第2話 侵食された世界のクロノ・フィリア
雨の強くなった夕方。
白聖連団の支配する第8区画をフードを被った影が走り抜ける。
頭に被ったフードの隙間から覗く銀髪。フードで解り難いがシルエットから女性であることがわかる。
ふと、その影が足を止め壁に張られた紙を眺めた。
『ちっ、また金額が上がってやがる。』
小さく舌打ちし、その紙を睨み付ける。
紙には本来の自分の顔が精巧に描かれ、顔の下には普通では考えられない0の数の書かれた金額が記載されていた。
『早めにアイツ等止めないとなぁ…。』
後ろ髪を掻きながら溜め息混じりに呟く。
そう、俺が男の時の顔の手配書が張り出されているのだ。
壁一面に張られた手配書は、特に目立つ場所に大々的に公開されている 要注意人物 の掲載区画。
【Sランク犯罪者集団 クロノ・フィリア】
俺の他にも9人のメンバーの手配書が張り出されている。
『やっぱ前衛の俺等しか顔バレしてないか。』
クロノ・フィリアのギルドメンバーは全部で23人。
後衛スキル持ちの妹や幼馴染みの手配書が無いことに安堵する。
この2年で世界は大きく変化した。
その変化は俺たちにも影響を与え、様々な事件が今までの日常を壊していった。
今では能力を得た者たちが各々の派閥を持ち互いに牽制し合っている状態が続いている。
変化として軽いモノだとゲーム時代の影響か能力を持った者は名字を捨て名前だけを名乗るようになったことか。
俺たちクロノ・フィリアメンバーに対して行われたことの中で一番の影響を与えた事件がある。
それは、国の力を吸収し強大な勢力となった白聖連団が、ゲーム時代の俺たちクロノ・フィリアの能力を恐れ当時の主力メンバーだった10人の首に賞金を懸けたのだ。
しかも、情報提供者や他のメンバーの情報提供や討伐にも賞金を掛けるほどの徹底ぶり。
『さて、取り敢えず戻るか。』
その場を離れ再び走り出す。いつ敵に見つかるかわからないので細心の注意と警戒をしながら。
暗い通路を進み、周囲の人影を確認。安全だと判断し、とある扉を開ける。
扉の奥は19区画からかなりの距離離れた場所にある第24区画へ繋がっていた。
これは扉と扉を距離に関係なく繋げるゲートを作り出すクロノ・フィリアのメンバーの能力だ。
ゲートを潜ったその先は、廃墟が連なる一角で唯一の明かりを灯した飲み屋の前だった。
崩れ落ちた建物や割れたガラス窓が散らばった穴ぼこだらけの裏道の中で一ヵ所だけ綺麗に掃除され一際目立つその店こそ、情報収集を兼ねてクロノ・フィリアのリーダーと副リーダーが建てた拠点である。
看板には、時の音 と書かれた喫茶店。
『ただいま。』
カランコロン。
とドアを開くとベルが鳴った。
『やあ。閃くん。お疲れ様。』
『お疲れーー。』
カウンターで何か飲み物を用意していたこの店のマスターである仁さん。無精髭が似合うダンディーおじさんだ。
実質的にクロノ・フィリアの副リーダーだ。
『相変わらず美人さんだねー。閃ちゃんはー。スタイルばつぐん。』
カウンター席に座り、だらしない姿で酒を飲んでいるおっさん。クロノ・フィリアリーダーの無凱さん。
『うるせぇ。この姿の方は身バレしてないんだよ。仕方なくだ。』
『もう、ずっとその姿でいてくれれば、おじさん満足なのに。』
『このヤロウ。』
『ははは、確かに、客受けは良さそうだね。』
『マスターまでそれ言う?』
『まあまあ、閃ちゃん。冗談だって冗談。』
ゆっくりと腰を上げた無凱のおっさんは俺の肩に手を触れた。
『はい、美女がビジョビジョじゃあ可哀想だからね。』
触れた瞬間、雨で濡れた身体から水気が消えた。
『まあ、ありがとう。でも、そのギャグはサムい。』
『どういたしまして。このまま、お胸タッチはありかな?』
『っ!さわんじゃねぇよ!俺は男だっつぅの!』
『こらこら、無凱。閃くんの嫌がることしちゃダメだよ。』
『はいはい。』
距離をとった俺に背中を向け元いた場所に帰っていく無凱のおっさん。
と、その時、ドタドタと上の階から降りてくる足音が数人分聞こえてきた。
『にぃ様!申し訳ありません気付きませんで。』
メイド服の義妹、灯月が頭を下げる。
『いや、気にしないでいいよ。ただいま灯月。』
『にぃ様ぁ。はい。お帰りなさい。』
『灯月ちゃん。閃くんに飲み物を持っていってもらえるかい?閃くん、コーヒーで良いかな?』
『はい、ありがとうございます。マスター。』
『わかりました。にぃ様、少しお待ちください。』
『ゆっくりで良いよ。』
俺は適当に席を決め椅子に座った。
『お帰りなさい。閃ちゃん。』
『ただいま。智鳴。』
幼馴染みの智鳴。灯月と一緒に上の階にいたようだ。
狐の尻尾をパタパタと揺らしながら俺の隣に腰を下ろす。
『おかえり。閃。』
『ああ、ただいま、氷姫。』
いつの間にか音もなく智鳴の反対側に座っていた少女。
真っ白な長い髪と黄色い瞳。幼馴染みの氷姫だ。手には文庫本を常に持っている読書大好きっ娘だ。
『閃ちゃん。大丈夫?無凱さんに何かされなかった?』
『え。智鳴ちゃん心外だよ。僕が閃くんに何かするわけ無いじゃないか!』
『本当?』
『まあ、胸を触られそうになったくらいかな?』
『もう!またそんなセクハラして!無凱さん。いくら閃ちゃんが美人だからって身体は女の子の時は控えてください!』
『男の時はーーしないかなぁ。』
『何か微妙に間があったような。』
それを聞いて静かに立ち上がった氷姫。
『閃に…嫌なこと…したの?』
その言葉と同時に周囲の気温が下がり始める。
『氷姫ちゃん!?』
慌てる無凱のおっさんと智鳴。
『店壊さないでねー。』
と棒読みなマスター。
その間も、周囲の気温は下がり続ける。
『氷姫。ストップ。』
『うん。』
俺の言葉に素直に頷き何事もなかったように文庫本を読み始める氷姫。
『あ、危なかった。危うく凍りつくところだったよ。』
『大丈夫でしょ。貴方なら。』
わざとらしく額の汗を拭く素振りを見せるが実際この無凱のおっさんはこんなことでは慌てない。大抵のことは対処できてしまう。そんな能力を持っているのだ。
『おや?閃くん、お帰り。怪我は無いかい?』
隣の部屋から顔を出した一人の男性。細身で痩けた頬が特徴的なメガネをかけた優しい方だ。
『はい。今戻りました。賢磨さん。この通り無傷で帰って来れました。』
『それは良かった。外は敵だらけだ。何処に危険が潜んでいるかわからないからね。』
『そうですね。気を付けます。』
賢磨さんがカウンター席へ移動。無凱のおっさんの横に座る。
『お兄ちゃん!』
更に隣の部屋からもう一人。小柄な女の子が駆け寄ってきた。
そのままの勢いで俺の胸の中に飛び込んできた。
『お帰りなさい。お兄ちゃん。』
『ただいま。瀬愛。』
瀬愛は小学3年生の女の子でクロノ・フィリアでは最年少だ。
薄い黄色い髪の癖っ毛が可愛らしい。
額から髪に巻いた長いバンダナがチャームポイントだ。
『お兄ちゃんのお胸柔らかくてクッションみたいー。』
『えっ!?そうなのかい?じゃあ僕も試してみないと。』
『『『ダメ。』です。』』
身を乗り出した無凱さんにおぼんにコーヒーの入ったコップを乗せた灯月と俺の横にいる智鳴と氷姫の言葉が重なった。
『はーい。おじさんは黙りますー。』
そう言ってグラスのお酒を口に含むおっさん。
『それはそうと、閃くん。そろそろ元の姿に戻れば良いのに。』
『そうですね。おっさんの視線もそろそろウザいですし。』
そう言い俺は元の男の姿に戻る。
『ふぅ。こっちの方がやっぱり落ち着く。』
『あぁ、残念戻っちゃったよ。』
『ははは。無凱、そんなことばっかり言ってるといつか刺されちゃうよ?』
『閃ちゃんに刺されるんなら本望だけどねぇ。』
ちらっと無凱のおっさんが灯月たちの方を見ると、いつの間にか灯月の手には大きな鎌が、智鳴の手には扇が、氷姫の手には槍が握られていた。
『斬られて、焼かれて、凍らされて…さて、そろそろ本題に入ろうか閃くん。』
早々に話を反らし座っていたカウンターの椅子をクルリと回転させ此方を向く。
『そうだね。一度店も閉めようか。』
マスターが店の照明を落とし入り口のドアのシャッターを下げた。
『やれやれだね。無凱くんは無駄話が長すぎるよ。』
賢磨さんも肩をすくめながら椅子の向きを変えた。
『話の前に皆に飲み物を出そうか。いつもので良いかい?』
全員がマスターの言葉で首を縦に振った。
『OK。灯月ちゃん。運ぶの頼めるかい?』
『はい。わかりました。』
灯月が空になった俺のコップを持ちカウンターへ向かう。
俺は椅子に座り直し改めて周囲を見渡す。
俺の左に自分の尻尾を抱き締めながら智鳴が座っている。
右には文庫本を読みながら、ぴったりと俺にくっついている氷姫。
膝の上には足をバタバタさせながらニコニコと俺に体重を預けている瀬愛ちゃん。
椅子に座ってふんぞり返りながら酒を飲む無凱のおっさん。
姿勢良く椅子に座り疲れているような表情で笑っている賢磨さん。
全員の飲み物を用意してカウンター越しに座るマスターこと仁さん。
そのマスターから受け取った飲み物を全員に配り終え俺の後ろに立つ灯月。
なぜ後ろに立つのかと前に聞いたら、何でもその位置が主人とメイドの正しい位置関係なのだと言っていたが何のことなのか。主人になった記憶も無いし、そもそもメイドはゲームでの設定だった筈で現実世界では一応兄妹なのだが。
ふとテーブルを見ると中身の入っていないカップが2つ置いてあった。
『そろそろ帰って来ると思うよ。』
不思議に思っているとマスターが俺の表情から考えを察したのか説明してくれた。
『あっ。そうなんですか?俺と反対方向の偵察に行ったので場所的に2、3日かかるかと思っていましたが。』
『いやぁ。恥ずかしながらウチの娘も一緒でしょ?多分、堪えられないんじゃないかなぁって思うんだよね。』
と、その時、裏口の扉が勢いよく開いた。
『もう、サイアクなんですけどぉ。キュウにツヨくなるとかキいてないしぃ。シタギまでグショグショ。』
『ああ、すまんな。もう少し早く戻れば良かったんだが。』
『あっ!ベツにダーリンのせいじゃないから!ワタシがワガママイっちゃったからゴメンね。』
ずぶ濡れの男女が慌ただしく店の中に入ってきた。
男の方が俺の幼馴染みの基汐。
女の方がマスターの娘で光歌。
二人ともクロノ・フィリアのメンバーだ。
『こらこら。店の中濡らさないで。これから大事な話があるからね。待っててあげるから、お風呂入っといでよ。』
『あっ。すみません。仁さん。俺らからも色々報告があるので少し待ってもらえるとありがたいです。』
『おフロ!イこイこ!ダーリンイッショにハイろっ!』
『断る。別々に決まってるだろ!先に入って良いから。ほら、行くぞ。』
『むぅー。ダーリンのケチっ!でも、スキィー。』
台風のように部屋の奥に消えていく二人。
『閃。』
『ん?何だ?氷姫?』
こちらをじっと見つめる氷姫。
『私も、閃と、入りたい。』
『風呂の話か?』
『そう。』
『あぁ、ズルいよぉ。私も閃ちゃんと入りたいよぉ。』
智鳴も身を乗り出しながら叫んだ。
『ダメに決まってるだろ!』
『そうです。二人とも淑女としての嗜みをお持ちください。』
俺の意見に賛同するようにいつもより強い口調の灯月が言う。
おお、流石我が妹。ちゃんとした考えを持っている。
『一緒にお風呂に入れるのは家族だけです。その行為とは家族の間で絆を深める儀式なのです。例え幼馴染みだとしても強く結ばれるための家族の育みを邪魔することはできないのです。』
あれ?
『にぃ様と私のように血の繋がりが無かろうとも裸でありとあらゆる場所を洗いあえばもう二人に隠し事など無くなります。』
うん?
『例え、にぃ様が女性の身体に変化できるようになったその夜に口では言えないようなことを一人で行っていたと知っていても。』
『灯月!?』
ヤバい!
『夜な夜な鏡と向き合って女性の身体のスミからスミまでを調べ上げていたとしても。』
『灯月!ストーーーーーーーップ!』
慌てて灯月の口を抑える。ヤバい。全員の視線が痛い。辛い。変態な行為がバレた。どうすれば。
『あぁ、にぃ様。いけません。私たちは主人とメイドの関係です。主人に迫られてはメイドの私には拒否することなどできないというのに、いけません。にぃ様、考え直してください私たちは兄妹なのですよ。でも、血の繋がりはありませんので、どうぞにぃ様のお好きなように私を…』
がっちりと首をホールドされ灯月に抱き締められる。小柄だが発育のいい胸に圧迫され呼吸が…
『灯月、待って。』
『え?』
突然、氷姫が灯月を止めた。
『どうされました?氷姫ねぇ様。』
『少し、確認。』
じっと見つめる氷姫パート2。何を言われるのか若干悪い予感がするが。
『閃。私。閃が望むなら。脱ぐよ。』
そう言うと自らの服に手を掛け脱ごうとする氷姫。
『あぁ、氷姫ちゃんズルいよぉ。私も閃ちゃんがお願いしてくれたら脱ぐもん。』
隣でその様子を見ていた智鳴も負けじと脱ぎ始める。
『お兄ちゃん。瀬愛も脱いだ方がいい?』
『いや、瀬愛はやめてくれ。』
『私も大人になったらお兄ちゃんみたくスタイル良くなりたいな。』
自分の胸をパフパフしながら俺の胸と見比べる。
『男の俺の胸見ても仕方ないだろう?』
『でも、女の人の姿のお兄ちゃん凄く美人で羨ましいの。私も早く大人になりたいなぁ。』
『あぁ、瀬愛ちゃん。あのね。後で言おうと思ってたんだけど…。』
話を遮って、罰が悪そうな表情の無凱のおっさんが世愛に話しかける。
『なぁに?無凱おじさん?』
『実はね。これはあくまで噂なんだけど。俺等みたいなゲームのキャラが反映されちまった奴らって…能力を得た日から年とらないんだと。』
『え?』
『まあ、だからな。瀬愛ちゃん含め俺たち全員今のままの姿でずっと生きていかなきゃならないらしい。』
『…私…大人に…なれないの?』
『………』
ボサボサの後ろ髪を掻きながらコクりと頷く無凱のおっさん。普段、空気を読まないおっさんでも世愛の純粋な願いを否定してしまうのは憚れるのだろう。
『そう…なんだ…』
目に涙を溜めて俺の胸に顔を埋める世愛。
その様子を見てこの場の全員が言葉を失ってしまう。
『俺は今の瀬愛が好きだぞ?』
『…お兄ちゃん?』
『俺は瀬愛のお兄ちゃんだからな。瀬愛が大人になろうが今のままだろうが俺は瀬愛とずっと一緒にいてあげるから。寂しくないぞ?あの時みたいに世愛が独りぼっちで泣くことはもう無いんだから。それに俺だけじゃなくてクロノフィリアの皆が瀬愛の家族だからな。』
『そうですよ。瀬愛ちゃん。私たちは世愛ちゃんの家族ですよぉ。』
『うん。瀬愛。私たちの。妹。』
『そうだね。おじさんたちも全員世愛ちゃんの家族だ。だから、泣かないでおくれ。』
『僕も、クロノ・フィリアの皆が家族だと思ってる。』
『ああ、いいねぇこういうの。クロノ・フィリアはこうでないと。作った甲斐がない。』
『みんな…ありがとっ。』
瀬愛の笑顔に周囲が暖かい空気に包まれた。
『さて、あいつ等もそろそろ風呂から戻って来るだろうし、話し合いの準備に戻ろうか。』
マスターの一言にその場にいた全員が頷いた。