暗闇
枕元のライトによって浮かび上がった部屋は無機質な壁に囲まれた檻だった。
二歩半進めば壁にぶつかる狭い空間。そこにベッドと机があるのだから歩けるようなスペースはない。
そんな場所でも小柄な彼女にとっては苦にならなかった。
ベッドに腰を下ろし机の上に置いてあるメガネとカチューシャを撫でた。
ドンドンと扉が叩かれる。
「メーア、起きてる? お昼食べに行こうよ」
分厚い鉄壁越しにくぐもった幼い声が響いた。
「すぐ行くわ。先に行ってて」
メーアは条件反射的な返事をして机の下へと手を伸ばす。
そこには超低温フリーザーがあった。小型の冷凍庫のようなそれを開けると試験管が四本。その一本を取り出す。
彼女が指の中の赤黒い塊に見とれていると光が差しこんできた。
「やっぱり、また自分の世界に入ってた」
扉を開けたのは一0歳にも満たない女の子だった。無造作に伸びた黒いショートヘアに鋭いグレーの瞳。タンクトップにショートパンツを着た姿は彼女の奔放さを表しているようだった。
メーアの視覚が明順応していく。
「リリィ、今行くって言ったでしょ?」
視線だけを向け、物憂げに呟いた。光に照らされた彼女は下着姿で、これから部屋を出るようには到底見えない。
「こんな暗い部屋で、そんな格好で血見てるとか、引いちゃうよ」
「子供には分からないのよ」
メーアの視線は戻り、試験管に口づけをした。高揚感を浮かべ、丁寧に元の場所に戻す。
うわあ、と露骨な嫌悪感を声にしてリリィが言う。
「大人になっても分からないことぐらいは分かるよ」
「生意気なこと言うわね」
メーアはベッドの下から黒のワンピースを引っ張り、気怠そうに袖を通した。ウエストが絞られ、フィッシュテールになっている。
「ローは? 一緒じゃないの?」
ブーツの紐を縛った。
「先に一人で食べちゃったって」
「あんたも一人で行けばよかったのに」
廊下は細身の二人が並んだだけで隙間が無くなるほど狭い。頭上には配管が露出し、足元はメッシュ状のステンレス板。歩くたびにカツカツと音が響く。
リリィは頭の後ろで手を組みながら歩く。
「それにしても、メーアってちゃっかりしてるよね」
何の話だ、とため息交じりに聞き返した。自分の世界から現実に引き戻された彼女は機嫌が悪い。
「さっきの試験管、中身は基地にいた第三世代の人のでしょ? いつの間に採ったの?」
リリィを一瞥する。
「失神させたときに決まってるでしょ」
「あんなたくさん採られてかわいそうに」
「あんたももう少しすれば貧血なんて日常茶飯事になるわよ」
「なんで?」
メーアはリリィを無視をして数歩先を歩いた。その背中に繰り返し疑問をぶつけたが反応がない。諦めて話題を変える。
「髪も切ってきたんでしょ? 髪は女の命なのに」
「すいただけ。貧血も知らないガキが生意気言うんじゃないわよ」
頭髪と血液。任務とは別に個人的な理由で回収した検体。リリィとローにしか教えていない。あまり大声で言うな、と釘を刺す。
「基地はどんなとこだったの?」
メーアの企みはどうでもよかった。リリィの興味は外の世界にしかない。彼女の任務は主に支援。仲間の潜入や脱出を手伝う。この拠点以外はヴィクトリアのカメラ越しにしか世界を知らない。
「ここの四0倍以上広かった」
「広いなあ。というか、ここが狭いのか」
そうね、と廊下の壁に手をついた。等間隔に設けられた楕円形の扉をくぐると開けた空間に出た。四人席のテーブルが三つ並んだ食堂。その角に腰を下ろした。
リリィが二人分のプレートを持ってメーアの正面に座る。
「ご飯だってここのよりおいしいでしょ?」
プレートに乗せられているのは肉と魚、野菜にパン。どれもシンプルな味付けのものだ。豪華ではないがバランスのとれた食事。
「そこまで変わらないわ。少し綺麗に並べてあるだけよ」
「なんだ、砂漠のド真ん中にある基地だからそんなもんか」
フォークで肉をつつきながら、不作な土産話に眉根を寄せる。前線の基地や戦艦、開発基地はどれも味気のないものだった。街から遠く、どこへ行っても同じ光景が広がる。
予想以上の不作ぶりに落胆し、肉をひと口に頬張った。少し硬い。リリィは噛み切れない肉に悪戦苦闘しながらメーアの顔色を伺う。
「思ったよりもへこんでないね」
ご執心だった第三世代を連れ帰ることが出来ず精神的に不安定になると思っていた。手当たり次第に物を投げつけ、投げるものが無くなったら三日三晩部屋に引きこもるくらいの覚悟をしていた。
「ある程度予想していたからね」
「説得失敗するのも?」
鋭い双眸を向けられ、思わずフォークが止まる。
「な、なんちゃって……」
「あんたらが回収できないこともね」
皮肉の一つで済んだのでホッと胸を撫で下ろす。
「あんなに侵食されてると思わなかったよ」
「あれは薬のせいよ」
メーアは何事もなかったように魚の切り身を口に運び、続けた
「血を採った時に侵食されやすくなるよう薬も一緒に打っといたから」
「うわっ、危ないことするなあ」
一歩間違えば人格の崩壊を招きかねない。執心の割に平気で危険を犯す彼女の思考回路は未だに理解できなかった。
「もし廃人になったらどうする気だったの?」
「その前に気を失ったでしょ?」
メーアは半分ほど料理を残してフォークを置いた。
「それはそうだけど。危なくこっちが落とされるとこだったよ」
「侵食を促す最後のチャンスだったから」
プレートをリリィの方へと押し付ける。彼女はそれにフォークを突き立て、口に運んでいく。
「あんまり侵食されると使い物にならなくなっちゃうよ」
「お義姉さまはまだ全然よ」
頬杖をつき、ガツガツ食べるリリィの方を見る。育ち盛りの食欲は恐ろしい。昼食を誘ったのも残り物をもらうつもりだからだ。
「一度侵食されると治すの難しいのに」
「だからこそよ。一度侵食されれば元に戻れないでしょ」
「あ、薬を求めてこっち側に来るってこと?」
侵食の反動を抑える薬があることは既に伝わっている。帰還後、ローに口が軽過ぎると二時間にわたって説教されたのでよく覚えていた。
「薬? それ以前の問題よ」
侵食が進むほどヴィクトリアは手足のように動く。一心同体となった機体。いずれ思うように動かせない仲間との差が生まれる。優秀なパイロット揃いの異端の基地でも孤立は免れない。
小首を傾げるリリィには説明しなかった。
「お義姉さまはこれからもっと強くなる。それまで気長に待つだけよ」
「メーアにしては珍しく長期的な作戦だね」
一人分半を平らげたリリィ。満足した様子で口を拭いた。足をプラプラさせながら言う。
「それで、これからどうするの? 顔バレてるから潜入も出来ないでしょ」
「直接会えなくても方法はあるわよ。今頃新しいヴィクトリアが届いているだろうし」
企み顔のメーアを訝しげに見つめる。黒いワンピースで不敵な笑みを浮かべるその姿は絵本に出てくる魔女のようだ。
「今度は何しようとしてるの?」
「可変式ヴィクトリアのパイロットになってもらったわ」
「うわっ、やることえげつないね」
足の動きが止まった。
「あんなの戦う前に落ちちゃうんじゃない?」
「お義姉さまなら大丈夫よ」
メーアは再び不敵に笑う。これまでの事故は一号機を除きパイロットの技術不足が原因だった。失楽園プロジェクトの被験者、まして第三世代であればその心配はない。変形機構を掌握できるほど高い共鳴率を持っている。
「変形は普通の戦闘よりも確実に侵食されるわ。操縦に慣れたらもっと出撃回数の多いところにいってもらうつもりだし」
彼女は立ち上がり、プレートを下げておくようにとリリィに言い含めた。
「あらら、あの人もこんなヘンタイに目を付けられちゃって可哀そうに」
通り過ぎる直前にリリィを一瞥。
「次それ口にしたらあんたの髪と血、全部抜くから」
トーンの低い声。耳元で囁かれ、全身の毛が逆立った。
「え、冗談だよね?」
メーアの背中に問いかけたが、彼女は答えずに扉の向こうへと姿を消していった。冗談とも本気とも取れない口調。情緒不安定な彼女ならやりかねない、とちょっと不安になった。




