格闘訓練④
マリカを連れたソフィアはこの基地のリーダーの元へと向かった。
ユーアイン・ユーラシア第十一開発基地司令官、アルビナ・グリンコフは椅子に深く腰掛けて書類の束と格闘していた。
透明感のある金髪と鋭い隻眼が威厳を放っている。
その正面で、既にゲヴァルト隊の二人も席についていた。
カレンは何をするわけでもなく背もたれに体を預け、ラウラは借りてきた猫のように横で小さくなっている。
三人の視線を受けながら、威風堂々とマリカは名乗った。
アルビナがそれに応じ、続けてカレンが立ち上がり口を開く。
「ゲヴァルト隊隊長カレン・ゲルハルト、中佐。よろしく」
目尻の上がった大きな目が、隠れるようにして立つラウラに向けられた。
「ら、ラウラ・コーレンベルク……です。中尉です」
ペコっと頭を下げた。編み込まれた前髪の下で青い瞳が行き先も無く泳いでいる。人形のように整った顔もマリカの目力に圧倒されて、引きつっていた。
人見知りは直らないな、とアルビナが笑うと彼女は申し訳なさそうに華奢な体を更に縮こませた。
一呼吸。
「さて――」
机の引き出しからカードキーを取り出たアルビナ言う。
「マリカ少尉、遥々遠方までご苦労。これが君の身分証兼ルームキーだ。常に身につけておけ。もう分かっていると思うが、君は今日からゲヴァルト隊だ。カレンが直属の上司になる」
マリカはカードキーを受け取り、胸ポケットにしまう。
「それから、ソフィアがパイロットチームのまとめ役兼この基地の実質的リーダーだ。怒らせないように気をつけろ」
ソフィアがため息を吐く。
「アルビナさん、毎回私を責任者にするのはやめてください」
「すまないすまない。いちおう伝えておくべきだと思ってな」
両手を上げて降参のポーズを取った。
「顔合わせはこれくらいでいいか。カレン、彼女の基地案内を頼む」
「了解です」
「ソフィアは――」
「これから格闘訓練です」
アルビナは一瞬目を見開いたが、そうか、とすぐに表情を戻した。
「では、以上だ。解散」
そのアルビナの一言でソフィアたちは部屋を後にした。
基地を案内するカレンたちと別れたソフィアは自室へと戻った。
締め付けるようなパイロットスーツからようやく解放され、大きく息を吐く。
「もう少しどうにかならないのかしら」
性能は申し分ないが、着るのも脱ぐのも一苦労だ。
サイズも個人に合わせて調整してほしい。性別は同じでも往々にして個体差がある。
さっとシャワーを浴びて軍服に着替えると、ソフィアはドライヤーもそこそこにトレーニングルームへと向かった。
「ユキちゃん、大丈夫かしら」
エリザの性格からしてかなりハードな訓練になっていることは火を見るより明らかだ。
とはいえ、ケガをさせるようなことはないだろう。エリザとユキの実力はそれだけ離れている。ユキが弱いというよりもエリザの格闘能力が圧倒的に高い。
問題は筋肉痛で他の訓練に支障をきたす可能性があることだ。体が動かず操縦を誤って墜落なんて笑い話にもならない。もし体がガタガタになったら狙撃訓練をすればいいのだが。
案の定と言うべきか、心配は見事に的中していた。
トレーニングルームに着いたソフィアの目に最初に映ったのは床に転がるユキの姿だった。エリザはその横に立っている。
「二人とも、何をしているの?」
いや、質問を間違えた。
「二人とも、なぜ下着なの?」
上着を脱ぎ、片手にナイフを持って汗をかいた状態の女性二人、そのうち一人はこと切れたように床に転がっているこの状況はなんともシュールなものだった。
エリザが言う。
「ちゃんと訓練してましたよ」
「それは分かるのだけれど……」
上着を脱いだ理由は分からない。
生ける屍のようにユキがゆっくりと立ち上がった。
「あ、ソフィアさん」
ゴムナイフで擦られた肌が線状に赤くなっている。
擦り傷は無数にあり、肌が白いせいで余計に目立つ。
「だいぶ頑張ったみたいね」
「結局一度も勝てませんでした」
「アタシの圧勝、です!」
エリザは無邪気な笑顔でVサインをした。彼女の体はきれいなままで、息ひとつ切らしていない。
まだまだ余裕だ。
そうみたいね、と言ってソフィアはユキの手をとった。
「どうかしら? エリザは強かったでしょう?」
「想像はしていましたけど、想像以上でした」
擦り傷を診ると、数こそ多いがどれも浅く細かった。
「痛くはない?」
「はい、大丈夫です。ただ――」
「ただ?」
ユキはそっと手を引っ込めた。
「ちょっと痒いです」
熱が冷めた擦り傷はひりひりしてきた。
訓練中は少し熱いのを我慢するだけでよかったが、今ではムズムズする。
腕やお腹、首元など全身に渡って擦り傷のあるユキは体をさすっていた。
「ユキ、大丈夫?」
エリザが近寄ってきた。
訓練とはいえ責任を感じているのかと思ったユキの期待は彼女の表情を見た瞬間に砕かれた。
悪い顔をしている。
確実によからぬことを考えている顔だ。
「大丈夫なので気にしないでください」
「いやいや、心配なんだよ」
壊れ物を扱うようにとても優しくユキの体を触り始めた。
「ちょっ、くすっ……くすぐったいです!」
「遠慮するなって」
「んーっ! 痒いかゆいかゆい」
「ここはどうだ?」
「そ、そこ、そこはダメです!」
手が届かないところはさすることが出来ないので痒みを我慢するしかない。エリザもそれが分かっていて際どいところを触ってくる。
痒くて自然と顔がにやけてしまっていた。
楽しいわけでもないのに楽しんでいるようにしか見えないため、ソフィアもニコニコとその光景を見ているだけで助けようとはしなかった。
ユキの悲鳴に力がなくなってきたところでソフィアが時計に目をやった。
「そろそろ時間かしら」
「時間?」
エリザは動きを止めた。その隙にユキは逃げ出し、体中をさする。
「何の時間ですか?」
ソフィアは人差し指を立てた。
「マリカ中尉の基地案内、もとい――」
「シミュレーション訓練!」
声を上げたのはユキだった。
「やっぱりマリカさんもやるんですね」
「恒例行事だもの」
「ユキ、さっきからずっとやりたがってたんですよ」
ユキは両手をあげ、首を横に振る。
「違いますよ。戦い方を見たいだけです」
「フフッ、見るのもいい勉強になるものね。じゃあ、ブリーフィングルームに向かいましょう」
「了解」
その前に、とソフィアが二人の前に立ち塞がる。
「二人とも、とりあえず服を着なさい」
「……了解です」
エリザはささっと軍服を着込み、ユキの分を投げてパスした。
「あ、ありがとうございます」
ユキはゆっくりと、慎重に軍服を着込んだ。
衣擦れの刺激が少し痒い。




