雌雄の羊②
「ぐうあああ! お前、何をっ!」
男の呻き声。指輪を持つ手を撃ち抜かれていた。
その後ろでサイレンサーを付けた銃から煙が上がる。
「契約は完了、後は私の自由にさせてもらうわ」
メーアは更に三発、男の腕と両足に向けて引き金を引いた。銃声の代わりに嗚咽が響く。
「う、裏切るのか? 我々を、雌雄の羊を!」
立ち上ることが出来ずに頭だけをメーアに向けた。
「だから今言ったでしょ、契約は完了したって。もうあなたとは味方じゃない。だから、裏切りという言葉は適切じゃない」
床をかくようにしてもがく男の襟元を掴み、ユキから引き離すように投げ飛ばした。状況を飲み込めないユキは目を丸くして、足元に転がる男を見ていた。その視界を黒いパイロットスーツが埋め尽くす。膝立ちをして覗き込むような姿勢になっていた。
「ベルさん、どういうことですか?」
そう聞かれたメーアは両手で包むようにユキの体を起こし、ギュッと抱きしめた。そのまま頬ずりをする。
「ひどい態度をとってごめんなさい。でも、こうでもしないとわかってもらえないと思って」
ひどく甘えた声だった。溢れんばかりの愛情を抑えることが出来ずにいるようだった。妙な既視感を覚えつつ、面食らったユキは咄嗟に頭を反らす。それを打たれた頬が痛かったのかと勘違いしたメーアは慌てて顔を離した。
「ごめんなさい、い、痛かった? つい嬉しくて、我慢できなかったの」
取り繕うように苦笑した。その様子を怪訝な顔で見ていた男が口を開く。
「おい、これは……どういうことなんだ? お前の目的はヴィクトリアの奪取じゃないのか?」
メーアが一瞥する。
「ごめんなさい、騙していて。やっと本当のことを話せる」
彼女の言葉はユキに向けられていた。
「私は失楽園プロジェクトの第五世代。義理の妹に当たるのよ、お義姉さま」
ユキは言葉を失った。
既視感の正体は妹だった。孤児院にいたときに年の離れた妹は何人もいた。みんな自分を本当の姉のように慕い、抱きついてくることも少なくなかった。その中には一言目に謝るのが癖になっている子もいた。
「第五世代は生まれた後、成長に合わせて開発されていったの。その過程で第三世代の話を聞いたわ。プロジェクトの中で最も性能の高い世代――」
ユキの乱れた髪を手で梳いていく。
「ずっと憧れていた、第三世代。最強のパイロットたち。ずっと会いたかった」
髪を整え終わると赤みを帯びた頬に手が伸びた。そのまま首筋、更に下へと撫でていく。
「今なら何でも答えてあげられる、だから何でも聞いて。その代わりにお義姉さまのこと全部教えて」
メーアにあるのは愛情などではなかった。一線を越えた敬意。ヨハン・ゲオルク・ファウストがメフィストフェレスを呼び出したように、錬金術師が生命のエリクシールを求めたように、知ることを欲していた。すぐ近くにいながらそれを隠し続けていた反動なのか欲求を直接的に表現する。
手が腿まで届くと腕を回し、再びユキを抱きしめた。今度は首元に蹲るようにしている。
「お義姉さまのことはたくさん調べたのよ。でも、データじゃ分からないことだらけ」
漏れる吐息と猫なで声が耳元で聞こえる。
「ふふっ、お義姉さま、温かい。それにいい匂いがする」
メーアの微笑。彼女の手が手錠にぶつかる。
「ごめんなさい、本当はこれも外してあげたいのよ。でも、そんなことをしたらきっと話を聞いてくれないでしょ」
一方的に話し続けて落ち着いた彼女は陶酔するようにユキの体をまさぐり始めた。沈黙を貫いていた口を開く。
「ベルさん――」
メーアって呼んで、と哀願される。一瞬の逡巡。ユキはその言葉を無視する。
「なんでこんなことをしたんですか?」
「自覚してほしかったのよ。第三世代は性能が高いけど性能の発現に個体差が大きい。自分の可能性を知れば真価を発揮できると思って。この話をするためにレジスタンスに基地を襲わせたのよ」
最後に、妹に敬語は必要ないよと付けたし、握っていた銃を床に置いた。
個体に対する探究心は愛情との境界がひどく曖昧なものになっていた。
「……メーア」
名前を呼ばれた彼女はそれだけで嬉々たる声を漏らす。
「基地が落とされたら、元も子もないでしょ?」
メーアは体を離し、お尻を付けてユキの正面に座った。
「その心配はいらないよ。こいつらの戦力じゃこの基地は制圧できないから」
褒められるのを待っている彼女の笑みに怒号が飛ぶ。
「キサマ、騙したのかっ!」
男の方に向けたメーアの笑みは鼻にかけたものに変わっていた。
「いまごろ上の部隊は掃討されてるわ」
ユキに対するものとは正反対の、高圧的な方の口調になっていた。
「それから、私に隠していた居住区制圧組も返り討ちにあっているでしょうね」
「気付いていたのか」
「廊下の造りだけじゃなく、通気口まで聞いてきたからそりゃ分かるわよ」
男は奥歯を噛み締める。
「お前だけは許さん!」
流れるような動作で銃を抜いた。が、銃声が響くことは無かった。代わりに聞こえたのは低い唸り声。男が狙いをつけるよりも速くメーアが引き金を引いていた。
弾かれた銃と穴の開いた左手。
「まだまだ元気が有り余っているみたいね」
更に二発、内腿と二の腕を撃ち抜く。加速度的に出血が増えていった。二発の弾丸は的確に動脈を貫いた。
「理由は他にもあるのよ」
男から生気が失われていくのを視界に入れながら、何事もなかったように甘え声に戻った。
「私達がどんな扱いを受けるのか、それを知って欲しかったの」
「見た目じゃ分からないと自分で言っていたでしょ」
「でも共鳴率に表れる。戦闘にも」
戦闘中のデータは全て残される。その情報をレジスタンスが手に入れれば今回のようなことが起きるし、同じ戦場にいればデータを見ずとも違和感を覚える。
「だからといって人間兵器だとは思わない!」
「でも異物として扱われる」
メーアの表情は変わらなかった。実験動物として開発された彼女には当然のことを述べただけに過ぎない。
左手をそっとユキの首筋に当てた。
「自分と違うものを認められる人間は少ない。私たちの実力の片鱗を見せれば畏怖される。そして、適当に理由をつけて排除される。この基地にはそのいい例がいるでしょ」
「……?」
マリアがこの基地に左遷された経緯を話した。彼女の共鳴率の高さ、年齢的な精神面の不安定さ、それを危険視されたこと。
「マリアは天才っていうだけ。ただ、その力を発揮したタイミングが悪かった。でも私達の場合はそうはいかない。失楽園プロジェクトが露呈したら左遷では済まない」
「で、でも、私達を造ったのは軍でしょ? それなのに――」
「捨てられるわ。当たり前でしょ。代替品を探して終わり」
ユキの心臓がドクンと波打つ。その鼓動は血流となり、首筋へと伝わり、メーアの左手まで達した。
ほんの少しだけ口元が緩む。
「もうその時は迫っているわ。だから私と一緒に行こう、ね?」
「行くって、どこへ?」
人間兵器であると周知されれば軍から追い出されレジスタンスに狙われることになる。存在意義すらなくなる自分に居場所などがあるのか。
「失楽園プロジェクトの被験者しかいない、私達の楽園があるの」
自分と同じ境遇の集団。それは血よりも濃い繋がり。ユキの頭には孤児院の風景が過っていた。身内のいない子供たちとその面倒を見てくれるおばさん。決して裕福ではなかったが飢えることはなかった。理由も性格も様々だがそこには通じるものが確かにあった。
「……」
楽園への期待と仲間を裏切る背徳感。葛藤で目を伏せると黒い目だし帽が視界に入った。
血だまりの上でピクリとも動かない男。
「その楽園に行って……私は何をするの?」
「仲間を助けるのよ。排除される前に」
夢を語る子供の用にはしゃぎだす。
「それから皆で暮らすの。私達ならリーゼにだって負けないし。まだ定住することは出来ないけど、将来的にはね。私達の代には難しいかもしれないけど」
「つまり、楽園っていうのは戦艦なの?」
「ふふっ、来れば分かるわ。ひとつひとつ聞くより実際に見た方が早い」
ホルスターから鍵を取り出し、ユキの顔を覗き込んだ。
「お義姉さま、来てくれるよね?」
態度の変化を肯定と受け止めたメーアは首筋をさすりながら手錠を外そうとする。
「……」
ユキは何も言わずに彼女を見つめた。否定を表していることは浮かれたメーアでも分かった。
「ど、どうして、どうして分かってくれないのっ!?」
左手に力が入っていく。その細腕からは想像できないほどの握力だった。
「メ、メーア……苦し、い」
かすれた声を漏らしたユキ。その声で我に返ったメーアはすぐに手を放し、胸の前で両手を合わせた。
「ご、ごめんなさいっ! でも、何で? どうして?」
息を整え、ゆっくりと答える。
「私はこの基地の仲間を裏切りたくない。きっと変わらないでいてくれる――」
「無理よ。そんなの」
メーアはため息とともに肩を落とした。
「本当に純粋な人。不安になるくらい。今だって嘘でも一緒に行くと言えば手錠を外せたのに」
その選択肢を選ぶことは出来なかった。痛いほどに一途な思い。そんな相手に嘘はつけない。
「お義姉さまは知らないでしょ? ここにいるパイロットが左遷された理由を」
「それは……」
メーアの言うとおりだった。先ほどマリアの話を聞くまでは誰の過去も知らなかった。それが暗黙のルールで、特に聞き出そうとも思っていなかった。
図星か、と彼女は続ける。
「やっぱり、そうでないとそんなに信じることは出来ない」
「どういうこと?」
怪訝な顔をするユキに笑いかけた。
「イエーガー隊、ソフィアとエリザは仲間を殺したからこの基地にきたのよ」
背筋に冷たいものが走った。
「といっても、エリザは事故みたいなものだけどね。空中で被弾して、パージしたパーツが下にいた僚機に当たった。運悪く目一杯弾薬を積んでいたから誘爆した」
「そんなの不可抗力――」
「そうね。でももう一人は違う」
もう一人のイエーガー隊、この基地の実質的リーダー。
「もともと最前線の戦艦に配属され、そこで今みたいにパイロットチームのリーダーをしていたの。敵を確実に撃ち抜くから天網なんて呼ばれてた。で、ある日一人のパイロットがヴィクトリアで出撃した。無断で目的は今でも不明。すぐに捕獲命令がでたけど彼女はそのヴィクトリアを落としたの。自慢のレールガンでコックピットを撃ち抜いてね。機体は大破。パイロットは肉片ひとつ残らなかった。彼女はその責任をとってこの基地に流れてきたのよ。それと同時に命中精度を称えられた天網という名前も暴走した正義を揶揄する名前になった」
「そ、そんなこと……きっと理由が」
リーダーであるソフィアが仲間に引き金を引いた理由。パイロットの、特にヴィクトリアでの脱走は死刑に処される可能性のある重罪だ。しかし、捕獲命令の出ている相手を殺すのも命令違反、重罪になる。軍人であれば知らないはずがない。そのリスクを負ってまでなぜ脱走兵を撃ったかなど分かるはずもない。
打ちひしがれた様子のユキに懇篤な口調で語りかける。
「私と一緒に行こう、ね?」
茫然自失のまま、その声も届いていないようだった。作戦続行可能な限界時間が差し迫ってくる。
連れ帰るのは無理だと判断したメーアは作戦を移行した。
「お義姉さま、ごめんなさい。いきなり過ぎたよね、わけわからないよね」
色を失った目をするユキの前に手錠の鍵を置いた。
「もう時間だから行かないと。私はヴィクトリアで逃げるから、追ってきて。その時に答えを聞かせてね」
立ち上がったメーアは銃を収め、背中を向けて歩き始めた。ドアの前まで行くと踵を返し走って戻ってくる。
「忘れてた。これ、プレゼント」
弾倉が入っているはずのマガジンポーチから細長い箱を取り出した。
「……かんざし?」
その中身を見たユキは呟いた。
白鼈甲の平打ち簪。一本足の頭に椿の花が描かれている。素人目でも分かる高級品だった。
正面から手を回し、襟足の近くで結う。
「大事に使ってね」
喜色を浮かべながらそう言うと、振り返ることもなく部屋を後にした。




