日常崩壊〜森??????!ひび割れた空と〜
出発から数時間が経過した。位置からして、ちょうど森の中心部あたりだろう。
「運がいいな。ここまで、化物の一体にも遭遇していない」
あの鬼に出逢えば即死だが、湖にいた変死体どもなら銃で十分に対抗できるはずだ。
「さて……そろそろ移動するか」
カンラが腰を上げ、再び森を駆け抜けようとした、その時だった。
――バリ、ベキ、バリバリバリッ!!
空間そのものが引き裂かれるような凄まじい音。直後、森は目を開けていられないほどの、刺すような白い光に包まれた。
「な、なんだ!? まさか『コード07』がもう……!? いや、違う」
もし核が落ちたのなら、思考する間もなく俺は蒸発しているはずだ。
視界が戻り、空を見上げた俺は戦慄した。
「空に……亀裂が入っている……」
あり得ない。化物が徘徊している時点ですでに狂っていたが、世界そのものが壊れたかのような光景に、思考が追いつかない。
「なんだ……? あの亀裂から、何かが落ちてきた。人か? いや、そんなはずはない。あの鬼と同じような『人型』の……」
巨大な怪獣よりは小ぶりだが、放つ威圧感はそれ以上だ。そして、奴が落ちた方角は――南。俺がこれから向かおうとしている場所だ。
「どうする。引き返すか?」
一瞬、逃げ腰になる。だが、あれが人型なら、銃弾一発で仕留められる可能性もある。
「……近くまで行き、観察してから判断しよう」
死に物狂いで距離を詰め、数十メートルの位置まで肉薄した。
俺は一応の反撃に備え、太い大木の上に登って銃を構える。
「遠目には人に見えたが……近くで見ると、化け物そのものだな」
それは確かに人型をしていた。だが、背中からは鋭利な爪のような突起が六本、翼のように生え出している。そして何より異常なのはその髪だ。一本一本がまるで蜘蛛の足のように蠢き、周囲の空気を探っている。
虫と人間を無理やり融合させ、悪意で煮詰めたような姿。
(撃つか……?)
指がトリガーに掛かる。
もし奴が人型に近い耐久力なら、この距離からの狙撃で終わらせられる。だが、もし仕留め損なえば……ここまでの苦労も、あの少年を救うチャンスも、すべてが無駄に終わる。
(……待て、焦るな。奴の動きを、もっとよく見極めるんだ)
冷たい汗が、スコープを覗く俺の眉間に流れ落ちた。
数秒後、俺は「撃たなかったこと」が人生で最良の決断だったと、魂の底から理解させられた。
人型の怪物が背中の爪を一閃させたかと思うと、次の瞬間、周囲数十メートルの巨木がすべて粉々に粉砕されていた。
「……っ!」
息をつく暇すらない。もしあの時引き金を引いていれば、反撃を食らう前に俺という存在がこの世から消滅していただろう。
だが、安堵の時間は一秒も与えられなかった。
奴が何に感づいたのかは分からない。ただ、俺の身体が唐突に「空中に固定」されたのだ。
紐で括られているわけでも、物理的に押さえられているわけでもない。重力という概念が消え失せたかのように、俺は何もない空間に縫い付けられていた。
「クソッタレが……ッ!」
死に物狂いで暴れた。軍隊で叩き込まれた脱出術を総動員したが、見えない拘束は微動だにしない。それどころか、俺の身体は磁石に吸い寄せられるように、ゆっくりと、確実にその人型の元へと引き寄せられていった。
「――あの方のご命令だ。鬼型の化物はどこにいる」
耳ではなく、脳に直接響くような冷酷な声。
「あの方」……誰だ? 多くの疑問が脳裏をよぎったが、眼前の怪物が放つ「答えなければ死ぬ」という圧倒的な殺圧が、すべての思考をかき消した。
「ひ、東だ……ッ! 奴は東の湖へ向かった!」
「……そうか。ならば、もう用はない」
無機質な宣告。
直後、俺を捉えていた見えない力が、爆発的な勢いで俺の身体を真上へと弾き飛ばした。
視界が急激に加速し、森が、地上が、瞬く間に遠ざかっていく。
はるか上空。空気が薄れ、雲を突き抜けるほどの高度まで放り出された俺の目に、最悪の景色が飛び込んできた。
雲を切り裂き、この森へ向かって猛烈な速さで飛来する、一筋の銀色の閃光。
――『コード07』。
手続きも、五日の猶予も、すべては嘘だったのだ。あの指揮官は、今この瞬間にすべてを焼き尽くすつもりだ。
最恐の兵器と目が合った直後、俺の身体は重力の呪縛を取り戻し、死の待つ地上へと一気に落下を始めた。




