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もう決めたんだ。俺は永遠に動き続ける。誰になんと言われようと、俺のすることをする。やるべきことでなかったとしても後悔はない。物語を作りたいのだ。生きているだけで構わないと言われたかった。だがそれだけで満足できるほど単純な人間でもなかった。
こんなことなら障害者である方がとか思いたかったが、それは失礼だ。希望を持ったり絶望の中にいたとしても、俺より苦しみの大きいのは彼らなのだ。そんな彼らの方が俺よりも報われるのだとしたら、俺は自分の目を抉った方が良いかもしれないが、リストカットより難易度が高い。そしてリストカットすらできない。
生きている証明をするべきではない。死ねることを宣言するべきでもない。ただ今日の必要が満たされたこと、それを受け取れたことに感謝すればいいのだ。そうすれば前進できるかもしれない。腐しているだけではどうにもならない。冷たい人間だからとか言っている場合じゃない。本当のことは重いのだ。
俺も奴隷が欲しかったよ。アニメを見て思った。そんな如何わしいものではない。ただ自分のことを無償で信じてくれる者が欲しかったのだ。それは何より難しい。実際神はその独り子をお与えになったとある。本当なのか? それが俺の信じている神なのか? まあ素直さは健全さの第一歩なのだ。
いい加減にしてほしいと誰か思っていないだろうか? 俺は永遠に続ける。その覚悟を持っている。たとえ誰に認められなくても、俺は俺の命を全うするつもりだった。どこに俺の精神性の本質があるのか、ニヒリズムだというのか。それは人に言われたことがある程度で、そんなに虚無じゃない。
早く死んだらいいのになんて誰かに思われながらも、残念!生きます!と笑った。ダセエってか。まあいいや、俺は俺の道を行く。俺の道って大概何なんだ。同じ話を延々と続けることか? 人を救うことか? いや救いに導くことはできても、救うのは大いなる存在でしかないのだ、取り違えてはいけない。
ただ心に望むままのことを続けている。誰かの衝撃になりたくて、大海原に漕ぎ出した。だが誰にも出会えない。そう、これは比喩なのだ。俺の精神的な監獄がどこまでも続いていくということを証明したいのだ。それを続けていれば何が変わるかもしれないし、何も変わらなかったところで痛手ではない。
全ては神様の御心のままに、ですか、宗教は嫌いなんだ。関係を持ちたいんだ。女性と、か? いや男性とも、か? そうやって完全な存在になれるのならいいのだが、役割を超えて違反してはいけないのだと戒める。俺が本気を出せばなんでもできるはずだったが、心が赴くままに生きるだけさ。
学校の図書館に向かった。そこで本を手に取った。「アルジャーノンに花束を」なるほど、知的障害を持った男が薬か何かの力で知性を得て、天才になるが、その能力が失われていく。俺もこうなりたいものだ。この精神的な監獄から一度でも抜け出てみたいものだった。
歩き出した時、何かが視線に入った。雲の切れ間だったかもしれない。そんな情景描写などいらないはずだ。でも必要のないことの中にも感動を見出して、そこから新たなる正統な物語を継承してくれる人がいるはずだと信じたかった。今日という一日にできることが何かを考えていたのだが、正直何もなかった。
家に帰りそれほど美味しくもない料理を食べていた。まあ美味しいと言えば美味しい。だが俺は誰が作る料理もそれほど心満たされなかった。食べない方がむしろ幸せなはずだったが、食べてしまう弱さもあった。強さだと信じたいが、そうやって無駄に命を引き延ばして、年老いた頃には人生全体に絶望している。
いや俺に絶望などないぞ、確かに川谷には振られたのかもしれないが、女はいくらでもいる。俺のことを好きだという人も何十億人もいたら一人くらいいるだろ。出会えていないだけだ。永遠にそうかもしれない。俺は何十億人全てを相手にできるのだから、俺の方が上手だった。
<俺と結婚しても誰も幸せにはなれないかもしれない。だが俺は最も不幸な人を選んだとしても幸せだから>
SNSに投稿。反応はなかった。まあそんなものか。俺の言葉に力などない。それは良いことでもある。力には代償が伴うのだ。何も犠牲にすることなく良いものを得ることはできない。だが本当に良いものは無償であるという逆説がある可能性にも賭けたかった。俺は俺が提供するものは無償だ。
それは価値がないということを認めているに過ぎないのかもしれないが、俺の物語は全ての人に届いてほしい。そのためには何の障壁もない方が良い。俺が受けるものは俺を受けてくれたということに他ならない。まるで神様気取りだなって自分に言いつつ、善悪の判断はしないつもりだった。
これから俺がどう生きて、どのように死んでいくのかを見届けてほしかった。俺はただ辛いだけの生活を送っているわけではない。時には楽しみもあるのだが、苦しみに覆い隠されて盲目になってしまうことがあるのだ。自己認識が間違っていれば、信じる対象にも影響を及ぼすのだと感じた。




