【第13話】旅立ちと違和感
肉親との別れは悲劇だが、別れを惜しんでくれる肉親がいることは幸運なのだろう。私にもそんな肉親がいたであろうことを願う。
エレネアとの密会から五日後、王女ティアヴェラの出立の日がやってきた。この五日間、王女の出立に備えて城に仕える人々は多忙の極みとも言うべき日々を送っていた。それはエレネア達メイドとて例外ではない。だがエレネアにとってはむしろ好都合だった。手を動かしていれば余計なことを考える必要が無くなる為だ。
そして今日、遂にその日が訪れた。アンダルシア王城の城門前で、大勢の人間が馬車に乗り込むティアヴェラを見送りに訪れていた。誰もが大なり小なり王女との別れを惜しんでいる。
「うおおおおぉ、不甲斐ないこの父をどうか許してくれぇぇぇぇぇ!」
「あなた! ぐすっ。臣下が見ている前よ! ひぐっ」
中でも彼女の両親である国王夫妻は衆人環視の中にもかかわらず号泣している。が、それも無理からぬことだ。長男が幼少期に病死して以降、彼らにとってはティアヴェラが唯一の子供だったのだから。
「もう、お父様もお母様も泣かないでってば! 別に今生の別れってわけじゃないんだから!」
涙する両親を優しく窘めるティアヴェラ。傍目にはどちらが大人か分かったものではない。だがエレネアには、彼女のその振る舞いが両親を悲しませまいと無理に気丈に振る舞っているように見えた。
親と子の別れの時。それを見てエレネアは一人考える。
(私の両親も、私との別れを惜しんでくれたのかしらね。それとも……)
いけない、感傷に浸っている場合ではないわね、とエレネアは思考を切り替えた。人々の見守る中、ティアヴェラ王女が馬車に乗り込む。その後に続いてルネが、最後にエレネアが乗り込み扉を閉めた。二人はティアヴェラ直々に最後の世話役として抜擢されたのであった。
大役も大役だ。最も職歴の浅いメイド二人に任せるような役割だとは思えない。
「どうして私とルネ先輩なの?」
気になったエレネアは仕事の合間に時間を見繕って理由を聞いてみたのだが、
「んー? 私と離れ離れになるのを一番寂しがりそうだったから、一番最後まで一緒にいてあげようかなってね」
彼女はそう言って意味深に微笑むばかりであった。
エレネアが記憶を辿っている間に出発準備が整い、馬の嘶きと共に馬車が動き出した。窓から外の様子を窺うと城の人々が涙ぐんで手を振る姿が見えた。馬車の前後に目を向けると、馬に跨る護衛の騎士達の姿も見える。
やがて馬車は王都の市街地を抜け、城門を抜け、北へと進路を取る。振り返ると王都の城壁と、そこに翻る王国の紋章――図式化されたスターチスの花――が描かれた旗が見えた。しかしやがてそれらも見えなくなる。
◇
王都を出発してからの最初の二日、帝国軍駐屯地への旅は順調そのものだった。しいて特筆すべきことと言えば、道中のサン・リエジュにて大聖堂に立ち寄ったことくらいのものだ。ティアヴェラが最後に思い出の場所で女神に祈りを捧げていきたいと願った為だった。
「女神エルナ様。私と私の大切な人達と王国のみんなの未来をお守りください」
先の戦争で受けた損傷は残るもののある程度は修復が進んだ大聖堂。その最奥に座す女神エルナの神像の前で、彼女は祈りの言葉を捧げ、胸の前で五芒星の印を切る。
「女神様、お姫様を守ってあげてください」
彼女の隣ではルネも同じようにしていた。王女の護衛として同行している騎士、オルディアスとセリーヌも同様であった。
エレネアは信心深い方でもなければ無神論者でもない。率直に言えばただ興味や関心が無いだけなのだが、この時ばかりは不思議と人智を超越した何かに祈りたい気分であった。他の面々に倣って胸の前で五芒星の印を切り、王女の無事を願う。
祈りを済ませた一行は再び馬車に戻り、旅を再開する。道中、ティアヴェラがふと切り出した。
「あ、そうそう。エレネアもルネちゃんもだけど、さっきの五芒星の印、逆だよ?」
「ふえっ!? 嘘!?」
驚きのあまり、妙な声を出すルネ。声にこそ出さないが、エレネアも同じ心境だった。
「変ね……五芒星の印を切ってる人、皆左から右だったと思うんだけど……」
彼女は顎に手を当てて考え込む。戦場も日常も問わず、各々の神に祈る人はこれまで何度も見てきたが、皆左から右に切っていた。ただ先程のティアヴェラや騎士の面々を思い返してみると、確かに逆だった。
「うん普通はそうだけどね。神前の場合は神様から見て正しい向きになるようにするんだよ~」
「な、なるほど。その観点は抜けていたわね……」
次の機会があるとしたら気を付けようとエレネアは心に誓った。その機会がいつになるかは別としてだが。
それと同時に彼女には一つの不安が過る。
「ん? でも私、女神様の前で間違った祈り方したってことよね? 神罰が下ったりしないかしら……?」
「あ、そういうの気にするタイプなんだ……」
心配するエレネアに、ティアヴェラは意外そうな顔をした。だがすぐに笑顔になると、ウインクしてサムズアップしてみせた。
「大丈夫大丈夫! エルナ様は人間の守護神なんだからそれくらいで怒ったりしないってば!」
「そういうものかしらね」
根拠は無いが、自信たっぷりなティアヴェラを見ているとそんな気がしてきた。隣では同じく間違った祈り方をしてしまったルネが胸を撫で下ろしていた。
◇
三日目もそれまでと変わり映えのしない退屈な旅が続く。誰もがそう考えていた。
それが起きたのは二度目の小休止を挟んだ直後の昼過ぎのこと。突然馬車が停止したのだった。
「あれ? どうしたんだろ?」
「休憩……にしては間隔が短いわね」
エレネアは懐中時計を取り出して時間を確認する。前回の休憩からは十分余りしか経過していなかった。
「ねーねー、御者さん。何かあったの~?」
この三日ですっかり御者と仲良くなっていたルネが尋ねると、彼は溜息交じりに答えた。
「あぁ、何でもこの先の橋で事故なんだと。まったくついてないですぜ……」
「事故、ねぇ……」
違和感を覚えたエレネアは御者の頭越しに道の先に目を向ける。少し先には大河に架かる橋があり、その中ほどで一台の荷馬車が立往生しているのが見えた。
橋が塞がっているのは事実のようだが、違和感はますます強くなる。ここはアンダルシア最後の防衛の要となるサン・リエジュより更に北。言うなれば最前線とも言うべき場所だ。そんなところを呑気に荷馬車が通るものだろうか、と。
「ティアヴェラ、ちょっと様子を見てくるわ。絶対に窓から顔を出さないようにね。ルネ先輩、彼女をお願いします」
エレネアは二人にそう言い付けると馬車の外に出る。扉を開けるのは最低限。王女に対する射線が通らないよう、細心の注意を払いながら。
馬車の外に出たエレネアはもう少しだけ状況を観察する為、橋のたもとまで進み出た。荷馬車の傍で王国の兵士と、行商人らしき男達が何事かを話し合っているのが見える。
「こんなところに突っ立って何しておりますの?」
ちょうどそこへプレートアーマーを纏った騎士が通りかかる。騎士がバイザーを上げると見知った顔が現れた。金髪に翠眼の女騎士、セリーヌだ。
「セリーヌ様でしたか。事故と聞きましたが何があったのですか?」
「どうしたもこうしたもありませんわ。あれをご覧なさい」
エレネアの問いに彼女は道の先、橋の中ほどを指して言った。
「荷馬車ですよね」
「えぇ、行商人達の荷馬車が壊れて立往生しておりますの。それで私達に動かすのを手伝ってほしいのだとか」
詳細な事情を聞いて、エレネアの感じていた違和感がますます大きくなる。
「まったく騎士を何だと思っておりますのやら! でも私の力を借りたいと言うなら協力するのもやぶさかではありませんことよ?」
言葉とは裏腹にセリーヌの口調は上機嫌だ。なるほど、これが彼女が世話焼きと言われる所以かとエレネアは納得した。そのまま彼女は立往生する荷馬車の方へと歩いて行こうとしたのだが。
「待ってください! セリーヌ様!」
エレネアは慌てて彼女の腕を掴んで引き留めた。
「どうかしましたの? まだ何かありますの?」
不機嫌そうな顔を見せる彼女に、エレネアは先程から感じていた違和感の理由を説明する。
「妙だとは思いませんか? こんな最前線に行商人の荷馬車だなんて」
「……確かに何となく不自然ですわね」
不機嫌な表情から一転。セリーヌも怪訝そうな表情になる。二人で頭を捻って考えていると、
「俺もそう思っておったところだ」
そこへ第三の人物が現れる。騎士団長オルディアスだった。彼もまたプレートアーマーに身を包んだ戦闘用の装いだ。
「団長も同じお考えですの?」
「うむ」
部下の問いに、騎士団長は頷いて返す。それから彼はエレネアに向き直ると尋ねた。
「エレネア、君はどういった点を不自然だと考えた? 聞かせてくれ」
「私から、ですか?」
「あぁ、君の口から聞かせてほしい」
なぜあえて単なるメイドの自分に聞くのだろうか。疑問に思うエレネアだが、埒が明かないので言われた通りに説明することにした。
「まずこの一帯は休戦中とは言え最前線です。そんな場所を行商人があえて通ることがまず不自然でしょう。戦闘に巻き込まれるのはもちろん、間者か工作員の疑いをかけられてはたまらないでしょうからね。それに仮に何らかの荷物を運ぶ必要があるとしても第三国を経由するでしょう」
「うむ、完璧だ。模範解答と言っても良いだろう」
エレネアの説明を聞いた騎士団長は満足そうに頷き、補足する。
「そしてこの辺りで第三国と言えば中立国、ウェストリア公国だな。セリーヌ、君はあの国の出身だったな。それなら覚えがあるだろう?」
「確かに開戦前から行商人がよく通っておりましたわね。お陰で国としても儲かっておりましたわ。出入国管理の方々は大変そうでしたけれど……」
故郷の景色を、平和だった時代を懐かしむようにセリーヌが語った。
ともあれ、これで三人全員が今の状況を不自然――より率直に言えば罠の可能性が高い――と確信したことになる。が、根本的な問題がまだ残っていた。
「それよりもアレ、どうしますの?」
セリーヌが指差す先にあるのはもちろん例の行商人の荷馬車だ。橋には二台の馬車がすれ違える程の道幅は無い。よってあの馬車を退かさない限りはティアヴェラの乗る馬車もここから先に進めないということになる。
「そう、まさにそれが喫緊の問題なのだ」
オルディアス団長は顎に手を当てて考え込んでいる。セリーヌもエレネアも同様だった。
そうして三人が橋のたもとで知恵を絞っていると、不意に馬の嘶きと共に王女の馬車が急発進する音が聞こえてきた。その行く手には立往生したままの行商人の馬車がある。




