日常崩壊〜絶望の刻の時〜
「うーん、いい朝だ」
窓から差し込む柔らかな光に目を細め、僕は伸びをした。階下からは朝食の匂いが漂ってくる。
「おはよう、お母さん。お父さん」
「ああ、おはよう」
食卓につく父の顔は、いつになく険しかった。
「どうしたのお父さん。そんな暗い顔をして?」
父は少しの間、躊躇するように視線を彷徨わせたが、意を決したように息子を見据えた。
「……今すぐ、この森から出る準備をしてくれないか」
「えっ? どうして。この森は、父さんが一番好きな場所だったじゃん」
「今日、いつものように橋まで行ってみたんだ。そうしたら……アメリカ軍だ。何百人という兵士が車両から降りて、橋を完全に封鎖していた」
「西橋を……? あの、唯一の出口を?」
この森は周囲を巨大な湖に囲まれた、島に近い特殊な地形だ。船を使わずに外界へ繋がる道は、あの橋一本しかない。
「でも、ただ近くで何かトラブルがあっただけかもしれないよ」
「そうだといいんだが……どうしても胸騒ぎが消えんのだ。いいから、備えだけはしておいてくれ」
「わかったよ」
父さんの取り越し苦労だといいんだけど。軍人が来るような物騒なことが、この平和な場所で起こるはずがない。そう、平和なまま――。
『――ドォォォォォォンッ!!!』
凄まじい爆発音が、窓ガラスを震わせた。
「なんだ!? 何が起きた!」
慌てて外へ飛び出すと、村に一つしかないガソリンスタンドが、黒煙を上げて激しく燃え上がっていた。
「なんてことだ。これじゃあ、安定して船を動かすことなんてできやしないぞ!」
誰かが叫んだ言葉が、冷水のように住民たちの間に不安を広めていく。
「どうしてこんなことに……」
「明日からの生活はどうなるんだ」
「まさか、橋にいた軍人たちが……?」
「見に行くぞ! 何があったのか確かめるんだ!」
野次馬となって火災現場へ駆け出そうとする村民たち。僕もそれに続こうとしたが、強い力で家の中へと引き戻された。
「なにするんだよ、お父さん!」
「……逃げるぞ」
父の言葉は短かった。しかし、それは今まで聞いたどの言葉よりも重く、悲壮な覚悟に満ちていた。僕はその気圧されるような気迫に、ただ頷くことしかできなかった。
「地下通路を通って逃げることにしよう」
家族全員が賛同した。船が使えなくなる悪天候の日や、橋が壊れた時の備えとして、湖の下を通って陸まで続く地下通路を掘っていたのだ。
「でも、他の村民たちにも知らせたほうがいいんじゃない?」
「そんなことをしている暇はない。逃げるのが先だ」
「でも、」
「『でも』じゃない。逃げるんだ」
そう言って、父親は僕を殴った。
そのまま、少し気まずい空気が流れながらも、僕たちは地下通路の入り口までやってきた。
「よし、こっちは使えるみたいだな。中に軍人がいるかもしれないから、父さんだけ先に行く。無事がわかったら知らせるから、それまでここで待っていろ」
「わかった」
「無事でいてね、あなた」
「ああ」
『ギィーギィー』
不意に、妙な音が聞こえてきた。
「母さん? この音、何かわかる?」
そう聞きながら母親の方を振り向いた瞬間、すでにそこに母親はいなかった。
代わりに立っていたのは、骨と皮ばかりの、目まで裂けるような大きな口を持った人形の怪物だった。
『バーン!』
僕は反応できなかった。しかし、幸運にも怪物の拳は僕から逸れた。
だが、その代わりに衝撃で地下通路の入り口が崩れ、閉じてしまった。
僕は、次の瞬間にはそこから逃げ出していた。




