⑨
大量の魔力を放出した魔術師たちは疲れ切った顔だった。
だが、ミディアの新たな策を聞けば頷きあって立ち上がる。
まずはミディアが防衛装置を強化するための術式を組みなおし、それを四ツ紋の魔術師が精査する。
さらに、エーテル変換装置を抱えて駆けつけた錬金術師たちが術式の改定に加わり、効率化を巡って議論がはじまった。
時間はない。
それでも限界まで試行錯誤を繰り返す。
「術式導入部の前に変換ユニットを二基挟む。終端の出力安定化層にももう一基、冗長構成だが、過剰ではないはずだ」
「未使用の変換ユニットが三基。動作確認済み、出力偏差も基準内だ。すべて投入しよう」
「おい、この強化ルーチン、メイン術式と同期してないぞ。ラグが出たら出力ブレるんじゃないか?」
焦ったように声を上げる者もいる。
「待った待った、ここの術式、魔力伝達がループ構造になってる。これじゃ過負荷で逆流するぞ」
錬金術師が図面を覗き込み、鋭く指摘する。
自らが生き残れるかの瀬戸際での白熱した議論は、ともすれば喧嘩腰になりがちだ。
ミディアは気が付いていなかったが、彼らがパニックを押し殺し平静を貫けたのは、ミディアの存在感にも起因する。
まだ十三歳の小さな少女――だが、その燃えるような赤髪は、知を武器とする者たちにとって御旗のような存在だった。
熱に揺れる議論の只中、ミディアは静かに見守っている。
曇りなき瞳に、知こそが力という信念が灯っている。
無様なところなど見せてなるものか。
大人として模範となるべき姿を見せてやる。
年かさの術師たちが意気込むのも当然だ。そしてそれは、最高の潤滑油として作用する。
僅かな時間にも新たな術式が完成し、誰一人不満を口にすることもなく、すぐさま作業が開始された。
魔術師たちは散開して魔法陣を書いていく。
錬金術師の中でも魔術を学んだことのあるものは、強化などの簡単な術式を刻むことに率先して参加した。
いざ変換装置を運ぶ段取りになれば、休憩中だった筈の騎士たちが駆け付ける。
「北壁の結界の整合率が崩壊寸前! 補正陣、即時展開してくれ!」
「変換ユニット、全基設置完了! 伝達ライン、安定域に入ってます!」
「急げ!!!! 術式の展開を開始! 魔術師各位、詠唱をはじめるぞ!!!!」
詠唱が開始され、描かれた魔法陣に光が走る。
エーテル変換装置が唸りをあげ、その側では錬金術師が固唾をのんで見守っている。
回路に魔力が満ち、すべての術式が噛み合った瞬間、
結界全体が光を放ち、周囲を包み込むように魔法が完遂された。
一瞬の静寂。
そして誰もが確かに感じた──“これでまだ持ちこたえられる”と。
ほぼ同時に、巨大な陰が頭上を覆い、すさまじい勢いで数匹のワイバーンが降ってきた。
その速度は、結界衝突の寸前までまったく緩まなかった。
魔物本来の生存本能に反した、異常な動きだった。
だが、結界に触れた瞬間に魔力が炸裂。
衝撃が内側から反発して翼竜の首をへし折った。
その遺体も、魔瘴の活性化により再び起き上がることだろう。
砕けた首がぎちりと音を立て、まるで操り人形のように身を震わせていた。
それでも、あと一歩発動が遅ければ、前哨基地の防衛は崩れ去っていたのは間違いない。
安堵も束の間、今度はワイバーンより小型の飛行型モンスターが雨あられと降ってきた。
闇雲にぶつかり、物量と単純な暴力でもって、結界を破らんと殺到する。
生命の本質を完全に無視した特攻に、歴戦の騎士たちや老獪な魔術師たちも不快感と不安とをないまぜにした表情だ。
「魔物部隊、さらに投下されています!! 南南西にサイクロプスの軍団を確認!!」
矢狭間から外をうかがう物見が声を張る。
サイクロプスと聞いて、騎士たちの間に緊張が走った。
サイクロプス──一つ目の巨人。その体格から繰り出される破壊力は言うまでもない。
籠城戦では特に厄介だ。岩や大木を軽々と遠投するため、防衛線の外からでも大きな損害をもたらす。
実際、砦の結界は上空に向かってはられており、側面からの攻撃に対しては脆弱だ。
不安は見事に的中する。
ガウゥウウウウウンンっと轟音を響かせ、外壁が軋み、たわみ、ぱらぱらと木片が降ってくる。
「くそ、結界が完成したというのに、今度はこれかッ!」
「第二小隊、休憩止め! ただちに外壁の補強に回れッ!!」
すぐさま指示が飛び交い、騎士たちが慌ただしく動き出す。
急げ、急げと疲れた体に鞭うっては、足を引きずり、声を枯らして駆けずりまわる。
甲冑の重みは、足を、腕を鈍らせる。今は敵の刃を防ぐより、結界を守ることが優先だった。
いまやほとんどの騎士が鎧を脱ぎ捨てただひたすらに動いていた。
ふと、丸太を担ぎあげた騎士が足を止めた。
「なんだ」と誰かが声を漏らす。
空気が揺らいでいる。
ミディアもあたりを見回した。
──熱い。空気が肌を刺すようだ。
額から滴る汗が、頬を焼くように流れ落ちる。
陽炎がたちのぼり、空気全体がゆっくりと震えていた。
騎士が、魔術師が、錬金術師が、不安げに顔を見合わせる。
ただ一人、不敵に笑ったのは騎士団長のヴェルドレッドだ。
「──あの野郎が、相変わらずめちゃくちゃにやりやがる。結界魔法、出力最大値ッ!!!!」
魔術師が杖を握りなおす。
エーテル変換器が振動し、あわや倒れる寸前で錬金術師が支柱を地面に打ちなおす。
熱気がさらに密度を増し、空気そのものが軋むような重圧を帯びる。
そして――天空から、紅蓮の奔流が襲いかかった。
振り仰いだ空を駆けるは、紅蓮に燃え盛る軌跡の群。
それは自然現象ではない。
“誘導式火山爆雷”――暴走寸前の術式で生成された魔術的火山弾だった。
魔力とエーテルの核を抱えたそれは、大気との摩擦でさらに温度を上げ、赤を通り越して青白く光を放つ。
空間を裂く音すら出せぬ速さで落下し、命あるものを区別することなく薙ぎ払う。
灼熱の岩塊は、前哨基地に群がる魔物たちの群れへと、情け容赦なく降り注ぐ。
大地が割れ、爆風がうねり、視界は業火と土煙に塗り潰された。
──同時刻、
前哨基地を見下ろす丘の上には、五ツ紋魔術師たるロベルトが杖を構えていた。
地面に輝く魔法陣。
同行した錬金術師もまたエーテル変換器を持参したことが、魔力供給源を底上げする。
これにより、希代の魔術師は暴虐ともいえる攻撃魔法を展開する。
最初の詠唱で変換装置の半分は爆発し、残る半分も限界を訴え白い煙を出していた。
だが、ロベルトがそれに構うことはない。
使い倒してこそ道具なのだと言わんばかりに、再び魔力を充電すると再び巨大魔法を解き放つ。
変換装置は悲鳴すらあげる暇もなく、立て続けに爆発した。
常人なら命を落としているはずだ。
ロベルトは平然と杖を構え直す――その魔力は、常軌を逸していた。
傍らに控えていたジュードは開いた口が塞がらない。
「小僧、何をしている。変換器が壊れたぞ」
「え、……?」
「貴様が陣に入れ。ただちにエーテルを変換しろ」
ヒクリっとジュードの顔が引きつった。足元に転がるのは無残にはじけ飛んだ機械の残骸だ。
だが、断れるはずもない。
出来る事があるならば、わが身の無事を祈ることばかりだ。
蒼白のジュードは、それでも足を動かすしかなかった。
手は震え、胃の奥が冷たくなっていく。
そんなジュードをしり目にゴッドウィン兄妹は剣を掲げ、鬨の声をあげ、斜面を滑り降りていく。
「──北側斜面に新たな敵影、……いや、あれは……ッ!!!!」
一方基地内では、矢狭間の物見が声をあげ、その最中で絶句した。
続く言葉を聞く前に、小隊長が矢狭間への梯子を駆け上がる。
「あれは、……」
振り返った小隊長が息も詰まらせ、だがすぐに震えを押し殺して声を張る。
「北側斜面に援軍ありッ!!!! その数、数千ッ!!!!」
「リトルローデンの神殿騎士団の軍旗を確認!」
「北西斜面にゼファン家の鉄鼠衆が集まっています!」
見張りが次々と振り返って声をあげる。
「北東斜面、……ああ、……なんと、……第二王子の御旗ですッ!! 王都新鋭部隊が来ました!!!!」
叫ぶ声は歓喜で震え、一度息を飲み込んで再度声をはりあげる。
「魔塔の魔術師も多数ッ! ギルドの傭兵たちも参戦している模様!」
次々と飛び交う物見の報告に、基地内は一気に沸き立った。
「まさか、リトルローデンからも援軍が来るとはな。やつらは魔瘴封印の儀に反対していたのではなかったか?」
ヴェルドレッドの呟きに低く笑うのはコルテア卿だ。
「私がこう言うのも何ですが、教皇様はかなりのご高齢。凝り固まったところもございます。
……ですが、神殿騎士の団長はなかなかに切れる男でしてな。
此度の戦いを捨て置けば、今後、カルカディア鉱石の輸入が難しくなるやもしれぬ旨をお伝えさせて頂きました。間に合ったようで何よりです」
「相変わらず食えぬお方だ。第二王子が出て来たのもあなたの策略か?」
「いえいえ、あれは世論を読んでのことでしょう。
このまま第三王女がこの地で犠牲になったとて、援軍にすら来なければ王子たちの求心力が失われるのは必定。それに気付けたのは幸いでしたな」
コルテア卿の表情は、悪だくみが成功したときの少年のように楽し気だ。
その顔に半笑いのヴェルドレッドは、だがすぐさま騎士たちに向き直って声をはった。
「為政者どもの胸算用に救われたか。だが、それで良しッ!
──守りを固めろッ!!!! この先、一人たりとも死ぬことは許さぬ! 生き残れ、勝利は目前だ!!!!」
黒騎士が吠えれば騎士たちも雄たけびをあげて呼応する。
生きろ。生き抜け。
ようやく形を成した生の希望を、何としてでも繋ぎ止めろと、各々が身を震わせる。
防壁の穴を埋め、怪我人を運び、顔を出す魔物に槍を、ボルトを突き立てる。
必死の抵抗を見せる前哨基地が盾となり、援軍は魔物の軍勢を横手から貫いた。
黒煙を切り裂いて現れたのは、泥にまみれた鉄鼠衆。
粗野な咆哮とともに、巨大な鉈や連弩で魔物を切り伏せる。
それとは対照的に、神殿騎士団の白銀の槍は秩序と技術の塊だった。
整然とした突撃が、曇天を裂いて一直線に魔の渦へと風穴を穿つ。
数の優位が崩れれば、魔物たちの捨て身の戦法は瓦解する。
散り散りになった魔物へと魔術師たちの炎の矢が降り注ぎ、まだ宙を駆ける翼竜を親衛隊が撃ち落とした。
「見ろ、魔瘴が、……!」
騎士が天を差し、皆が空を仰ぎ見る。
赤黒く蠢く暗雲は、臓腑のごとく脈動していた。
その薄皮の向こう側では、人知を超える巨大な存在がのたうち、渦巻く魔瘴はさらなる光に貫かれて──
今まさに、断末魔の声をあげていた。
空が軋む。
叫び、泣き喚き、咆哮する。
それは、羊膜の中で泣き叫ぶ忌み子のようですらあった。
生まれ落ちることを許されぬ、祝福から見放された肉の塊。
最後の咆哮を轟かせ、空を覆う魔瘴が光に飲み込まれる。
暗雲が裂け、まばゆい光の筋が雲間からこぼれ落ちた。
やがて重苦しい空の幕が千切れ、太陽が黄金の眼のように顔をのぞかせる。
降り注ぐ陽光は、死者を縛る禁忌の鎖を解き放ち、死したるものは地に伏した。
我にかえった魔物達は、不利を悟ればわき目もふらずに逃げていく。
戦士たちは、あまりの変化に言葉も出ず、泥と血にまみれた顔を見合わせる。
誰もが震える手で剣を握りしめたまま、地響きの消えた世界に耳を澄ませていた。
生き残った。
誰ともなく剣を空に掲げた瞬間、それまで押し殺していた叫びが堰を切ったように噴き出す。
枯れ切った喉が軋みを上げ、それでも叫ばずにはいられなかった。
膝をつき嗚咽に身を震わせながら叫ぶもの。
互いの名も知らぬまま、血に濡れた胸をぶつけ合うように抱き合い、言葉もないまま泣き笑いする者たち。
片腕を失った騎士が、血まみれの顔に笑みを浮かべ、残る腕を高々と突き上げる。
祝祭の光が降り注ぐ魔法陣の中心に、再び希望が芽吹いた。
モレアンキントは、まるで神話のなかの女神のように、光のふところから静かに瞳を開けた。
その双眸には、天上の静謐が宿っていた。
立ち上がり、肌に触れる太陽の熱に目を細める。
蜂蜜色の髪は風にたなびき、まるで実りの神が育む麦畑が、初めての夏を迎えるように金色に揺れていた。
ミディアはいまだふらつく足で、ゆっくりとモレアンキントに近づいていく。
聖女は、迎え入れるように両手を広げた。
それは、天が雲を開き、雛鳥を迎える陽だまりのようだった。
ミディアは、すべての重荷をおろしたただ一人の少女として、その胸に身を預ける。
「ありがとう、わらわの小鳥」
その声は歓喜に震え、聖女の瞳に宿るアメジストが、祝福の涙とともに煌めいた。
ミディアもまた、大聖女の柔らかな体を抱きしめる。
あまりにも長く過酷な戦いは、ここで終止符を打ったのだ。
世界を救った魔術師は、いまようやく、ただの十三歳の少女だった。
聖女の胸に顔をうずめ、声もなく嗚咽しながら、その涙はすべての終わりと始まりを静かに物語っていた。
***
祝祭は七日七晩にわたって行われた。
凱旋した騎士たちの頭上には、天より舞い降りたかのように色とりどりの花びらが舞い、祝福の角笛が、千年後も語られる勝利を高らかに告げる。
通りでは花束をもった子供たちが駆けまわり、娘たちは花を編んでつくった首飾りを思い思いの騎士に捧げ、その生還をよろこんだ。
まだ年端もいかぬ少女も小さな花冠を作っては、道行く騎士に差し出している。
騎士は照れ笑いを浮かべながら頭をたれると、冠を受け取り恭しく礼を示していた。
少年たちは木の棒を剣に見立てて駆け回り、いつか自分も“伝説”の一部になるのだと胸を張る。
一方で、路地の片隅では、古びた本を抱きしめた子どもが、静かに魔術師の夢を灯していた。
都は希望と歓喜に満ちていた。
戦勝を祝い、国王陛下は臨時の恩赦をお布れとなり、王家の酒蔵が解放され騎士や魔術師、錬金術師のみならず、広く市民にまで良酒がふるまわれた。
街のあちこちで笑い声が軽やかに響き、浮かれて踊る人の陰は夜になってもたえなかった。
一方で、ただ静かに杯を捧げる者もいる。
酒盃に映るは、もうこの世にいない誰かの笑顔。
肩を寄せ合い、言葉少なに、戦友の名を胸に刻みながら杯を捧げる。
吟遊詩人がリュートの弦に思いを綴り、深い夜の眠りのように、喪した者達のあざやかな輪郭を呼び起こす。
──ミディアは、静かに夜風に吹かれていた。
王国の祝賀会に招かれて、そのきらびやかな熱気にあてられた。
今宵のミディアは伯爵令嬢らしく光沢のあるドレスを身にまとい、炎のような赤毛も丁寧に結い上げられている。
ただ、いくら着飾ろうとも、社交界はとても馴染めぬ場所だった。
今は一人、誰もいないバルコニーに立っている。
ここは城下町の喧噪も遠く、時おり空を彩る花火の打ち上げ音が聞こえてくる。
夜空に咲く七色の花火は、天へ還った魂を照らす灯。
一つひとつが、今も見守っている者たちの記憶のようだった。
ミディアはそっと目を閉じる。
頬を撫でる優しい夜風に、懐かしい気配をたぐり寄せ、人知れずまつ毛を湿らせる。
これは一つの終わりであり、そしてはじまりの物語だ。
「あなたは大丈夫よ、子猫ちゃん」
記憶の中で、優しく穏やかな声がする。
その声はミディアの中で確かに今も”生きて”いて、小さな背中を抱きしめる。
だからミディアはここから再び、どこまでも歩いていけるのだ。
「うん……、私は大丈夫だよ、ディアドラさん」
ミディアは小さく呟くと、遠い夜空を振り仰ぐ。
空に輝くは満天の星。
そこには、無限の可能性がまっている。
『黙約のフラグメント 第一部・完』
ここまでお読み下さりありがとうございました。
今回で『黙約のフラグメント』は第一部が終了となります。
『活動報告』を更新しておりますので、今後の更新に関してそちらをご参考下さい。




