異変②
司令室にはカツカツとペンを走らせる音だけが響いていた。
アルビナは書類に目を通してはサインをしていく。デスクの上には山積みになった書類が二山とコーヒーが一杯。もともとパイロットであったアルビナにとって一日中書類と睨めっこをするのは苦痛でしかなかった。
背もたれに体を預け、両手を上げて伸びをする。
「これは終わらないな」
卓上の時計を一度見てから、コーヒーをひと口飲んだ。軍の書類はどれも効率が悪い。一枚の紙で済むものが縦割りのせいで四枚も五枚も必要になってくる。リーゼに侵略され、人類の存亡をかけた戦争を行っている今でもその仕組み自体は変わりそうにない。この基地は開発が主であるため急を要するものが少ないが、前線基地ともなればほとんどがそれになる。現場の人間の苦労は絶えない。
アルビナは下ろしていた瞼を上げ、ドアの方に視線を向けた。
その数秒後、コンコンとドアがノックされた。
「ソフィアか、入れ」
「失礼します」
部屋に入った彼女の手には反省会に用いた資料と同じものが握られている。
「作戦ご苦労だったな」
「いえ、大した作戦ではありませんでしたよ」
デスクの前まで行き資料を手渡した。
「今お時間よろしいですか?」
視線が二つの紙の山に向く。これだけ仕事が残っているのは分かった上での発言だった。その意図を理解したアルビナは頷き、ソファに座るように促した。
「ちょうど休憩しようと思っていたところだ。それで――」
渡された資料を一枚一枚めくっていく。
「何の話だ?」
ソフィアはアルビナの方に体を向けて浅く座っていた。
「ユキ・カミチカ軍曹についてです」
「新人のことか」
視線を資料からソフィアに移した。抑揚のない口調で話す彼女は別人のように厳格な雰囲気を漂わせている。
「彼女がなぜこの基地に配属されたかご存知ですか?」
「人員の補充としか聞いていない」
答えは間を置かずに返ってきた。
「先ほどの資料、彼女の部分はもう目を通しましたか?」
「ああ。そういえば、共鳴率の欄がまるまる消されていたな」
「はい。消しておきました」
問題の核心に触れた。
「消しておいた?」
作戦の首尾を故意に隠蔽することは重大な違反行為である。まして、共鳴率はパイロットの素質を測る重要な情報の一つであった。共鳴率が高いほど機体を操縦する際のタイムラグが少なく、自分の手足のように動かすことが出来る。また、感覚が研ぎ澄まされ反応も早い。
「はい。その必要があると判断しました」
「そうか。で、具体的にいくつだったんだ? 七〇%くらいか?」
隠蔽に関して問い詰めなかった。それほどにソフィアを信用している。代わりに共鳴率を大きく吹っかけた。一般的な共鳴率は四〇%前後、エースと呼ばれるようなパイロットでも七〇%である。その上、共鳴率はイニシャライズした機体に乗り続けることで少しずつ上昇していく。初出撃の際はエースでも五〇%である。
冗談のつもりで言った共鳴率だった。しかし、否定の言葉はいくら待っても来ることは無い。
しばらくの沈黙のあと、やっとソフィアが口を開く。
「今現在、我々の中で最も共鳴率が高いのはマリアです。平均で七八%、瞬間的には八二%を記録しています」
「それは知っている。そのせいでこの基地……というより、私の下に来ることになったからな」
「そのマリアの初期共鳴率でも六七%でした」
初めての出撃でエース級の共鳴率を示したマリアは、その際の戦果と不安定な精神状態を危険視されこの基地に追いやられた。アルビナはエース級の中でも特別共鳴率の高いパイロットであったが、その時には既に引退し天下りのようにこの基地の司令官をしていたため、手に余る共鳴率をもつパイロットが彼女の元に配属されることになった。
アルビナは鼻で笑い、頬杖をつく。
「六七%か。よく覚えているな」
「印象的でしたから。それに――」
「ユキはそれを超えているのか?」
再び沈黙が訪れた。
話を遮られたからではない。これから話すことのほとんどは推測であり、その中には間違いであってほしいものがあった。とはいえ、言葉にしなければ答えにたどり着かないことも分かっている。
深い呼吸をした。
「彼女の初期共鳴率は84%でした。瞬間的には九一%を出しています」
アルビナの表情は少しも変わらない。すぐに返答をしないのはその数値の意味するところを吟味しているようだった。
「恐ろしく高い共鳴率だな」
間を置いてからため息交じりに呟く。
「ユキは大丈夫だったか?」
ソフィアは首を横に振った。
「既に副作用が出ています」
ユキの異変を一から説明した。共鳴による感覚の過敏化が非戦闘時でも無くならないこと。それに伴って神経をすり減らしていること。
「そうか……マリアの様になんとかならないか?」
「マリアが副作用に順応出来たのは自我形成が途中の子供だったからです」
自我形成途中であれば神経をすり減らしノイローゼになるようなことは避けられる。マリアはその最たる例で、高い共鳴率による副作用との付き合い方を成長と共に身に着けることが出来た。
「さて、どうしたものか」
アルビナは両手をこめかみにあて、文字通り頭を抱えた。
「問題は他にもありますよ」
「上層部か……」
更に深く頭を抱える。
「これが漏れれば間違いなく実験材料にされるだろうな」
これまでにも共鳴率を高める研究は度々行われていた。そのほとんどがパイロットの調整だ。今では一時的に共鳴率を高める薬まで開発されているという噂までたっている。そんなもののために部下をモルモットにするわけにはいかない。
「適当に誤魔化せればいいけどな」
「もしかしたら手遅れかもしれません。推測ですが」
伏せていた視線がソフィアに向けられた。
「既に実験は始められていると?」
「はい。いや、むしろ実験場所としてこの基地が選ばれたと言った方が正しいかもしれません」
彼女の言わんとすることを理解するのに時間はかからなかった。目的が人体実験だとするならばこの基地は条件が揃っている。三小隊という規模の小ささ、軍の一部でありながら孤立した立場、軍への発言力が低い左遷先の基地。反対派の多い人体実験を行うのにこれ以上適した隠れ蓑はない。
「ただ、もしそうだとするとなぜ彼女の共鳴率の高さを事前に知ることが出来たのかが分かりません」
共鳴率はイニシャライズを終えた専用機に乗らなければ明確に測ることが出来ない。それを事前に知ることが出来るはずがなかった。
「分からない事だらけだな」
「まったくです。上層部の出方を見るしかないですね」
二人は同時にため息を漏らす。
「ユキを機体に乗せるのはリスクが高いから、当分訓練は体力作りとシミュレーションだな」
「そうですね。エリザが喜びそうです」
せめてもの救いだとソフィアは目尻を下げた。コーヒーはすっかり冷め、もう手を伸ばさなくなっていた。




