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虫森  作者: 小円説
虫森〜森の変化と、希望との出会い〜

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10/15

日常崩壊〜〜英雄舞う〜

「逃げるぞ!」

カンラさんに言われるより早く、僕はすでに東へ向かって地を蹴っていた。


死に物狂いだった。これまでの人生で一度も経験したことがない速さで森を駆け抜ける僕たちの背後を、あの鬼は音もなく、しかし確実に追いかけてくる。

「伏せろッ!」

カンラさんの鋭い怒声と同時に、頭上を凄まじい風切り音が通り過ぎた。投げられた刀が、僕の髪の毛数本を掠めて背後の大木に深々と突き刺さる。

「……っ、ありがとうございます!」

「礼はいい、走れ! 策がある!」


そのまま僕たちは、森の境界である湖まで一気に走り抜けた。

「見えました、東端の湖です!」

「どこだ……どこにいやがる!」

カンラさんが周囲を警戒したその瞬間。


――ドォォォォンッ!!


爆鳴と共に、森の巨木をおもちゃのように薙ぎ倒しながら、あの「人型の怪物」が姿を現した。

「どうするんですか、後ろからはあの鬼が……!」

「このまま突っ切るぞ!」

カンラさんは僕の手を強く掴むと、あろうことか真正面の巨大な化物に向かって走り出した。


化物は、獲物が自ら飛び込んできたことに悦ぶように口を裂き、山のような腕を振り下ろしてくる。

「くっ……!」

カンラさんは僕の身体を強引に引き寄せ、紙一重の差でその一撃を回避した。


しかし、僕たちを仕留めることに執着していた「鬼武者」は違った。頭上から降ってきた巨大な質量に気づくのが一瞬遅れ、怪物の剛腕をまともに食らったのだ。

(やった、これで……!)

一筋の希望が胸を掠めた。だが、それを嘲笑うかのように、土煙の中から現れた鬼武者は傷一つ負わず平然と立ち尽くしていた。


「くそ、あれでも倒せないか。……だが、作戦通りだ」

カンラさんの言葉の意味は、直後に理解できた。

プライドを傷つけられたのか、鬼武者の矛先が僕たちから「目の前の巨大な化物」へと切り替わったのだ。


二十五メートルもの巨躯を誇る怪物ですら、鬼武者の剣からは逃れられない。

「――断」

閃光。

次の瞬間には、怪物の巨大な右腕が根本から切り落とされ、地面に激突していた。


だが、これで終わるほどこの森の化物は甘くなかった。

勝利を確信し、油断した鬼武者の背後で、切り落とされたはずの怪物の腕が瞬時に「再生」を始める。

膨れ上がった肉塊が、背を見せた鬼武者へ向かって、強烈な不意打ちを叩き込んだ。


「くそ、化物どもめ。どちらかだけでも共倒れになってくれればよかったんだが……」

カンラさんの苦々しい言葉に呼応するように、巨躯の怪物が鬼武者を猛追する。その凄まじい連撃に、ついに鬼武者が手にしていた刀が弾き飛ばされ、森の深淵へと消えていった。


「……さすがのあの鬼も、刀がなけりゃ何もできまい」

カンラさんの言葉に、僕は一瞬だけ安堵した。だが直後、僕たちの理解を超えた怪現象が起きる。


鬼武者が自らの手首にある「ドクロの刻印」に指先で触れた。その瞬間、空気が凍りつき、彼の掌の中には先ほどと同じ禍々しい日本刀が、無から吸い出されるように握られていたのだ。


「グァ……?」

怪物が、なぜだと言わんばかりに首を傾げた。それが、この化物の最期の瞬間となった。

反撃はないと高を括っていた怪物の首を、再生成された一閃が容易く断ち切る。


そして鬼武者は、次はお前たちの番だと言わんばかりに、ゆっくりと僕たちの方へ剣を向けた。

その時、僕たちは初めて思い知ったのだ。化物同士が殺し合っている隙に逃げ出さなかった時点で、僕たちの命運はすでに尽きていたのだということに。


「……ア、アァ……。最後の命だ。あの女ごと、斬り伏せてくれる」


鬼武者の不吉な宣告に死を覚悟した、その時。僕たちが東の森へと逃げてきたことが、皮肉にも僕たちを救うことになる。

鬼武者の背後から、森を埋め尽くすほどの「小さな化物たち」が津波のように溢れ出してきたのだ。


いや、少し違う。それは少年のような顔をしていた。

だが、人間じゃない。骨と皮だけの身体。そして何より、あの顔は――。


「ダ、ダルク兄さん……っ!?」


森の奥に住んでいた、あの一家のお兄さんだ。いつも一緒に森を回って、僕に色んなことを教えてくれたのに。

なぜ、あんな姿に。しかも、何百体も、同じ顔の化物が……。

「……なんなんだよ、この森は……っ!」


世界が変わってしまった。この島には、もう僕たち二人しか残っていないのか?

もし、あの優しかったダルク兄さんがあんな姿に成り果ててしまったのなら……あのでかい化物は、本当に、本当に僕の母さんだったのか。


「おい、どうした! しっかりしろ!」

「……カンラさん、もういいんです。母さんも、友達も、みんな死んで……。僕も、みんなと一緒にこの地で……」


「黙れッ!」

絶望に膝をつきかけた僕を、カンラさんの怒声が引き戻した。

「希望を捨てるな。お前には、これまで積み上げてきた確かな思い出があるはずだ。それを思い出せ。自分が持っているものを、決して手放すんじゃない!」


カンラさんは僕の肩を強く掴み、真っ直ぐに僕の目を見た。

「絶望の中で、自分が自分であり続けるための方法はただ一つ。自分の過去を、意志を、絶対に離さないことだ。掴み続けろ、いいな!」


「か、カンラさん……」

「さあ、行くぞ。まだ終わっちゃいない」

「……はい!」

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