1章 眷属 1-4 幼少期4
「あのさ」
ある日、午後5時の鐘が鳴った後の帰り道に、リルがおもむろに話しかけてきた。
「アンネって本当に優しいよね」
「ああ…そうだな。どうしたんだ突然」
「いや、あんまりこういう風に接してもらったことなかったから、ただ嬉しくて…」
少し顔を赤らめるリル。
(…これは…まさか?)
確かに、俺たちは今まで女子と一緒に行動するということはほぼなかった。
俺は大雑把な性格で煙たがられていたし、リルは引っ込み思案だったからだ。
女子に免疫がないリルにとって、ここまで優しくしてくれたアンネに好意を抱くのも無理はない。
いや、むしろ冷静に考えれば当然のことかもしれない。顔もかわいいし、
11歳にしてはスタイルも良いように思える。
もしかすると、俺たちのような日陰者にとってこれ程の幸運は今後来ないのではないか?そう思えるほどだった。
だが困った。というのも、俺も少し正直彼女に惹かれるところもなくもない。
まさかの三角関係…?
だが―
(ま、リルならいいか)
俺はリルならばアンネにふさわしいと感じていた。この数カ月間一緒に過ごしていてわかったが、
リルほど心遣いができる奴は周りにいなかった。
リルは気弱だからこそ、弱いものの気持ちがわかるようで、いつも誰かの心配をしていた。
そして、昔は疎ましく感じていたあの感覚―
人を傷つけたくないという気持ちは、リル自身の強い意志によるものだと理解してきた。
こうして深い付き合いになってみると、それがむしろ心地よくさえ感じる。
勝手に俺の中で気持ちの整理がつくと、リルに向き合った。
「よし、そういうことなら任せろ」
「え?」
突然の俺の発言に、リルは戸惑った様子だった。
「まあまあ、気にするな。また明日な」
「う、うん…。また明日。」
得心がいっていない様子だったが、特に追求されることもなく、俺たちは別れた。
そして次の日から、俺は用事があると言って先に帰るようにし、
アンネとリルを2人きりにさせる時間を作るようにした。
毎日だと不審がられるので、週に2、3回といった程度だが。
…
1ヶ月ほどそうして作戦を続けていると、以前より二人が親密になったように見えた。
俺の作戦は成功したというわけだ。
しかしある日、遂にリルは俺に疑問を投げかけてきた。
「ねえ、その…気のせいだったらごめん。なんかジン、最近僕たちのこと、避けてたりしない…?」
「な、なんのことだ?」
妙に鋭い。アンネは全く気づいてない様子だが、リルはこういった機微に敏感なところがある。
「その、あれだ、家の手伝いが多くなって、早く帰らないといけないんだよ、最近は。」
「そうだったんだ…。ごめんね大変なのに、変なこと聞いて。」
「い、いや。気にするな。」
咄嗟についた嘘に若干良心が痛むが、仕方がない。
「んじゃ、今日も早く帰らないといけないから。じゃあな!」
「あ、ああうん。気をつけてね。」
そそくさとリルから離れ、家へと歩き出した。
しかし参った。リルの家は近所だから、万一母さんに聞かれでもしたら直ぐに嘘だとバレる。
(そろそろ別の方法考えないとな…)
家にそのまま帰るのもなんだかな…と思い、寄り道をすることにした。
この村はさほど大きくない。端から端まで歩こうと思えば2時間もかからないだろう。
しかし、その先に出ることは禁じられている。子供だから、というわけではない。
大人も含めた、この村に住むもの全てが神の許可なく村を出てはならない。
昔、疑問に思って母さんに聞いてみたことがある。
『神イナンナが、私達を森の外の化け物から守ってくれているんだよ』
と、教えられ、治癒の神術を使ったとしても太刀打ちできない、人間を丸呑みにしてしまう化け物が居るそうだ。
散々子供の頃から恐怖を刷り込まれていたため、誰一人外に出るものはいなかった。
たまに好奇心旺盛な子供が村の外の森へと出たそうだが、親子共々都市部の牢屋へと連行されたという噂を聞いたことがある。
教えを破る事自体、懲罰の対象なのだ。
一体どんな化け物が潜んでいるというのか…。
いや、そもそも化け物は何故村に入ってこない?
疑問が尽きない。
気づくと俺は、村の端にある、境界線とするための縄の前まで来ていた。
ここが俺の…いや、恐らく「俺たち」の世界の果て…
(…)
誰も見ていない。
ほんの少しだ。まだ日は高い。森に迷うほど深くまで行かなければ大丈夫だ…。
縄をゆっくりと跨ぎ、森へと入っていった。
(警報とか、罠がなくてよかった…)
跨いだ後に気づいた。
冷や汗をかきながら、けれども好奇心が抑えられず、俺は森の奥へと進む。
(至って普通の森だな…)
化け物が出るというくらいだから、何か妙な痕跡があったりしないだろうか。
しばらく進むと、小川が流れていた。
喉が渇いていたので、ためらうことなくその水を飲んだ。
当たり前だが、普通の水だ。
「ここを目印にして、今日はもう帰るか…」
思えばそこそこ深くまで来てしまった。少しづつ日が落ちてきている。戻るなら今だろう。
俺は来た道を引き返すことにした。
……
およそ10分くらい歩いただろうか。
一向に村に出る気配がない。
方角は確実に合っているはず…。
……
さらに10分。そろそろ村に到着しないとまずい。17時までに間に合うだろうか…。
…
俺はある音が聞こえた。
チョロチョロ…という川のせせらぎだ。
まさか…
「う、うそだ…」
さっきの小川に戻っていた。
一体何故…!?
絶対に間違っていないはずなのに!
いよいよ俺は焦り、森の中を走り抜けていた。
しかし…
…
チョロチョロ…
何度も何度も、小川に辿り着いてしまう。
本気でまずい。18時までに戻れなければ、懲罰対象…それどころか、村の外に出るという禁忌を犯したことも明るみになってしまうかもしれない。
――ゴーン……
いつもより小さな音で、どこからか鐘の音が聞こえた。午後5時だ。
まずい、まずい…。
森のあちこちで反響して、どこから音が鳴ったかもよくわからない。
一体どうすれば…。
俺一人が罰されるだけならまだしも、母さんを巻き込む可能性が高い。
こんなことになるなんて…。
後悔先に立たずだが、とにかく考えるしかない。
結局俺に出来ることは…村だと思う方向に向かって走るだけだ…!!
残った体力を振り絞って、全速力で駆け出した。
少しでもさっきと違う景色があれば、その方向へ走る。
それを繰り返していればきっと…!
だが、俺は少し暗がりになっていたこともあり、目の前に大きな段差があることに気づかなかった。
「うわ!!!!!!!」
自分の身長よりも高い段差…もはや崖のような場所から転がり落ちてしまった。
「うグッ…!!」
痛みにうめき声がでる。
これは…手を骨折してしまったか…。
それだけじゃない。転倒した場所は砂利が多く、全身に擦り傷が。
思いっきり右肩から突っ込んでしまったので、肩から焼けるような痛みと、
右肘が変な方向へ曲がってしまっている。
足も捻挫したか、もしかしたらヒビが入っているかもしれない。
あまりの痛さに頭は真っ白になり、立ち上がることすらできない。
しかも…目の前にあるのは…例の小川だ…
戻ってきてしまった……
何も出来ないまま地面で呻いていると、
カサ…
背後の木で音が鳴った。頑張って体を捻り、木の近くへ視線を送る。
…動物だろうか。それにしては思ったよりも大きい影…。
いや、まさか…噂の化け物…!?
急に恐ろしくなり、体が硬直する。
(勝手に村を出て、ボロボロになって、挙げ句怪物に喰われるか…。)
死の予感がした。
どの道、動けないままじゃ俺は死ぬ…。
だが、怪物に喰われるのだけは嫌だ。
何かが、ヌッと木陰から顔を覗かせた。
「ひっ…!」
しかし、相手は襲ってくる気配はなく、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
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