ハロウィン
「トリックオアトリート」
ホームで電車を待っていると、隣に並ぶ彼女が唐突にそう言った。ものを受け取るように、両手を重ねて差し出して、いたずらな笑顔を僕に向けていた。
お菓子をくれないといたずらするぞ。ハロウィンの時期によく聞かれるこの言葉。「お菓子をあげる」か「いたずらされる」か2択の問い。
これに対して迷わず「いたずらされる」を選択する程度に変態である僕にとって、回答は決まっていた。
「トリックでお願いします」
彼女の表情は、いたずらな笑顔から、ゆっくりと、汚物を見るような冷たい表情に変わっていった。僕は負けじと言った。
「トリック! トリックプリーズ!」
彼女はお菓子を受け止めるために差し出していた手を手刀に変えて、僕の腹を突いてきた。
「痛い! 痛い!」
その突きは的確に、肋骨の隙間を縫うように、身体の奥深いところにダメージを与えてきた。
なぜだ! 僕はトリックをお願いしたはずだ!
なのになんだこの仕打ちは!
これではまるでトリートを受けているようではないか!
ありがとうございます!
女の子に攻撃をされることを喜びと感じる程度に変態である僕にとって、この程度の痛みはご褒美でしかなかった。
痛いと言いながらにやにや笑っている僕が気持ち悪かったのか、彼女は攻撃をやめた。呆れたようにため息をついて、そのまま黙ってしまった。仕方がないので僕も黙って電車を待つ。
向かいのホームの広告看板が目に付いた。毎年冬になると発売される美味しいチョコレート菓子の広告だった。広告に起用されている女優が可愛かった。あれだけ大きく拡大されても十分見るに堪えるというか、むしろ目の保養になる顔立ちはすごいなと思った。僕の顔であればなにか条例に引っかかるかもしれない。
僕は彼女の方を見ずに言った。
「メルティーキッスでよければ」
僕はまっすぐ前を向いたまま、視界の端で、彼女がこちらに向き直ったのを捉えた。
「え、持ってるの?」
彼女の声は少し弾んでいた。
「いや、持ってない」
そう答えると、とたんに険を含んだ声音が返ってきた。
「は?」
「メルティーキッス」
「うん」
「僕のメルティーキッス」
「あ?」
「リアル、メルティーキッス」
「……」
「僕から君に、とろけるようなキスを」
「いらねぇよ」
その手刀はその日いちばんの切れ味だった。
朝食を食べながらニュース番組を見ていると、週末に各地で開催されたハロウィンイベントの様子が紹介されていた。ニュースの合間に、メルティーキッスのCMが流れてきた。それを見て、こんな想像をした。これが僕のハロウィン。好きです、メルティーキッス。
僕は今日もスーツを着て、サラリーマンのコスプレをして、いつもと同じ会社に向かう。
この時期、街中を歩けば、オレンジ色の装飾がよく目につく。カボチャで出来た顔をよく見かける。仮装した人たちの姿も見る。街がハロウィン色に染まっている。
僕も自分ではない何者かになりたいなと思う。それは「英雄」だったり「能力者」だったり、「圧倒的な実力をもつ目立たない一般人」だったりする。
もしかするとその中の一つに、「ハロウィンを楽しめる自分」もいるのかもしれない。仮装をして繁華街を練り歩く彼らを、無感情にテレビの向こうに眺めながら、どこか楽しそうだと、憧れているのかもしれない。
彼らも別に「オオカミ男」や「魔女」や「ゾンビ」になりたいわけではないだろう。そこには「仮装してイベントを楽しんでいる彼ら」がいるだけだ。同じように僕も、ハロウィンイベントを楽しみたければ、「仮装してハロウィンを楽しめる自分」を見つけるのがよいのだろう。どこにいるのかわからないけど。
仮装行列にはまだ出られない。それだけの熱量やエネルギーはまだ無い。今年の僕に出来るのは、会社の女子社員にお菓子をあげることくらいだ。
「はい、お菓子あげる」
「え、どうしてくれるんですか?」
「ハロウィンだから」
かっこいいじゃないか。
「じゃあ、お礼にいたずらさせてあげます」
女子社員はそう言って、僕の手を取って誰もいない会議室へ引っ張っていく。
こんなコンプライアンス違反なセクハラ展開を想像する煩悩だらけの僕は、いつかコスプレでなくシマシマの服を着るかもしれない。




