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義体の女神  作者: 鈴木亜紀
第一章
31/62

雌雄の羊①

 濃白色の壁が天井のライトの光を跳ね返している。

 その天井も同じ色。床は冷たい。触れている左腕から熱が奪われていく。

 意識を取り戻したユキはゆっくりと自分の置かれた状況を理解していた。

 知らない部屋で横向きに寝かされている。

 その背中に向けて声がぶつけられた。

「起きたようね」

 ベルの声。高圧的なほうだった。

「……っ」

 起き上がろうとするユキの手首に痛みが走る。後ろ手に手錠をかけられていた。パイロットスーツも半分脱がされ、上半身はタンクトップ。髪も解かれ、口元にかかっている。

 自由に動く足を使って芋虫のように体を起こすと二つの人影が目に入った。

 カチューシャとメガネを外し、胸の前で腕を組むベル。雰囲気はまるで別人だ。サイレンサー付きの銃を両腿のホルスターに収めている。

 もう一人は羊の頭が二つ描かれた目だし帽に傭兵のような武装をした男。黒に統一されたその格好はどこかの正規軍のようにも見える。誰かは分からないがレジスタンスであることは理解できた。

 うまく立ち上がることもできないのでユキは壁に寄りかかる。

「ベルさん、私たちを裏切ったんですか?」

 ベルの目を真っ直ぐ見る。彼女はうっすらと笑っているようだった。

 ユキの問いに反応したのは横にいた男のほうだった。

「ベル? それがここでのお前の名前なのか?」

 葉擦れのような枯れた声。

「ええ、そうよ。ベル・フランケル、メガネとカチューシャを付けた機械オタク」

 語尾にクスッと嘲笑を加えた。視線がユキに向けられる。

「私はヴァイスメーア。今度からメーアと呼んで」

「それは、コードネームですか?」

 更に言葉を続けようとするユキの前に男が歩み寄ってきた。

「無駄話はそこまでだ。こいつがそうなんだな?」

 見下ろすその目は蔑みと憐みが混じっている。その眼差しはユキの体をなぞり、上から下へと移動した。

「本当にこいつで間違いないのか? そうは見えないが」

「見た目で分かるようなら苦労しないわ」

「それもそうだな。それが大衆を惑わせる」

 納得した様子の男が片膝をついてユキと向かい合う。

「自己紹介が遅れたな、お嬢さん。もう分かっていると思うが、俺は雌雄の羊のメンバーだ。名前はない」

「レジスタンスが私に何の用ですか?」

 男は目を伏せ、一瞬自分の手に視線を移した。右手を左肩まで上げ、そのまま振り下ろす。

「っ!」

 破裂音。手の甲がユキの頬を打った。鉄板の入った手袋は堅く重い。長い黒髪が床に倒れ込んだ彼女の顔を隠す。

「もう一度言う、我々は雌雄の羊だ。断じてレジスタンスなどではない」

 努めて冷静な口調で話しながら、首を掴んでユキを起こした。力加減を知らない男の握力に喉を潰される。

「我々の目的は軍の人間兵器開発を阻止することだ」

 男の言葉で気を失う前にメーアに言われたことを思い出していた。

「私がその人間兵器?」

 ユキの言葉に男が眉を寄せた。メーアのほうへ向きなおる。

「……本当にこいつであっているのか?」

「あなたもしつこいわね。彼女は第三世代、本人に伝えないで間接的に開発しているのよ」

 メーアはため息を漏らした。

「そうか、それなら少しは説明しないとかわいそうだ」

 男に目で促され、彼女は肩落としてから話始める。

「ユキ・カミチカ、失楽園プロジェクト第三世代被験者。日本で開発、性能はSSランク。ただし、その性能にはムラがあり、修正の必要性を検討中」

 失楽園は旧約聖書に出てくる創世記の挿話。蛇に唆され、善悪の知識の実を食べたアダムとイヴがエデンの園を追放された話。

 自分の知らない自分の経歴に困惑するユキ。それを察し、ベルは更に詳しく説明をする。

「失楽園プロジェクトはヴィクトリアの性能を最大限発揮させることの出来るパイロットの開発を目的としたユーアイン設立初期の極秘プロジェクト。第三世代は受精卵の段階で改造を行われた人げ――」

「人間ではない」

 大きな声で制した。メーアに代わって男が語り始める。

「この世の空気に触れる前に、人間としてのお前は既に死んだのだ」

 演説でもするように両手を広げた。大衆に拍手を送られているかのように満足気な顔。

「失楽園、何とも皮肉な名前じゃないか。蛇が科学者、イヴがお前だな。そして、禁忌を犯した者達を楽園から追放した神が我々、雌雄の羊だ」

 楽園をこの世界だとするのなら、そこからの追放が意味するところは一つしかない。

 ユキは男を見上げた。

「私を殺しに来たんですか?」

 目だし帽の下で破顔したのが分かった。

「我々は救いにきたのだ」

 芝居がかった口調だった。

「科学者どもによって化け物に変えられた者たちに安らぎを与えるのだ。死をもって」

「そんな自分勝手な理由で――」

 再び手の甲で打たれ言葉を遮られた。床に倒れたユキの髪を掴み、引き寄せる。

「よく考えてみろ。ユーアインは何のために造られた? 人類を守るためではないのか? それが人間を捨てる実験など言語道断だ」

 痛みに耐える彼女を男は見下ろしていた。死にかけた虫の最後をみとるような憐憫の情。

「科学者どもの好き勝手を許すわけにはいかない。これ以上犠牲者を出さないためには実験を成功させてはいけないんだ。お前はその礎になる」

 犠牲者を減らすための犠牲。大事の前の小事。ユーアインがレジスタンスを排除するのと同じ道理だ。割り切るしかないと思っていたユキは何も言う事が出来なかった。立場が違うだけで、その行動倫理は同じ。

 それを否定することは矛盾でしかない。

「そういえば、お前にはまだ礼を言ってなかったな」

 男はユキを見たまま、後ろにいるメーアに向かって話した。

「おかげで目標と接触することが出来た。感謝している」

「これで契約完了ね」

「ああ、ご苦労。契約通りヴィクトリアを奪ってくるといい」

 男はユキをうつ伏せに倒し、胸ポケットから指輪と液体の入った小瓶を取り出した。

暴れる彼女の服を捲り、背中を露にする。

「な、何――」

「言っただろ、これは救済だ。お前が天国へ行けるように刻印を刻む」

 宗教的な儀式。雌雄の羊のシンボルマークが描かれた指輪を液体に浸し、それをゆっくりと近づける。頭しか動かせないユキは視界の隅でそれを見ていた。

 歯を食いしばる彼女の耳にプシュッと空気の抜ける音が聞こえた。

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