1章10話 歓楽街ダチュラ(昼)
ああ、見るもの全てが新鮮だ。そうだ、世界はこんなにも、イヤなことが溢れていたんだ。
傷だらけの体で大地に横たわったまま空を見上げたヴァイオレットは、こちらを殴るだけ殴って満足したらしい男の背に声をかける。
「……どこ行くのよ、ムカつくのよあんた。そんな良い身なりの癖に、こんなところでわたしの事見下して」
ギリアに負けて、手に入れた属性を失い、『嫉妬』一つで宝具もろくに使えない状態になったヴァイオレットは、貧民街の一角に逃げ込み身を潜めていた。そんな時、たまたま近くの貴族の男に目を付けられたヴァイオレットは、いいように殴られ蹴られ、このありさまである。
わざわざ自分よりも貧しい人間の元に来て、見下して楽しむ男。何と小さい男であろうか、ヴァイオレットは笑う。
「なんだとォ? おいガキ、俺はもっと大人の女が好きなんだよ、ぶつかってきたのはテメエなんだからよ、頭地面に擦り付けながら泣いて謝っとけよそこは」
しかし力量差は明確だ。今やただの小娘に過ぎない。いや、属性の能力すらないのだから、ヒエラルキーで言えば最下層の人間だ。子供にも負けるだろう。
腹部に強い衝撃を受け、ヴァイオレットは大きく転がった。蹴られたのだ。それでもヴァイオレットは男を睨み、地面に転がっていた拳大の石を握る。
「小さい男ね、嫉妬もしないくらい小さいわ」
「んだと! つけあがってんじゃねえぞ!」
そのまま男はヴァイオレットの首に両手を伸ばす。歯茎が見え、あぶくが出来ている。気持ち悪いわね、と呟くヴァイオレットは、伸びてきた手と交差させるように素早く指を出す。
「ギャッ!」
そのままヴァイオレットの指は男の目に当たる。力いっぱい押し込まれた指を無理やり跳ね除け、目を押さえた男に向かって、ヴァイオレットは勢いよく立ち上がり、高く意思を握った拳を振り上げる。
「テメェ!!」
右手を伸ばし何かしようとしてくる男に対し、それよりも早くヴァイオレットは渾身の力を込めて、
「無駄よ!!」
振り下ろした。
未だ血を流している己の体を見下ろしながらヴァイオレットは歩き出す。こんなぼろぼろなのは久しぶりだ。地に這う自分を客観的に見て、実に哀れだと思う。しかしそれがヴァイオレットには心地よかった。
「この感覚よ……」
『幸運』を手に入れてから久しく感じなかった、底辺を生きる感覚。上を見上げ、駆け上がり、蹴落としていくだけの人生。なんと充実している事か。
「待ってなさいよギリア。あんたは必ず、わたしが蹴落としてあげるんだから」
彼女の事を常に考えて、悩まされて、まるで恋する乙女みたい、とヴァイオレットは笑う。
――――ここからだ。戦う力も無い、ここからのスタートで、いずれ全ての上に立つのだ。今見上げている全てを地の底に叩き落とす。それだけの為にわたしは生きているのだから。
前世の夢を見たのは周りが妙に賑やかになったからだろうか、とギリアは寝惚け眼で考えた。妹と、友人とその幼馴染みと一緒にいる夢だ。今のメンバーがこの3人の様に心許せるような存在かと聞かれれば否と答えるが、それなりに楽しんではいるのだろう。
「もうそろそろ着くようですね」
街道の砂利に揺れる馬車の隅でエーデルワイスが言う。馬車の小窓からは街が見え始める。頷いたギリアは周りの寝ている仲間も起こす。寄り掛かって座りながら眠るベロニカに、場違いなほど静かに熟睡しているロベリア、何か唸っているベルギアをそれぞれ起こすと、馬車は1度大きく揺れた。
「着いたみたいだな」
馬車がゆっくりと速度を落とし始める。少しして、停止した馬車の乗車口が開き、人が下りはじめる。前の方の、馬を操る席から紐を引くだけで開く仕組みになっていたらしい。
馬車から降り周りを見る。イワニガーナ王国最大の歓楽街ダチュラ。石造りの建物の並ぶ広い通りは多くの人で溢れ返っている。
「人が多いんですね」
馬車からベロニカに手を引かれ下りたロベリアが言う。エーデルワイスも珍しいものを見るように辺りを見回している。
「これだけ人が多いと危ないも何もないんじゃないかなあ」
エーデルワイスは馬車の中での話を思い出して言う。
「昼間だからな。それに見ろよ、あんなのがいるんだぜ?」
ギリアの指さした先には、黒い服を着た美青年が何か叫びながら辺りを見回しているのが見える。エーデルワイスは何を叫んでいるのか聞こうと耳に意識を集中させてみた。
「麗しの君―! 麗しの君―!! いったいどこにいるというのですか!!」
「……何ですかねあれ」
「さあ、大方娼婦の1人にでも惚れ込んだのかしら? 勿体ないわねえ、いい男なのにぃ」
「にしたって、麗しの君は無いだろ」
「鳥肌が立ったぞ」
ベロニカが腕をさする。
「ああいうのに引っかからない様にな、しつこそうだし」
「他にも路地裏とか注意が必要かもしれないわねぇ」
頷く3人に、さてどうするか、とギリアが口を開く。
「明日の昼間まで次の馬車は来ないみたいだけど、どう暇を潰す?」
「うわ、ほんとに音漏れてるんだ」
「聞けよ」
建物を見つめながら感心するように言うエーデルワイスの言葉にギリアがつっこむ。
「ごめんなさい気になって、えっと僕はギリアさんについて行こうと思いますけど。1人だと迷っちゃいそうだし」
「そうねえ、私はどうしようかしら。……挨拶もしておきたいのよねえ。私も一緒に行くわ」
「私は少々この街を見てみようと思います」
「そうかい、了解。じゃあまずは宿決めて、そっから別行動だな。……一応聞いておくけど、騎士様はロベリアと行動で良いんだよな?」
「当然だ」
適当な宿を取り、そこを集合場所と決め分かれる。反対方向へ向かう2人と離れ、ギリア達三人は街の中央部へと向かう。
「これから向かうのはどこなんですか?」
エーデルワイスの疑問にギリアが答える。
「この街のリーダーに会いに」
「私も、挨拶させてもらいに行くよう」
石橋を渡り中央部に入る。客引きを行う男などの姿は見えなくなり、今度は屋台が見え始める。道行く人々はギリアの存在に気が付くと次々に話しかけてくる。
「お久しぶりですギリア様!」
「お元気そうで何よりです!」
「まあまあ、お元気そうね、ダリア様も会いたがっておりましたよ」
「相変わらず良い体ですね!」
「うちの店で働いておくれよう!」
後半の2人に死ねと叫んだギリアにエーデルワイスが意外そうに言う。
「人気なんですねギリアさんって」
「ここが歓楽街だからよう」
ベルギアは言い寄ってくる男たちに軽く手を振りながら話す。
「大罪人『色欲』なんですもの。ここじゃヒーローよねえ」
「ここで特に何かしたわけじゃないんだけどな」
居づらそうに苦笑し、しかし悪い気はしないとギリアは言う。
「ほら、着いたぜ」
話し込んでいてすっかり気付かなかったが、いつの間にかエーデルワイスたちは大きな建物の前に来ていた。
「うわあ……」
門を見上げながら溜息をつくエーデルワイス。そんな3人に気が付いたのか、門の横に立っていた一人の女性が近づいてくる。髪を括った活発そうな女性の姿に、この屋敷の侍女だろうかとエーデルワイスは見た。
女性はギリアの前に立つと、ニィッと笑った。
「こんにちわぁダリア様」
「よう、ダリアさん」
ギリアとベルギアにダリアと呼ばれた女性は、1度頷いた後で首を振ると、
「ダリアで良いって言ってるでしょう?」
とギリアの頭をガシガシと撫でまわした。
「この、この! なんか一層イヤらしい顔つきになりやがって! っと、そっちのお嬢さんは?」
「へ?」
突然話を振られ驚いたエーデルワイスは2人に助けを求める視線を送る。それに反応してくれたのはベルギアの方だった。彼女はダリアと呼ばれた女性をエーデルワイスに紹介する。
「こちらがさっき話したこの街の代表。ダリア様よ」
「オレに常識を教えてくれた人だ」
「……その一言でおおよそどういう方か理解できました」
一瞬遠い目をしたエーデルワイスは、しかしすぐに気を取り直し頭を下げる。
「ええと、ギリアさんたちと一緒に旅をさせて頂いてます。エーデルワイスと申します」
「ほいほい、エーデルワイスちゃんね、覚えたよ。うんうん、君は女性向のお店の方が人気が出そうだねえ」
「いい加減離せって!」
はっはっはと笑いながらギリアを離したダリアは、門を開けさせながら戸惑うエーデルワイスに微笑む。
「まあ気張りなさんな、気楽にしなさい気楽に」
「安心しとけよエディ、そんな気張るほど偉い相手じゃないぞ」
「はっは、何言うか小娘」
戯れる2人を見てエーデルワイスが聞く。
「ええと、御二人は姉妹か何かで?」
名前も似ているし、とエーデルワイスの疑問に両者同時に首を横に振り否定した。
「違う違う。全然ジャンルが違うじゃないの」
「ほう、オレとあんた、それぞれどういうジャンルなんだよ」
「淫乱処女と優しいお姉さま」
「殴るぞ」
「殴ってから言わないでよ」
頭を抱えながらじと目でギリアを見るダリアに、ギリアが言う。
「教えてくれて悪いけど、闘技場のあれ違ったわ。色欲のじゃなかった」
「あら、そうだったの。そりゃ残念ね」
まるで残念そうではない様子でダリアは笑った。
「この街にはいつまでいるの?」
「明日まで」
「あら、そんなに長居はしないのね。まあ良いわ。とりあえず入りなさいな。キクリも喜ぶでしょうよ」
「なんだ、まだマツバもここに居たのか」
「相変わらず良く働いてくれてるね」
何故か自嘲するような表情をしたダリアは、そのまま屋敷の中へと消えていった。それを追う様にギリアとベルギアは足を踏み出す。エーデルワイスも遅れないようにと追いかけた。
「それで、今は何してるとこなんだい?」
来客用の部屋の椅子に深く腰掛けたダリアは、足を組みながら尋ねる。
「ジアっていうムカつく男を殴りに」
「……ああ、なるほど、ここ最近そういうやつが多いんだわ。『世界の中心』を目指す旅人達が。良い客になってくれてるよ」
とダリアは笑う。しかし、
「しかしあんたも災難さね。時期が悪いというかなんというか」
「なんだぁ?」
「たぶんあんたたちのルートであろう馬車だけど、今出れないのよ。なんでも、街道にデカい城が現れたとか何とかで」
「そうなんですかぁ?」
ベルギアが穏やかに驚愕の声を上げる。ええと頷いたダリアはそのまま話を続ける。
「だから『世界の中心』を目指すんだったら、別のルートを取らないといけないのよ」
「遠回りになるのか?」
「少しだけね。ナスタチアって街なんだけど、知ってる?」
いいや、と否定する二人に対し、エーデルワイスだけが肯定の声を上げる。
「僕の育った街です」
「そうなのか? どういう街なんだ?」
そうですね、と少し悩んだ後、
「闘技場があります」
「また闘技場かー」
「と言っても、大会が行われているわけじゃないんですけどね」
昔は行われていたんですけど、とエーデルワイスは1度話を区切った。もしも相手がこの話に興味を示さなかったならここで話を止めますよ、という意思表示だ。しかしギリアは気にせず続きを尋ねる。
「なんでなんだ?」
「えっと、そうですね。昔はトーナメント方式の大会だったんですが、50年前のチャンピオンが強すぎまして」
「それで?」
「未だに現役なんです」
エーデルワイスは、自分の両目で見た、闘技場に立つ大男の勇姿思い出す。闘技場で無敗の男。彼が勝ち続けたための特別処置として、彼が負けるまで誰もが直接彼に挑む事が出来るというもの。
ギリアは感心した様に頷いた。ダリアはそんなギリアを見て笑う。
「1回ぐらい挑戦してみようかなとか思ってるでしょ」
「なっ、いや、でも、まあ別に急ぐ旅じゃねえし……でもあの二人が急ぐかも……あー」
「でも私も1回見てみたい気がするわぁ。良い男かしらぁ」
「そればっかだな」
当たり前じゃない、とベルギアが笑う。
「良い男と言えば、キクリちゃんにも会いたいわねえ、あっちは可愛い男だけど」
ベルギアが部屋の入り口の扉を見つめながら言う。ダリアは頷き、言う。
「会ってきなさいな。ナスタチア行きの馬車は明日の夕刻頃さ」
「おう、ありがとさん」
「なんの、可愛い妹分の事だからね。それじゃ、また話そうや」
侍女を呼びつけ、案内をさせようとしているダリアを見、エーデルワイスはギリア達に聞いた。
「えっと、これからキクリって人に会いに行くで良いですよね?」
「そうなるな。悪いがちょっと付き合ってくれや」
「どういう人なんですか?」
可愛い男の子よぉと体をくねらせながらベルギアは言う。あまりに体がくねくねしすぎているので、エーデルワイスは一瞬何か新種の生命体かと思った。
「マツバ・キクリ……と、この言い方は東の方の言い方になっちまうのか。キクリ・マツバ。大罪人『怠惰』の称号を与えられている少年だ」
ギリアの言葉にエーデルワイスは驚いた。『色欲』『嫉妬』『傲慢』と、闘技場の観戦で立て続けに見たのに、今度は『怠惰』である。世界に7人しかいないはずの大罪人と呼ばれる、世界に認められた人間をこうも立て続けに見ることになるとは、と妙な因果を感じずにはいられなかった。
――――『憤怒』も、あるいは近いうちに相対することになるのだろうか、そしたら僕は、勝てるのだろうか、両親の仇に。
エーデルワイスは誰にも気付かれないように奥歯を噛みしめた。




