【第18話】脱出(前編)
戦いの中にあって己が考えるべきことは至って単純だ。いかに生き延び、いかに敵を倒すか。
他のことを考える必要性は無いし、また、そうする余裕もない。それゆえに私は無意識に戦いを求めてしまうのかもしれない。
脱出の算段。エレネアのその台詞を聞いて、その場の誰もが驚愕する。
「脱出? この状況からか?」
「何か良い案がありますの?」
その場にいる全員の意思を代弁するように、オルディアス団長とセリーヌが尋ねた。しかしエレネアは彼らの問いにはすぐには答えない。
「その質問に答える前にまず確認しておきたいことがあります」
「何ですの?」
「私の前髪のヘアピン、取られていませんか?」
エレネアの問いに二人の騎士達は怪訝な顔をする。彼らだけではない、ルネや兵士達も同様の反応であった。
「ヘアピン……? いきなり君は何を言い出すのだ?」
「そう言えば眠らされる前まで付けていたヘアピン、無くなっておりますわね」
その言葉を聞いたエレネアは小さく溜息を吐く。
「はぁ……念の為に髪飾りに小さな刃物を忍ばせていたのですが、流石にそう甘くはありませんね」
次に彼女は縛られた体勢のまま器用に手を動かして、履いている編み上げブーツも確認する。
「予備をブーツに仕込んで――あぁ、こちらも取られているようですね」
ブーツの履き口の横にも同様の刃物を隠していたのだが、そちらも没収されてしまっていた。が、ここまでは彼女にとっては想定の範囲内だ。
「実はもう一つの予備をホワイトブリムにも……」
「それも取られてますわよ」
「えっ」
セリーヌの容赦の無い指摘に、エレネアは言葉を詰まらせた。その反応を見て、誰かが落胆の声を漏らす。わずかに見えた希望が消え、再び重い空気が辺りに立ち込めたのだが、
「……というのは冗談で本命はこちらです。ルネ先輩、ちょっと失礼しますね」
エレネアはルネに断ってから、彼女の頭のホワイトブリムを拝借した。その端から極小サイズの刃物を取り出す。刀身の揺らめく刃文と淡い光が、それがミスリル製であることを物語っていた。敵を出し抜くことに成功した彼女だが、周囲の反応は称賛一色とは言い難い。
「まさかの三段仕込みかよ!」
「用意が良すぎて逆に怖いぜ……」
兵士達の反応は感心が半分に困惑が半分と言ったところか。中でもとりわけ激しく困惑していたのはメイドのルネだった。
「えっ? えっ!? なんであたしのに!? いつの間に!?」
気付かないうちに自分の頭の髪飾りに刃物が隠されていたとなれば驚くのも無理の無いことだ。エレネアは素直に謝罪する。
「済みません、先輩。私のは取り上げられる恐れがありましたのですり替えさせていただきました」
「だから一体いつ!? そんなタイミング無かったよね!?」
ますます困惑した様子のルネ。事態が事態とは言え、断りなく彼女を利用したとあっては説明する義務と義理がある。エレネアは正直に白状した。
「ついさっきですよ。睡眠ガスが部屋に充満しきった、その十分ほど後です」
「へっ?」
その返答にルネは首を傾げる。彼女の意思を代弁するように二人の騎士達が尋ねてくる。
「妙だな。君は確か一番最初に眠ったはずでは?」
「そもそもどうして睡眠ガスが充満した中で動けましたの?」
「あぁ、別に何かしたわけではなく、単に息を止めてただけです。もう少し詳しく言いますと――」
この場に敵の目が無いことは分かっている為、エレネアは種明かしをする。
先程の睡眠ガスが部屋に充満していくその時、エレネアは眠ったふりをして呼吸を止め、機会を窺っていたのだ。もし敵が油断して五分、あるいは十分程度でガスを抜いてくれたら儲けものだ。その場で敵を殲滅し、仲間を叩き起こして脱出する。
あいにくながら敵もそれ程には間抜けではなかった。十分が経過しても扉が開く気配が無かった為、第二の策――刃物を仕込んだホワイトブリムをルネのそれとすり替えておく作戦に出たという訳である。充満していたガスが、鏡越しにこちらを観察していたであろう敵の目から姿を隠してくれたのは幸いだった。
エレネアが説明を終えても一同は納得しかねる様子だった。
「あなた十分以上も息を止めていましたの?」
「しかもその状態で戦う気だったのかね?」
セリーヌとオルディアスが揃って目を丸くしていたが、エレネアは特に意に介さず縄を切る作業を進める。
「熟練の漁師ならニ十分以上潜水していられると聞きますし、別に不思議なことではないでしょう? っと、これで良し」
話しているうちに作業が終わる。バサリと縄が落ち、彼女は体の自由を取り戻した。
「お待たせしました。すぐに皆さんも解放しますから――いや、待って!」
彼女は言いかけた言葉を途中で切ると、急いでホワイトブリムをルネの頭に戻した。それから切ったばかりの縄を手に取り、横になる。
「? 何やってんの?」
「どうかしましたの?」
「しっ。静かに」
ルネとセリーヌの問いに人差し指を口元に当てて短く答えると、彼女は元通りの縛られた姿勢になった。唯一の違いはその縄が本当は切断済であることだけだ。
彼女の行動を不審に思った一同だが、程なくしてその理由を知ることになる。複数人の足音が牢獄の床に響いてくるのが聞こえたのだった。
現れたのは帝国兵が計六人。剣と短剣を腰に下げた、いずれも軽装の一般兵達だった。
「全員、不審な点はありません!」
兵士の一人が牢の中を確認し、隊長らしき男に報告した。
「騎士達はどうだ? あのメイドは?」
「騎士二名についても異常はありません。例のメイドは……まだ眠ったままのようですね」
「うむ、分かった」
部下の報告に隊長は頷いて返す。
報告を終えた兵士は再び牢の中に目を向けた。青髪のメイドは最初に見た時と同じ位置、同じ姿勢で横たわったままだった。
「しかし長い眠りですなぁ」
彼の独り言のような呟きに、隊長が顎に手を当て、考えながら答えた。
「睡眠ガスが効きやすい体質なのだろうか。あるいは余程神経が図太いのか……」
「心臓に毛でも生えてやがるんでしょうかね?」
「ははっ。かもしれねぇな」
他の兵士達が軽口を叩く。そんな彼らに気を引き締めるよう厳命してから、隊長は作戦に取り掛かった。
「騎士団長オルディアス。貴公には総督閣下より召集がかかっておる。我らと共に司令部までご同行願いたい」
隊長が告げると兵士の一人が慎重に牢屋の鍵を開ける。扉を開けると彼はその脇で待機していた。少し離れた位置で隊長を囲むように二人。更に離れた位置で二人の兵士が待機している。少しでも妙な真似を見せればすぐに彼らがその腰の剣を抜くことだろう。
「……承知した」
しばしの沈黙の後、オルディアスが立ち上がった。足を縛られた彼は小さな歩幅で牢の外へと向かう。
「足の縄を少し緩めてはくれぬか? 貴官らに余計な手間と時間をかけてしまうかもしれぬ」
「閣下の命によりそれはできぬ」
隊長は彼の要望をバッサリと却下した。やがて彼が牢の入口に差し掛かった。脇で待機していた兵士が牢の扉を閉めようとする。何事も無く事が終わりを迎え、兵士達の気がわずかに緩んだその時、
「おっと」
オルディアスが地面に躓き態勢を崩す。その場の全員が彼に気を取られたまさにその一瞬、エレネアは動いた。
跳ね上がるように飛び起きた彼女は牢の入口に突進。その勢いのままに脇にいた兵士の背後に回ると、彼の首に腕をかけ一思いにへし折った。彼女はあらぬ方向に首の曲がった兵士の腰から大小二本の得物を抜き取ると、短剣を二人目の兵士に投擲。眉間に短剣を受けた彼は一瞬のうちに絶命する。
「だ、脱走だあぁぁぁ!!」
叫んだ三人目の兵士に長剣を斜めに一閃。初撃はかろうじて防いだ彼だったが、続く第二撃には反応する隙さえ与えられずに肩口から上を斬り飛ばされていた。
「総員撤退! 直ちに援軍を呼べ!」
隊長の指示の下、彼と生き残った二人の兵士達が逃げ出した。
(見事な撤退の判断ね。だけど……)
みすみす援軍を呼びに行かせることを許すエレネアではない。彼女は死んだ兵士達の腰から奪った短剣を両手に持ち、掌の中でくるりと半回転。それらを同時に前を行く兵士達に向けて投擲した。二本の短剣は寸分の狂いも無く彼らの後頭部に突き刺さった。
残るは隊長一人。再び長剣に持ち替えたエレネアはエプロンドレスとロングスカートの裾を翻し、最後の一人に追撃を仕掛ける。
「くそっ! やらせるかよ!」
もはや逃げられないと悟ったのだろう。隊長はエレネアに向き直り、彼女に向けて全身全霊の刺突を放った。決して遅くは無いその一撃は、しかしエレネアによって容易く打ち払われてしまう。
次の攻撃の為か、それとも防御の為か。素早く剣を引き戻そうとした彼だったが、それは叶わなかった。それより早くエレネアの突きが眉間・喉元・左右両胸に直撃していた。隊長は何をされたのかも理解できないままに絶命していた。




