鬼哭啾啾〜再開への歩み〜
「はぁ……はぁ……っ」
あの部屋からだいぶ距離を取ったが、未だに化物が追ってくる気配はない。
「上の階の奴らみたいに、大群で嗅ぎ回るタイプの化物ではないのか……?」
だとしても、遭遇する確率が低いのは都合がいい。
「……あの部屋に、戻るべきか?」
いや、やめておこう。どうせ薄気味悪い虫や粉々になったフラスコくらいしか残っていなかった。あそこにこれ以上の重要な情報があるとは思えない。
「まずは、下へ向かうエレベーターを探すのが先決だ」
――ヴィーッ! ヴィーッ! ヴィーッ!
「なんだ……!?」
不意に鳴り響いたのは、腰に下げていた軍用トランシーバーの着信音だった。誰かが、この地下深くの周波数に割り込んで通信をかけてきている。
「味方……なのか?」
いや、軍の人間なら敵である可能性の方が遥かに高い。俺がこの施設に潜入したことを察知して、口封じに来たのか?
「……出ないわけにもいかないか」
カンラは息を潜め、通話ボタンを押し込んだ。
カチッ。
「こちら、森への潜入を実行中のカンラだ。オーバー」
『……こちらは、軍の者だ。オーバー』
「どこ所属だ。目的は何だ。オーバー」
『訳あって所属は明かせない。目的は、お前の道案内だ。オーバー』
「道案内だと? なぜ俺の現在地がわかる。オーバー」
『黙れ。お前は、俺の助けを受けるか、受けないか。それだけを選択して答えろ。オーバー』
「……少し、時間をよこせ」
『……なら、5分だけくれてやる。その時間内に掛け直してきたなら協力の意思あり。来なければ意思なしと判断する』
ガチャ。
一方的に通信が切れ、ノイズとともに再び重苦しい静寂が舞い戻る。
「何の情報もないまま、この巨大な迷宮を進むのは無謀だ。だが、素性も知れない人間を頼るのは、それと同等以上に危険すぎる」
壁に背を預け、冷え切ったトランシーバーを見つめる。
どうすればいい。この巨大な組織の暗部に一人で迫るには、あまりにも手札が少なすぎる。
こんな時、あの少年が隣にいてくれたなら――。
「落ち着け……落ち着くんだ」
荒い呼吸を整え、カンラは自分に言い聞かせた。
焦燥に呑まれれば、判断を誤る。何のために、命を賭してこの地獄の底まで降りてきたのか。すべては、あの少年を取り戻すためだ。
「信じるしかない。この巨大な迷宮を、行き当たりばったりに進むのは死を招くだけだ」
覚悟を決め、カンラは再びトランシーバーのスイッチを入れた。ノイズの向こう側に潜む「正体不明の案内人」へと、自らの運命の一部を委ねるために。
カチッ。
『……そうか。手を組む気になったか。オーバー』
「ああ。ただし、条件がある。オーバー」
『聞こう。オーバー』
「俺の命に関わる場合、お前の命令は無視する。また、お前の案内によって逆に命が危険にさらされるようなことがあれば、その瞬間に協力関係は打ち切りだ。オーバー」
一瞬の沈黙。相手はカンラの突きつけた、極めて軍人的で冷徹な条件を吟味しているようだった。
『……いいだろう。契約成立だ』
男の声はどこまでも平坦で、感情の起伏が読めない。だが、その背後から微かに、電子機器が稼働するような規則的な駆動音が聞こえた気がした。
『まずは、そのまま真っ直ぐ進め。突き当たりを右だ。オーバー』
カンラはトランシーバーを握り締め、指示に従い一歩を踏み出した。
この判断が、少年という「真実」に近づけてくれることを願いながら。暗い廊下に響く自分の足音だけが、今の彼に残された唯一の実感だった。




