【第17話】追憶の彼方
夢とは言えそれは確かにかつて起きた出来事だ。夢は無情なるままに私にその事実を突き付ける。
私がこの「夢」から解放される日など生涯訪れることは無いだろう。
「あれ? ここは……?」
四方を覆う石壁と四角く切り取られた青空。エレネアが気付いた時、彼女の視界に映ったのはそんな風景だった。体を起こしてみると、そこが何かの施設の中庭だということに気付く。
「何してたんだっけ……?」
寝ぼけているのかまだ頭がぼんやりとしている。誰かに会いに行かなくてはいけないような気がしたが、それが誰なのか。なぜ会いに行かなければならないのか判然としない。
それからエレネアにはもう一つ気付いたことがある。木々も建物も扉も、周囲の物体が何もかも全て大きく見える。建物は四階建てだったが、階数以上に高くそびえ立っているように感じられた。
正確に言えば彼女の方が小さくなっていた。それで彼女はこの光景が意味するところを悟る。
(そっか、これは子供の頃の……)
それは彼女の幼き日々の記憶。その光景を夢で見ている。そんなところだろう。だが会いに行くべき人物がいることだけは真実に思える。
エレネアは改めて周囲を見回す。四方を囲う石壁の四面それぞれに扉が設けられていた。まずは手近な扉に入ろうとしてドアノブに手をかける。中に入るとそこは極めて無機質な廊下だった。目を惹くものと言えば天井に張り巡らされた金属製のパイプくらいのものだ。
(どっちに行こう? それとも中庭に戻ろうかしら?)
彼女が次に行くべき道について考えていると、
「エル、どうしたの?」
不意にすぐ後ろから声がかけられた。振り返るとそこに幼い少女の姿があった。年齢は六歳ほどで、栗毛をツーサイドアップにした可愛らしい姿の少女だ。背丈はエレネアとそう変わらない。すなわち今のエレネアもそのくらいの年齢ということになる。
「また迷子になっちゃった?」
少女はその紫の瞳で、心配するようにエレネアを見つめている。
「ミーシャ……?」
彼女の口からは自然と少女の名が零れる。
「あなた、ミーシャなの?」
「そうだよ! ん? どうかしたの? おかしな夢でも見たの?」
怪訝な表情で少女――ミーシャはエレネアを見つめる。旧友との再会に心が安らぐ感覚を覚えつつも、エレネアは必死にその感情を否定した。
彼女がここにいるはずがない。そう、これはただの夢。過去の投影に過ぎない、と。
(でも……今だけは良いよね)
だがそのあどけない顔を見ていると、もう少しだけこの夢に浸っていたい。そう願いたくなってしまった。
「うん、まぁそんなところかな。ごめん、まだちょっと寝ぼけてるみたい」
小さく頷いて答えたエレネアに、ミーシャは明るく笑って返す。
「あはは、エルってばいつもそうだもんね。おっとりしててぼんやりしててさ」
「そ、そんなに……?」
「うん! でもわたしは君のそんなところが好きだよ、エル!」
彼女の満面の笑みはそれが本心であることを物語っていた。夢の中、過去の再現とは分かっていても、その笑顔には惹かれるものがあった。
ミーシャは地面に腰を下ろすと、自分の隣の地面をぽんぽんと叩く。彼女に勧められるまま、エレネアはそこに腰を下ろした。そこへミーシャが興味津々と言った様子で顔を近付けてくる。
「ねぇねぇ、どんな夢見てたの!? 楽しい夢? それとも怖い夢?」
「どっちも……だったかな?」
よく覚えてないけどね、とエレネアは最後にそう付け加えた。
「ふぅん……変なの」
首を傾げ、怪訝そうな表情のミーシャ。エレネアは彼女に、ただ一つ覚えていることを伝えた。
「でも誰かに会いに行かないといけなかったような……それだけは私、覚えてるの」
「そっか、じゃあ今から会いに行こっ!」
彼女はそう言うや否や、エレネアの手を取って勢いよく立ち上がった。その勢いのままに元気良く駆け出していく。
「今から!? と言うか誰に会えば良いかも分からないのに!?」
「大丈夫! 途中で思い出すよっ!」
エレネアの制止の声も振り切って、少女――ミーシャは彼女の手を握ったまま駆け出す。中庭から建物の中へ入り、エントランスを抜け、緑の広がる草原を駆け出す。遠くに見える緑の丘。更にその遥か彼方に見える万年雪を湛えた白い山々。現実の彼女には見慣れたそれらが、この夢の中では不思議な程に美しく感じられた。
少々肌寒くはあるが爽やかさを感じさせる風が頬を撫でる。風を感じつつ、景色に見惚れながら草原を駆けていると、不意に先を行くミーシャが足を止めた。エレネアもつられて足を止める。
「ミーシャ?」
不安になって尋ねるが、彼女は俯いたまま何も答えない。
「ミーシャ? どうしたの?」
再び尋ねると、俯いた姿勢のままにようやく彼女は口を開いた。
「エル、ごめんね。もう一緒に行けないみたい」
「えっ?」
「だってわたし……」
そこで彼女は一旦言葉を切る。エレネアはごくりと息を呑んだ。この後に起きることが分かっているからだ。
「だってわたし、あなたに殺されたんだもん」
その言葉と同時に少女、ミーシャの首が地面に転がり落ちた。彼女の顔も身体も美しい栗毛も、全てが赤く染まっている。地面に広がる血溜まりの中、光を失った紫色の瞳が幼き日のエレネアの姿を映し出す。その姿もまた返り血で赤く染まっていた。
ふと手の中に硬く冷たい感触がする。エレネアが恐る恐る視線を下ろすと、そこには血に塗れたナイフが握られていた。
「ねぇ、どうしてわたしを殺したりなんかしたの?」
今度の彼女の声は耳元で囁くように聞こえた。
「ち、違うっ! 私はミーシャ、あなたを!!」
彼女の叫びはミーシャにも、他の誰にも届くことなく虚空に消えた。
「何と酷いことを……」
「主任! これが人のやることなのですか!?」
若い男女の叫ぶ声が聞こえた。その声は近くで発せられているようでありながら、彼女には酷く遠く聞こえた。
◇
「エレネア! エレネアってば!」
「エレネア! 目を覚ましなさい!」
不意に目を覚ましたエレネアの前に、不安そうにこちらを見つめる二人の少女達の顔があった。
「セリーヌ? ルネ先輩……?」
金髪に翠眼の女騎士と、焦茶のショートヘアに灰色の瞳を持つメイド。どちらもよく見知った顔だったことにエレネアは安堵する。それと同時に彼女の五感に確かな現実の感覚――地に足の着いた実感――が蘇る。
「大丈夫、エレネア?」
「酷くうなされていましたわよ。一体どんな夢をご覧になってましたの?」
彼女達はエレネアを心配してくれていたようだ。先程の「夢」についてどう答えたものかとしばし迷った末、彼女は口を開いた。
「少し……昔の嫌な思い出をね。過ぎたことだし心配は要らないわ」
平静を装って答えたつもりだったが、表情に出てしまったのだろうか。彼女達はなおも心配そうにこちらを見つめていた。
「ホント? なんかつらそうだけど……」
「前にも言いましたけれど、悩みがあるなら私を頼りなさい。一人で抱え込むのは良くありませんわよ?」
「えぇ、二人ともありがとう。もう平気だから」
エレネアは二人の友人達の優しさに感謝する。ゆえにこそ、彼女は夢の内容を打ち明ける気にはなれなかった。もし打ち明ければこの友人達も離れていってしまうかもしれない。それが彼女には怖かったのだ。
気まずい雰囲気を振り払う為、エレネアは強引に話を切り替えた。
「そうだ、今の状況は? 拘束されてることは確かだけど……」
彼女は自分の状況を確認しながら尋ねた。両手両足ともに縄で縛られており満足に身動きは取れない。体を起こすのがやっと。脱出などもっての外であった。
「あぁ、それについては俺から話そう」
そこでそれまで静観していた騎士団長オルディアスが口を開く。
彼が目覚めた時、他の面々はまだ全員夢の中であった。一人ずつ起こしていき、つい今しがた、最後の一人が目を覚ましたところなのだという。ちなみに彼の語るところによると酷くうなされていたのはエレネア一人で、他は皆幸せそうな寝顔だったのだとか。
場所は不明だが恐らくはエデンシア駐屯地内の牢屋の中。武器は隠し持っていた短剣等も含めて全て没収され、脱出できる見込みは無し。
「本当であれば今すぐ王女殿下をお助けするか、王都に戻って事態を伝えねばならんのだがな。だがこの状況では……」
騎士団長は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。建国六百年を超える西方諸国の盟主アンダルシア。その歴史が自分が騎士団長を務める代で終焉を迎えるとなれば、彼の悔恨の情がどれ程のものか。根無し草の傭兵に過ぎないエレネアには想像してみるより他には無いが、理解はできる気がした。
再び重い雰囲気がその場を支配する。エレネアは努めて明るい口調で、今度こそ話を切り替えようと試みる。
「それよりルネ先輩? 夢見草で良い夢が見られるなんてやっぱり嘘だったじゃないですか!」
「あ、あたし嘘なんて言ってないもん!」
ムキになって反論するルネ。彼女の可愛らしい仕草は、この重苦しい空気の中では清涼剤のように感じられた。
「大体うなされてたのなんてエレネア一人じゃない! だったら原因があるのは自分の方でしょ!」
「むっ、確かにその可能性もありますね」
彼女の指摘は珍しく的を射ていた。一理あるわね、と頷くエレネア。そこへ更にセリーヌも同調する。
「効果に個人差があるのかもしれませんわ。ほら、店で売ってる薬にもその手の但し書きが書いてありますわよね? 『効果には個人差があります』と」
「なるほど。つまり私はとびきりの貧乏くじを引いたというわけですか」
エレネアは大袈裟に溜息を吐いた。そこにルネが追い打ちを仕掛けてくる。
「日頃の行いが悪いからじゃないの~?」
「……かもしれませんね」
ふふっと小さく笑うエレネア。それと同時に、少しだがその場の空気が和んだ気がした。
適度に緊張が和らいだ頃合いでエレネアは行動を開始する。まず彼女は周囲を念入りに観察した。先刻の控え室にあったハーフミラーのような仕掛けも、覗き穴の類も見つからない。こちらを監視する者の気配も感じられない。
それから一番の懸念であった、メイド服の内ポケット――その中にある魔石の指輪を確認する。縛られている為に直接は触れられないが、そこには確かに指輪の感触があった。魔石の放つ「熱」のようなものも感じられる。
良かった、とエレネアは安堵した。ティアヴェラが贈ってくれたこの指輪だけは何があろうとも失いたくはなかった。
確認を終えたエレネアは一同を見渡してから、静かに口を開いた。
「さて、それではそろそろ脱出の算段をつけるとしましょうか」




