↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
義体の女神  作者: 鈴木亜紀
第一章
25/62

試作品試験⑤

 予想通り爪試作四号の報告には時間がかかった。主にシゲフミとの口論のせいで三倍の時間がかかったわけだが。

「はあ、疲れた」

 エリザは自室に戻る廊下でぼそりと呟く。蒸し風呂のせいでべたついたサウナスーツを早く脱ぎたかった。

 居住区の前には人影があった。小柄で長い黒髪。

「あ、裏切り者発見」

 怒気を含んだ声がユキを呼び止めた。

彼女は既にパイロットスーツからラフな寝間着に着替えて髪も下ろしている。夜警までは自由時間なので問題ないのだが、何となく納得がいかない。

「エリザさん、報告お疲れさまです。本当に長かったですね」

「まあね。そっちこそ、本当に先に帰るとは思わなかったわよ」

 フンと鼻を鳴らし、ユキに詰め寄る。

「すいません、早く汗流したくて」

 彼女も電源を落とすためパイロットスーツで倉庫に入った。その気持ちはよく分かる。

「ま、いいけどさ」

「先に休むのは悪いと思って、こうして待っていました」

 ユキはビシッと敬礼した。ただでさえ年相応に見られない彼女が寝間着でそんなことをすると学芸会のようだった。

 エリザは思わず笑みをこぼした。

「それはどうも。せっかくだからアタシの部屋来る? 飲み物くらいならあるわよ」

「はい、ぜひ」

 エリザはカードキーを取り出す。いざ部屋に入ろうとすると、不意にユキは足を止めた。

「エリザさん、一応確認なんですが――」

 心なしか目が震えている。

「コスプレの趣味なんてないですよね?」

 カレンにトラウマになるほどのことをされたのかと同情の念がこみ上げた。

「だ、大丈夫よ。服装にはあまり興味ない方だから」

 雨に濡れた捨て犬を拾うように優しく部屋に招く。

ベッドの横に木製の椅子が二つ、その正面にイーゼルと足元にスケッチ箱が置いてあった。

「絵描くんですか?」

「たまにね。最近は描いてないけど」

 話しながらエリザはパイロットスーツを脱いでいく。部屋の角に置かれている冷蔵庫の前に来たときには下着姿だった。

 冷蔵庫をガバッと開け、ペットボトルを二本取る。

「はい、先にシャワー浴びてくるからテキトーにくつろいでて」

 ペットボトルを口にくわえたままユニットバスへと入っていった。

 ユキはもらったペットボトルに口をつけ、椅子に座る。

「……スポーツドリンクだ」

 想像通りの飲み物のチョイスだと思いながら、想像と一八〇度違う部屋をキョロキョロと見回していた。

 体育会系なイメージを一蹴する文化人の部屋だった。道具はもちろん、自分で描いた絵画が壁に飾られている。そのほとんどが青々とした緑が広がる風景画だった。砂漠と人工物しかないこの基地唯一のオアシスと思えるほど、生気に溢れた作品だった。

 その風景画の中に一枚だけ、他に比べて二回りほど小さい人物画が隠れるようにして飾られていることに気付く。胸元まで伸びた金髪に、柔らかい碧眼の少女。淡い柳色のドレスを着ていた。

不思議なもので一度認識するとその存在に気付くようになることがある。

「あれ?」

 今さっき見た風景画の中にもこの少女が描かれていた。遠くからで顔は見えないがその姿は間違いなくその少女だった。改めて見ると、ほとんどの絵に描かれている。この人は誰なのか、数少ない情報から推理しているとシャワーを浴びたエリザがペットボトルを片手に出てきた。

 相変わらずの下着姿でベッドに腰を下ろす。やっぱり体育会系だ。

「お待たせ」

「エリザさん、絵うまいですね」

 そうでもないよ、と言うその顔は満更でもないようだった。

「ちなみにあの人はどなたですか?」

 目線で先ほどの人物画を指す。エリザは一瞬困ったような、悲しむような目をした。ユキが驚いて瞬きをしている間に、彼女は普段の悪戯な笑みを浮かべている。

「それは秘密よ。ヒ・ミ・ツ」

 片目を瞑り、人差し指で三拍奏でた。先ほどの目は見間違いだったのかもしれない。

「普段は風景画しか描かないけど、特別にユキのこと描いてあげようか?」

「本当ですか?」

 自画像を欲しがるのは音楽家か金持ちくらいかと思っていたが、いざ言われてみると案外嬉しいものだった。

 ただ、飾るのは恥ずかしいので大事にしまっておこう。

「ありがとうございます」

「いえいえ、それじゃ、まず服脱いで」

「えっ!?」

 ユキは椅子から立ち上がると、ズザザザと壁にぶつかるまで後ずさった。

指を差し、吹き出して笑うエリザは冗談だと言いながら手招きをした。

「裸婦画なんて描いたことないわよ。それに、凹凸のない体って描き辛いのよ」

「驚かさないでくださいよ」

 未発達の体に感謝の念を覚えながら元の椅子に腰を下ろす。ユキはこの手の冗談には非対応、と頭の中でメモを取るエリザ。

「ま、どちらにしても、描くならもう少しドレスアップしてほしいけどね」

 Tシャツにホットパンツでは文字通り絵にならない。

「ユキは絵描いたりしないの?」

「あまり絵心がないもので」

 微苦笑する彼女の顔を見て、エリザは閃いた。

「よし、似顔絵描こう」

 ユキが戸惑っている間に収納スペースの扉を開き、引出しからスケッチブックと鉛筆をゴソゴソと取り出す。

「他人の似顔絵描こうとすると無意識のうちに自分の顔を描いてしまうから気をつけてね」

 経験者のアドバイスを受け、渋々鉛筆を握った。

「というか、エリザさん、服着ないんですか?」

 女同士とはいえ、下着姿の女性をモデルにするのは少し緊張する。

「似顔絵だから首から上を描くのよ?」

 だから服装は関係ない。というのが彼女の主張だった。ユキとしてはそういう問題ではない。

「人の下着姿を描こうだなんて――」

 小悪魔の笑み。

「ユキのえっちー」

「そそそそんなんじゃないですよ」

 子供の様に動揺するユキは見ていて飽きない。いじりがいの新入りだと思いながら、エリザは正面の椅子に座る。スケッチブックを渡し、顔が見えるように膝に乗せた。

「それじゃ、きれいに描いてよね」

「あまりに期待しないでくださいね」

 これまで何度も顔を合わせた相手でも、線で表そうとして改めて気づくことがある。

 まだ濡れている金色の髪は緩やかな曲線を描いて首に触れ、青い瞳は光を抱えている。つり目がちなその目元も長いまつ毛と整った眉で優しい印象を与える。血色の良い唇も健康的だった。風呂上りの状態でこれほどなのだから、化粧すれば相当映えるに違いない。

 相手の姿を再認識しながら、それを表現できないユキは鉛筆を右往左往させていた。それとは対照的にすらすらと描き続けるエリザ。

「そういえば、ユキは彼氏とかいるの?」

 口と手はバラバラに動いていた。

「いませんよ、そんな人」

 口を動かすと手が止まる。

 そうなんだ、と聞いたわりに素気なく答え、更に続ける。

「じゃあ、彼女はいないの?」

「なんでそうなるんですかっ」

 力んだせいで鉛筆の芯がスケッチブックにめり込んだ。

「ユキってそっちの気がありそうな気がして」

 うっすらと微笑む。鋭い目と柔らかい表情。小悪魔の笑みだ。

「特にラウラとかお気に入りだと思っていたよ」

「そ、そんなことないですよ」

 動揺を隠すためにスケッチブックに視線を集中する。

「そうなの? ラウラ可愛いじゃない」

 ユキは相槌を打つ程度であまり反応しないようにしていた。これ以上墓穴を掘りたくない。

「ちょっと内気だけど、むしろそこが儚げっていうかさ。体も細いから守りたくなるっていうか。そのくせ、発育がいいところはいいし。腹が立つことに」

 話が進むにつれて眉間にしわが寄っていった。

「エリザさん、途中から嫉妬に変わってます」

「あれ、ユキなら共感してくれると思ったんだけどな」

 強く否定も出来ないので咳払いをしてその場をやり過ごす。

「というか、あまり動かないでください。描きづらいです」

 はいはい、と言い残しエリザは手先に集中した。先ほどとはうって変わって鋭い眼光を放つ伏せられた目。この状態を描けばよかったとユキが後悔していると、不意に彼女と目が合った。

「あたし、そろそろ描き終わるんだけど」

「はやっ! 私はもう少しかかりそうです」

 エリザはユキが描き終えるのを静かに待っていた。

「……」

「……」

 動かない分描きやすくなったが、視線を向けるたびに目が合うので緊張する。余計に手元が定まらない。絵が完成に近づくほど本人とは似ても似つかない出来になっていった。むしろ、描くほどに完成に遠ざかっているように思える。とはいえ、それを直す技術もない。

 一通り顔のパーツを描き終えたところでユキは匙を投げ、鉛筆を置いた。

「んじゃ、言いだしっぺのアタシから」

 エリザはスケッチブックをくるりと回す。

 そこには凛とした表情の少女の姿があった。真直ぐに伸びた黒髪。切り揃えた前髪の下には二重瞼の大きな目。唇は鉛筆で描かれているにも関わらず今にも動き出しそうなほど潤いを蓄えている。見紛うことなき美少女だった。

 この短時間でこれほど描けるものかと呆気にとられてしまう。

「なんというか、本人以上の完成度って感じですね」

「なんだその感想は」

 エリザはスケッチブックに両手を重ね、その上に顎を乗せた。下からユキの顔を覗き込む。

「別に美化してないわよ?」

「こんな可愛かったら彼氏がいますよ」

 冗談のつもりはなかったのだが、慣れた様子でスルーされた。

ユキは人よりも劣等感がほんの少し強い。これまで自分よりも優れた人物を目標に励んでいたためそれが沁みついていた。

 エリザはスケッチブックを伏せる。

「はい、じゃあ次はユキの番」

「お、怒らないでくださいね」

 ゆっくりとスケッチブックをひっくり返す。

 明王のような憤怒相をした性別不明の人間の顔。うねる髪が顔を覆い、つり上がった目が見る者を威嚇する。顔のパーツは真ん中に寄っているため、輪郭とのバランスが取れていない。エリザには似ていないが実在しそうなリアルさがある。

 エリザは笑顔を作り、右手の拳を握り締める。

「ユキ、これは本気なのか? それともケンカ売ってるのか?」

 目が笑っていない。後者であることを前提としているようだった。

「ほ、本気なんです。誠心誠意全力で取り組みました」

 ユキはすぐに両手を挙げて無罪を主張した。スケッチブックがパタリと倒れる。エリザは呆れたように鼻を鳴らした。

「まったく、中途半端に画力があるから変にリアルなのよね」

 ユキの膝の上から奪うようにスケッチブックを取り上げ、じっくりと目を通す。憤怒相とは違う鋭い目つき。その真剣さにユキは息を飲んだ。

「特徴を捉えようとしているのは分かるけど、誇張し過ぎ。あと、それに気を取られて全体が見えてない」

 その後もダメ出しは続いたが半分以上は何を言っているか分からず、ただただ項垂れるしかなかった。少しずつ下がっていく頭。ユキのつむじが天井からエリザに向けられる。

「あ、ごめん。つい熱が入った」

 そう言いながらスケッチブックをパタンと閉じ、これで仕舞いと片付け始めた。ほんの少しだけ、心なしか、気のせいかもしれないくらい微々たるものだが申し訳なさそうな顔をしているように見えた。

「真面目なエリザさんは、なんか新鮮ですね」

「いつだってアタシは真面目じゃない」

 椅子から立ち上がり、スケッチブックを引出しに戻そうとする。

「あ、それ、もらってもいいですか?」

 少し緊張した声だった。芸術家の価値観はよく分からないので、真面目な口調で拒否されたりしたらちょっとへこむ。

「別にいいけど、こんなのでいいの?」

 どうせ譲るのならもっと時間をかけて描けばよかったと思いながら、リングから似顔絵をベリベリベリと切り取った。ユキはお礼を言いながら受け取り、ついでに鉛筆を引出しに戻した。引出しの中はスケッチブックと多種にわたる鉛筆に加えて、画集や練り消しゴム、擦筆などがぐちゃぐちゃに詰め込まれていた。絵は繊細だが収納は雑だ。

 エリザさんらしいな、と思っていると後ろから手が伸びてくる。

「そういえば、これ渡すの忘れていた」

 写真を一枚持っていた。その声色は小悪魔。いや、完全な悪魔だ。

「……カレンさんからだよ」

 その言葉だけでそれが何を写しているのかを理解することが出来た。瞳をそちらに向けないように意識して受け取り、似顔絵で隠すようにした。

「ど、どうも」

「見ないの?」

 ユキの右肩に顎を乗せる。

「この格好だったら本気で描いたのに」

 耳元でクスッと、吐息を漏らすような声が聞こえた。

「もうカレンさんの部屋には入らないですよ」

 体を反時計周りに回転させ、エリザの頭を置いてきぼりにする。そのまま一歩引いた。

「絶対次はもっとすごい格好させられて……」

 ユキの顔がどんどん青ざめていく。似顔絵を握る手が震えていた。

「ああ、キャラものとか下着とかわんないもんね。まあ、その時は描いてあげるからアタシの部屋に来てよ」

「絶対イヤですっ!」

「どうせ写真撮られるんだから一緒でしょ?」

 ユキは小さく唸り声をあげた。

「それはそうですけど……」

 決心が揺らいだ瞬間、エリザは止めを刺すように畳みかける。

「んじゃ、次コスプレさせられたときはアタシの部屋に来ること! 約束よ」

 彼女はユキが言葉を挟めないように断続して話し続ける。

「それじゃ、アタシは夜警に向けて寝るから」

 ビシッと手の平を向けた。

「ユキも早く寝なさいね。夜中ウトウトしたらカレンさんの部屋に押し込むから」

「なっ……!」

「それから、暇つぶしに何か持ってきた方がいいよ」

 ユキの肩を掴み一八〇度回転させると背中を押してドアの方へと押しやっていく。

「ちょっ、エリザさん」

「下着だからお見送りはここまでね」

 最後に背中をドンと押し、廊下に出された。振り返った時には既にドアが閉まり始め、エリザが手を振っている。

「じゃ、夜警で」

 音もなく部屋が廊下から隔離された。

 結局一言も言い返すことが出来ないまま廊下に立たされてしまった。

「あ、あの、エリザさん……?」

 もちろんドアが返事をするわけがない。ユキは肩を下ろし、自分の部屋へと向かう。

「まったくもう」

 言葉とは裏腹に彼女の口元は緩んでいた。手に持った似顔絵をギュッと抱き寄せ、鼻歌混じりに歩き出す。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。