【第18話】脱出(後編)
「お待たせしました」
帝国兵六人を始末したエレネアはすぐに牢屋に引き返した。戸口にいたオルディアス団長の縄を剣で切ると、彼には短剣を手渡す。
「団長殿も皆を解放するのを手伝ってください」
「あぁ、了解した」
「それから躓いたふりをして隙を作ってくださったこと、感謝します。タイミングと言いさり気なさと言い見事でした」
「何、君に賭けてみただけだ。結果は期待通り、いや、期待以上だったと言うべきか」
ふっと微笑むオルディアスに、エレネアは小さく控えめに頭を下げた。二人は手分けして他の面々の縄を切っていく。兵士達はオルディアスに任せて、エレネアはセリーヌの方へと向かった。手早く彼女の縄を切る。
「感謝いたしますわ。それにしてもあなた、本当にただの傭兵ですの?」
解放された彼女は肩を回しながら尋ねてきた。が、エレネアはあえて彼女の意図を外して答える。
「傭兵の仕事が無い時には冒険者もやってたわよ」
「そういうことを聞いているのではありませんわ。まぁ言いたくないのでしたら別によろしいですけれど……」
深くは追及しないでいてくれる彼女に感謝しつつ、次にルネの元へと向かったのだったが。
「ひっ!」
彼女はびくりと体を震わせて後ずさる。その視線の先にあるもの――敵兵の返り血に染まった剣――を見て、エレネアはその理由を理解した。が、まさか縛られたままの彼女を放置するわけにも行くまい。
「すぐ終わります。我慢してください、先輩」
そう声を掛けてから、剣を彼女の縄にあてがったのだが、
「や、やだっ!」
ルネは怯えるばかりだった。怯える彼女の瞳には、血塗られた剣を手にした自分が映っている。焦茶色のショートヘアが特徴の少女の姿が、記憶の中にある栗毛のツーサイドアップの少女と重なって見える。
「ねぇ、どうしてわたしを殺したりなんかしたの?」
目の前の少女がそう囁いた、ような気がした。
「わ、私は……」
エレネアは我を失う。まるで先刻の悪夢の続きの中にいるような心地だった。
「はいはい! エレネア、あなたは兵達の方を頼みますわ! ルネのことは私にお任せなさい!」
そんな彼女を現実にまで引き戻したのはセリーヌだった。ぐいっと彼女をルネから引き離し、少しばかり乱暴に兵達の方へと向けて背中を押してくれた。
「お急ぎなさい! 敵が来ますわよ!」
「え、えぇ……」
セリーヌに促されるまま、エレネアは兵士達の縄を切っていく。横目でちらりと様子を伺うと、セリーヌはルネを抱き締めて落ち着かせたうえで腕の縄を切ってやっていた。抱き締められたルネは落ち着いたような、少し赤面したような複雑な表情だ。
(はぁ……私にもあの程度の気遣いができればねぇ……)
少しばかり自分が情けなくなるエレネアだったが、同時にこの役はセリーヌにしかできない役回りだとも彼女には思えた。
牢屋のある建物から脱出すると、時刻は既に夜を迎えていた。太陽は沈み、東の空には満月が登っている。一体どれだけの時間眠らされていたのだろうか。
「さて、全員無事に出られたようですね」
逸る気持ちを抑えつつ、エレネアは振り返って全員の安否を確認した。この駐屯地に足を踏み入れた時から欠員は無い。ただ一人、彼女を除いては。
「騎士団長殿、後はお任せします」
「君は?」
「ティアヴェラを――王女様を助けに行って参ります」
エレネアは背後に聳える、駐屯地でも一際高い建物――司令部と推測される――を親指で指し示してそう告げた。
「待て。俺も行こう」
「私も同行いたしますわ!」
オルディアスとセリーヌが同行を申し出る。が、彼らの申し出にエレネアはすぐには首を縦には振らなかった。
「いえ。お二人は彼らと一緒に行ってください。ルネ先輩や御者の方を守る者、それに兵達の指揮を執る者が必要です」
理由を説明したエレネアだが、今度は彼らの方が首を縦に振らなかった。
「だが君一人では危険だ!」
「せめて私達のうちどちらかだけでも!」
「では……」
少しの思案の後、彼女は顔を上げた。
「団長殿は皆の護衛をお願いします。セリーヌは私と共に!」
「うむ、了解した!」
力強く頷くオルディアス。隣ではセリーヌが自身に満ちた微笑みを見せていた。
「任されましたわ!」
そんな彼女にエレネアも微笑を返した。
「えぇ、頼りにしてるわよ!」
作戦後の合流地点等について取り決めてから、一行はそれぞれの行動を開始する。別れ際、オルディアス団長がエレネアを呼び止めた。
「そうだ、念の為に人選の理由も聞いておこうか」
「そうですね……」
無論、エレネアとて何となくや好みで選んだ訳ではない。きちんとした理由がある。
「皆を守り、兵達の指揮を執るのは団長殿の方が向いていそうでしたから。それに大勢の敵を相手に暴れ回るのはセリーヌの方が得意そうでしょうし」
「ふふ、妥当な判断だな」
その回答に騎士団長は納得してくれたが、セリーヌの方はそうではなかった。
「ちょっと! お二人とも人を狂戦士みたいに言わないでくださいます!?」
「でも合ってるでしょ?」
「それは、まぁ……その通りですけれど……」
彼女にしては珍しく、最後の方は小声でしどろもどろになるセリーヌであった。
「ともあれ作戦開始と行きましょう!」
エレネアのその言葉を合図に、三人は雑談を打ち切った。その表情は真剣そのもの。まさに戦に臨む戦士の顔であった。
◇
他の面々と別れ、セリーヌはエレネアと二人、敵司令部を目指して突き進んでいた。彼女の手には敵兵から奪った長剣が一振りのみ。粗悪品でないとは言え、普段使っている大剣に比べるとどうにも頼りなく思えてしまう。
走りながら、彼女は先程からずっと心に引っかかっていたことを尋ねてみる。
「そういえば先程から気になっていたのですが……『ミーシャ』ってどなたですの?」
「っ!」
瞬間、周囲の空気が刺すような冷たさと焼け付くような熱を孕んだような心地がした。
「あなた! どこでその名を!?」
エレネアのあまりの剣幕――と言うよりはほとんど殺意にも近い――に気圧され、セリーヌは言葉を濁さざるを得ない。
「い、いえ……先程うなされている時、寝言でその方の名前を何度も呟いておられまして……」
「……他には何も言って無かった?」
「は、はい。特には……」
「そう。だったら良いのだけれど……」
それを最後にエレネアから感じられた殺意は霧散した。まるで何事も無かったかのようだ。だがセリーヌははっきりと覚えている。「ミーシャ」という名を口にした瞬間の、彼女の異様な反応を。
実のところ、セリーヌは嘘を吐いていた。エレネアが寝言で「ミーシャ」という人物の名を何度も呼ぶのは聞いたのは事実だ。だが一度だけ、本当に小声だったが彼女がこう言ったのを聞き逃さなかった。「私だって、あなたを殺したくなんてなかったのに……」と。
一体ミーシャとは何者で、エレネアはなぜその人物を殺さざるを得なかったのか。彼女の過去には何があったのか。推測しようにも、セリーヌには情報が何もかも不足していた。
「そうだ。言い忘れてたのだけれど」
考えていることを見透かされたのかと思って一瞬身構えてしまった。が、すぐに無用な心配だったと分かる。エレネアの口から出てきたのは意外にも感謝の言葉だった。
「先程はありがとう。助かったわ」
「? 何のことですの?」
「ルネ先輩のことよ。先輩が私を見て怯えてることに気付いて、引き剥がしてくれたんでしょう?」
礼を言われるようなことをした覚えが無く首を傾げるセリーヌだったが、エレネアに言われて彼女の感謝の理由を知る。
「あぁ、あんなことでしたら別に感謝されるようなことでもありませんわ」
ルネが怯えていたのはもちろんのこと、エレネアの側も只ならぬ様子だったからなのだが、あえて言及することでもないので触れないでおく。
「ただ……」
「ただ?」
「淑女にはもう少し優しく接してあげた方がよろしいですわよ」
「……そうね、善処するわ」
意外な程に素直な反応を見せるエレネア。彼女には似合わぬそんな姿が、おかしいような可愛いような不思議な印象だった。
程なくして彼女達は敵第一陣との遭遇戦を迎えた。十五人からなる一隊だ。
「さて、まずは武器の調達からね」
不敵にそう呟いたエレネアが先行して敵中へと突入する。正面からの斬撃を受け流し、反撃に敵兵の喉元を串刺し。左右両側から同時に襲いかかる刺突を最小限の動きで回避し、脇腹から敵の心臓を一突き。なおも彼女は止まらない。間近で見ているセリーヌからも、速く美しく、それでいて隙も容赦も無い戦いぶりに思えた。
「セリーヌ! あなたにはこっちの方が向いてるでしょ?」
彼女がそう言ってこちらに投げて寄越したのは、敵から奪った大剣だった。それを空中でキャッチしたセリーヌだったが、
「ちょっ! 手! 手が付いたままですわよ!!」
反射的にそう叫んでしまった。受け取った大剣の柄には、かつての持ち主の手首から上が付いたままだったのだ。
「淑女には優しくしなさいと言った傍からあなたは!」
まだ生温かいその手を柄から引き剥がし、剣を持ち直す。軽く二、三度振って具合を確かめながら、セリーヌはまたしても叫んだ。
「しかもこれツヴァイハンダーではありませんこと!? 私のツーハンデッドソードとは違いますわよ!」
「大剣なんてどれも同じでしょ?」
「全っ然違いますわよ! 形状も、使用感も!!」
慣れない武器に命を預けるなど、戦士としては許容しがたいことだ。エレネアは気に留めていないようだが、これは奪った武器でも難なく使いこなせる彼女の方が例外と言うべきだろう。
「注文の多い人ね……」
「あなたにだけは言われたくありませんわ!」
敵陣の只中にあっても平静を崩さない戦友。その姿には苛立ちと共に安心感をも感じさせられる。彼女に負けじと、セリーヌも大剣を構えて隣に並んだ。
「私っ!」
踏み込みと共に大剣を横一文字に振るう。先行する敵兵四人の胴体がまとめて斬り飛ばされた。
「このタイプの剣にはっ!」
返す刀で更に三人を両断。
「慣れておりませんのよっ!!」
仕上げとばかりに隊長格の大柄な男に大上段からの真っ向斬りを繰り出す。敵は剣と盾による二重の防御を試みたが、それも無意味だった。セリーヌの振り下ろした大剣により剣も盾も、兜と頭蓋さえも砕かれ、彼は一瞬のうちに絶命した。大剣を振るい、血糊と脳漿を払うセリーヌ。
「お見事。上出来じゃない」
そこへエレネアが感心したように声をかけてきた。彼女の方も残りの敵を始末し終えたところのようだ。
「当然ですわ! 基礎訓練がしっかりできていればある程度なら応用が利きますもの!」
かくして敵部隊を殲滅した二人は改めて敵司令部を目指す。東の空に登る満月が二人の若い戦士達の姿を照らしていた。




