【第12話】魔石の指輪
彼女は本気でそんなことを言ったのではないと私は考えていた。あるいは私自身がそう思い込みたかっただけなのかもしれない。
「あーあ……この部屋ともみんなともお別れかぁ……」
その夜、ティアヴェラは自室のベッドに横たわり、ぼうっと天蓋を眺めていた。ドレスから部屋着に着替えることもなく、靴も履いたままで。メイド長に見つかったら「土足でベッドに上がるなんてはしたない真似してはなりません!」と叱られることは確実だが、今だけはどうでも良い気がした。
顔を横に向けると、魔導書が並んだ本棚と研究メモを広げたままの机が視界に映る。レメデア帝国は魔導大国と聞いてはいるが、皇妃となった自分に今のような自由な研究が許されるかどうかは分からない。
現皇帝ディオファントス三世とやらがどんな人物なのかも不安の種だ。既にかなりの高齢であり、何度か死亡説も流れたことは彼女も耳にしているが、それ以上は知らない。
だが何より彼女にとってつらいのは親しい人間との別れだ。場合によっては今生の別れにもなり得る。
「お父様もお母様も悲しむだろうなぁ……ルネちゃんも寂しがりそうだなぁ……」
彼女の脳裏に浮かぶのは世話になった多くの人々の顔だった。両親はもちろん、騎士団長オルディアスにメイド長ローズネットを始めとしたメイド達。彼女によく懐いてくれている最年少のメイド、ルネなどは特に寂しがるかもしれない。そして誰よりも、
「一番心配なのは……やっぱりエレネアだよね」
兵士やメイド達の中にはエレネアを崇拝する者が現れているが、ティアヴェラには分かっていた。戦闘力はともあれ、あの少女は本人や周囲が思う程には強い人間ではない。むしろ平均よりずっと繊細で傷付きやすい部類にさえ思える。
自分がいなくなった後、そんな彼女がどうなってしまうか。考えれば考える程に不安になってくるティアヴェラであった。
そんなことを考えていると、不意に扉をノックする音が聞こえた。
「誰? 開いてるから入ってきて」
身体を起こし、ベッドの上に腰掛けてそう返事をする。静かに開いた扉から姿を現したのは、青い髪に真紅の瞳のメイド――エレネアその人であった。身のこなしと周囲への警戒ぶりから、人目を忍んでいる様子だった。
◇
「エレネア? どうしたの? こんな時間に」
王女の問いには答えることなく、エレネアは無言のままベッドに腰掛けた彼女の傍まで歩み寄ると、声を潜めて問い掛けた。
「ティアヴェラ、帝国に嫁ぐって……本当なの?」
「あぁ、そのこと。うん、本当だよ」
彼女は軽い調子で肯定する。まるで自分自身のことにもかかわらず、どこか他人事のように考えているかのようであった。エレネアは更に質問を重ねる。
「教えて。決めたのは誰?」
「ん? 私だけど?」
「どうして? 怖くはないの?」
「うーん……」
小首を傾げて考え込むティアヴェラ。あくまで軽い調子だがその本心がどうなのか。彼女の琥珀色の瞳からは内心までは読み取れなかった。
「怖くないと言えば嘘になるけど……まぁそれが王女としての私の役割みたいなものだし。それに私が嫁ぐだけでみんなを守れるのならそれも悪い選択じゃないかな、ってね」
彼女はあくまで王女としての立場と使命についてしか語らない。エレネアは意を決して、より深く踏み込んだ質問を投げかける。
「ティアヴェラ。王女としてのその義務感は理解できるわ。けれど……あなた自身はそれで良いの?」
その問いに少しの間、ティアヴェラは目を丸くしていた。まるでそんな質問は想定外だったと言いたげだ。彼女は俯きがちに答える。亜麻色の前髪が彼女の瞳を覆い隠した。
「うーん……じゃあさ、もし私が『逃げたい。ここから連れ出してほしい』って言ったらエレネアはどうする?」
「えっ、それは……」
エレネアは言葉に詰まる。本気で言っているのか? それとも冗談で言っているだけなのか? ティアヴェラの表情を窺ったものの、その琥珀色の瞳も表情も、亜麻色の髪に隠れて見えない。
彼女としては覚悟はできていたつもりだった。もし王国の決断が帝国と戦うことなら彼女は傭兵稼業に復帰するつもりでいたし、王国正規軍への入隊を命じられたとしても喜んで拝命していただろう。だがこのような形の問いはエレネアの想定外だった。
エレネアが困惑して何も返答できないでいると、不意にティアヴェラが顔を上げた。悪戯っぽく笑う彼女の表情に、深刻さは感じられない。
「ふふ、なんてねっ。ごめんごめん! ちょっとからかってみただけ~」
「冗談、だったの……?」
「うん! 期待通りの反応してくれてなんか嬉しい」
彼女の笑顔が本心なのか強がりなのか、エレネアには判断しかねるところだった。
「あ、そうそう。前の指輪のお返し、まだだったよね」
彼女はベッドから飛び降りると、鏡台の方に駆けていく。鏡台の抽斗から小箱を取り出すと戻ってきた。
「はい、じゃあ目を閉じて左手出して」
エレネアは言われるままに目を閉じて左手を差し出す。王女の息遣いと、薬指にひんやりとした感触が感じられた。
「開けていいよ」
目を開けると彼女の薬指には指輪が嵌っていた。本体は銀白色。中央では真紅の魔石が輝きを放っている。銀製かミスリル製にも見えるが、重量感からするとプラチナ製のように思えた。だが何より目を引いたのは魔石の方だった。
「この魔石、もの凄く高純度の代物じゃない?」
エレネアは指輪に目を近付けて色々な角度から観察してみる。彼女は魔術にこそ疎いが、職業柄魔石やそれを用いた道具はよく使っている方だ。その彼女でも、これ程の品質の魔石は見たことがなかった。
「て言うかこれ、現代の技術で作れるものなの……?」
「ふふん、驚いた?」
自身の指に嵌められた指輪をまじまじと見つめる彼女の横で、ティアヴェラが得意気に微笑んでいた。
「それね、うちに代々伝わる指輪なんだよ。私はお母様から、お母様はお父様から貰ったんだって」
「えっ? それって……」
「そしてお父様はお祖母様から。そうやって代々受け継がれてきたんだって」
「いやいやいや! それ素性も知れないメイドに渡したら絶対ダメなやつじゃない!」
エレネアは慌てて指輪を外そうとしたが、ティアヴェラがその手を制止した。
「待って! エレネアだから渡しておきたいの!」
「私だから……?」
彼女の真剣な様子はいつもの悪戯心や一時の気の迷いとは違っていた。その態度にエレネアは何も言えなくなる。
「うん。エレネアって何だか寂しがり屋なところあるでしょ?」
別に寂しがり屋では……と反論しようとしてエレネアは言葉に詰まる。否定しがたい面があった。もしそうでなければ彼女はティアヴェラとの離別を惜しむことも、今夜この部屋を訪れることも無かったはずだ。
「だからその指輪を私だと思って大事にしてね。ほら、その魔石の色、あなたの瞳と同じ真紅なんだよ。お似合いでしょ?」
エレネアは目を近付けてじっくりと魔石を観察する。深い赤色の中に、魔石特有の光が揺らめく。視界の端ではティアヴェラが窓際に歩み寄るのが見えた。彼女は夜空を見上げながらその指輪の来歴を語る。
「その魔石はね、伝承によると魔導文明時代の遺物なんだって。それと同じものが全部で四つあるらしくて、全て集めた者は……」
「集めた者は……どうなるの?」
エレネアは指輪から彼女に視線を移し、尋ねた。彼女は夜空を見上げたまま答える。
「よく分からない。お父様もお母様も知らないみたいなんだよね……どこかの代で失伝したのかもね」
「失伝? 何だか凄く大切な話に思えるけど、忘れるなんて変じゃない?」
「それかあえて伝えなかったのかもね。例えば、悲しい言い伝えがあるとか、知れば重荷を背負わせてしまうとかね」
窓際のティアヴェラから再び魔石の指輪に視線を戻す。石の中では光が踊るように揺らめいていた。
指輪の観察に集中していると、ティアヴェラが駆け寄ってきてエレネアの手を取った。彼女はエレネアの手を引き、部屋の入口へと向かう。
「ほらほら、明日から忙しくなるんでしょ?」
「そう、だけど……」
「だったら今夜は早く寝ないと! ねっ?」
ティアヴェラはそう言って、半ば強引にエレネアを退室させた。扉が閉まり、ガチャリと鍵が掛けられる音が響く。
「ありがと、エレネア。私のことを第一に考えてくれる人がいて嬉しかったよ」
その夜、エレネアが最後に聞いた言葉がそれだった。どれが彼女の本心で、どれがそうでないのか、何も分からない。だがそれだけは彼女の包み隠さぬ本音であるようにエレネアには感じられた。




