、水量が認められる川が領内にある場所は片手で足りる程度しかない。そして他の領では増水の懸念性はなく比較的安全であるらしい。
しかも川が元からあった自然に出来たもの。人工物でないとなると無理に川をせき止めたり、場所を変えたり、埋め立てたりした場合今はよくても何年、何十年後には地盤に影響を与え結果的にはシャッフェクローラ領の民に被害を与えかねない。
目先の問題に囚われ未来を見据えられない解答というのはおそらく閣下にとってみれば愚でしかないだろう。もちろんそうならないように対策も講じていればおそらく愚から凡にはなるだろうけど…。
アロー達に相談しても今回は専門的知識を有している人間はいないだろうからな~。あー、本当に難しい。よくこれをマルクス様は一人でやったものだわ。
粘り強いというかねちっこいというか…
パラパラ
…考えれば考えるほど腹立つな、マルコス・ベスタ。私は初対面の時にあれ、そして今回はこれ。いくら年上と言えまだ殿下の方が大人では?んー、あれは大人か?無駄にしつこいだけなのでは?そうよね、領地にわざわざ来るぐらいにはあの方もねちっこいというか…。
今後に度と来ていただきたくないけれども。
そうじゃなくて、どうしてあそこまで目の敵にされているのかしら?
閣下からはそんな感じで対応されたことはないしむしろ好意的に接していただいていると思うのよね。親が気に掛けるから?でもそんなに閣下に気にかけられた記憶ないし、そもそもあったのはこの間の誕生日パーティーが初めてなわけで…。え、本当にあの人意味わかんない。
パラパラ…
とあるページで手を止め、雑念を消す。
これは、水路の構造とその実験過程の話の記述。しかも水路の深さと広さで水量が変わるとあるし、…⁈
私はそこに書かれていた名前に二度見、いや三度見した。だって、そこには学者の名前と一緒にマルコス・ベスタの名前が書かれているのだ。
は?あの人学者の方と交流合ったの?勝手に知り合いいないだろうとか思ってたわ。(自分が少ないから性格の悪いマルコスも少ないとか思ってました)
噓。学者と一緒にこの論文を書いているってことは、彼は閣下にこのことを解答したはず。むしろこの解答しかしていなかった?それで不合格だった?
ということは閣下は川の設備云々だけでなく他のことも視野に入れるように求めている?
何を?
考えろ。川の構造を変えるために川幅を変えるということは川の近くに住んでいる人にとっては賛成しがたいかもしれない。でも、同じ領地内なら移動の可能性は無きにしも非ず。
では工事に伴う人手は?シャッフェクローラ領の人口から考えると周りの領地や働き手を募れば人手が不足するというのは考えにくい。
川幅を変えればそれだけ川が大きくなり増水時にもこの論文では水かさが増えるのを今よりも抑えられる。危険性も低くなる。領民に説明すれば今後のことも踏まえると聡い者ならメリットとなることが多いことはすぐにわかるはずだ。だったら何が…
「お姉さま?」
シルビアの声にハッとする。
「深刻そうなお顔をされておりますがいかがなさいました?」
いけない。考えにのめり込みすぎていて表情が全面的に出てしまっていたようだ。
「この論文を見てちょうだい」
シルビアは渡した論文に目を通し終わると話すように促す視線をよこす。この論文が一番解答としていいものである気がすること。それをマルコスも閣下に提示したであろうこと。それでなお不合格であったとするならば閣下はその先を求めているであろうこと。その3点を手早く伝えてシルの考えを仰ぐ。
「なるほど。おそらくお姉さまの考えは間違っていないと思います。筋も通っていますし、マルコス様ご自身も執筆に関わったもので有意性があればそれを提示されたことでしょう」
シルも同じ回答であることで少しだけ安堵する。
この解答の確信が生まれる。
「ただ、閣下が求められたその先―というのは難しいですね」
「うん。おそらくだけどこの解答だけだと領民に何らかの懸念が生まれるはずなの。ただ、私が思いつく限りではメリットの方が大きいはずなんだけど」
「お姉さまの思いつかれていらっしゃるメリットをお伺いしても?」
「一つ目は工事の人手。これは領内で解決できるし、近隣から募れば問題なく集まる。領地の安全と働き手には報酬が入る。どちらにも損はない」
シルビアは一つ頷く。
「二つ目、川幅の変化による小舟の量の変化。これは運送だけでなく観光業にも発展をもたらすから商人たちにとってはメリットになる」
「確かに今までの制限がいくらか解除されれば商売人は食いつくでしょうね」
シルビアの言葉に今度は私が頷く。
でも、これらの解答はきっと閣下の頭には想定範囲なのだ。これではない何かを見つけなくてはいけない。
「…民は、川が側にあっても大丈夫なのでしょうか」
「え?」
シルビアの言葉に素っ頓狂な声が出る。
だってそれは今もだから大丈夫だと勝手に思い込んでいたものだから。
「川の幅を変えるということはそれだけ住んでいた場所に川が近づくことになります。それは民にとってはなによりも不安になりえるのかもしれなくはないですか?」
川というものが生活の一部として生まれ育ったものであればその危険性も分かっているはずだろう。その危険性が今までよりもより身近な存在となれば?いくら安全でも絶対というものは自然相手には存在しない。現に隣国では急な豪雨で作物がダメになったり、今まで何ともなかった雪が想定を超えたために食料が足りず飢えに苦しむことになり国が衰退したりと馬鹿には出来ない。そんな危険性が身近になればそれはメリットを重視する側よりもデメリットを取る人間の方が多いに決まっている。誰だって住む場所は安全がいいもの。
「そうだね。誰だって住む場所が危険と隣り合わせなんてごめんだし、安心して暮らしたい。それは民が一番に臨む何よりも明確な答えね」
不甲斐ないな。こんな基本的なことが分かっているようでわかっていなかっただなんて。
それを見て学ぶために私は領地に行っていたはずなのに…。苦笑が漏れる。
自分よりもシルビアの方がそのことに気づいてたという事実が嫌に心に刺さった。
だけど今は落ち込むわけにはいかない。
「領民に安全性を提示するならこれ一つでなくやはり堤防の案も取り入れるべきなのかもしれない」
「二つのことを取り入れることは可能なのでしょうか?」
川幅の改善と堤防を両立は出来るのか。地盤の問題や時間の問題が不透明すぎる。
これ以上は専門性の知識があった方が確証になるのだが…。専門性?専門…専門家と一緒に…論文…マルコス・ベスタ…。
「いるじゃん」
すぐ、え、めちゃくちゃすぐ近くに専門性がある人間いたじゃん!!
「マルコス・ベスタに聞けばいいんだわ!!彼なら専門家とともに論文を書いたのだものこの考えが可能かどうかぐらいわかるはずよ!!」
やっと探していた答えにたどり着けそうだ。
それが嬉しくて嬉しくて目の前が明るく感じられる。今ならどんな毛嫌いしている?されている相手でも話せる気がする!
シルビアを見つめれば凛とした表情で頷き返してくれる。
となれば、行動に移すだけ。
「シルがマルコス様を呼んできてね!」
「お姉さまがマルコス様を呼んできてくださいね?」
ほぼ同時に似た内容が互いの口から零れる。
「え?」
表情が引きつるのは私だけ。シルはただ可愛らしいロゼリア姉さまによく似た有無を言わせない笑顔を貼り付けている。怖い…
「お姉さまが言い出したのですからお姉さまがお呼びに行ってください」
「⁈シルほうが絶対いいと思うな。だって、ねぇ」
後半は濁したがシルビアの表情は変わらない。
ロゼ姉さまもシルもどうしてこんな綺麗な笑顔を向けるのよ!!怖いんだよ?美人の綺麗な笑顔って真顔と同じぐらい怖いのよ?その圧が怖いんだってば!!
「シル」
「お姉さまが行くべきです」
とうとう妹は断定してきた。これはきっと行ってくれない。でも、私だってあいつに会いに行きたくはない。というか会いたくない。
誰だ、さっき今なら嫌いな奴でも話せるとか言ったやつ。無理だよ。嫌いな奴は嫌いなんだから関わりたくないに決まってるじゃない。
「ここは公正にじゃんけんで決めましょう。そうしましょう」
これは悪あがきでしかないのかもしれないけど。絶対に行きたくない。
シルが拒否ってもこれだけは譲れない。
しばし無言で互いが見つめ合えばシルビアが小さく溜息を吐き出す。
「わかりました。ただし一回きりです」
「うん!」
一回でもチャンスはあるはずだ。
そっと深呼吸して互いに見合ったままタイミングよく言葉を紡ぐ。
「「じゃんけんポイ」!」
蔵書室の扉を今しがた出て行ったリズビアの背中を思いだし、シルビアは困ったように一人残った蔵書室で笑う。
お姉さまがマルコス様の名前を出した時点でお姉さまが私に彼を呼びに行くように言うであろうことは分かっていたから何とも思わないけど、まさかじゃんけんで決めようと言われるとは思わなかった。
まぁじゃんけんになったところでお姉さまが初手になにを出すかなんて初めから分かり切っていたのだけど。
きっと本人は気づいていないんだろうな~。
お姉さまは昔私と一緒に読んだじゃんけんの本の影響で初手が必ずグーを出す。
在りし日の思い出に思いを馳せながら手元の資料をゆっくりと捲る音が室内に心地いい音として溶けていく。
シルビアは勝てない戦はしないタイプです。
リズは皆さんご存知のタイプですね!




