1章 1話 『帰宅前から振り返ろうか』
「――これは、面白いことになったな」
静まり返った夜の自室、少年は鏡を見て、震えた声で呟いた。
「いや、『面白い』というのは違うか。この状況を『面白い』というのは現実逃避に過ぎない」
本心としては何も面白くなんてない。ただの強がりだった。そうでもしないと、この状況で正気を保てない。生きていけないのだ。
鏡には見慣れた自分の姿と、それに加工か何かで付け足されたような金色に輝く目が映っていた。やはり違和感がある。パーカーの襟元まで届く黒髪はいつも通りだが、急に無理矢理付けたような虹彩の変色は強い違和感を感じるに決まっている。
「なんでこうなった?」
自分の姿と今の状況。この状況の発端は自分だと分かるが、この目については何もわからない。
真っ暗な部屋を目から放たれる光が照らす。鬱陶しい光から目を逸らそうとしても、目自体が輝いているから逸らせず、うるさい光から逃げられない。
別に今日は特別な日でも何でもなかった。今日もまた、いつものように学校に行き、図書室で過ごし、帰り道でも人と話し、家に帰ってきた。それだけの日だったはずだった。そしてそんな人生が、これからもまだまだ続くはずだった。
――なのに。
ああ、だったら少し、思い出してみようか。
――下校前から、今に至るまで、全部な。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
臨暦2766年 2月18日 御使市 御使中学校
鐘の音が鳴り、2月18日の授業も終わりを迎えた。外では下校していく者が騒ぐ中、御使中学校2年生の少年……最無見 帝は玄関とは逆方向へと向かっていく。
2年生の教室を出て、左折した後すぐにぶつかる突き当たりを右折すれば下り階段が見えるのだが、帝の行き先は始まりから逆方向だった。
右折、直進、左折、直進⋯⋯と移動した先の突き当たりに見えるのは、教室2つ分はある部屋だ。
ここに来るまでに誰の邪魔も受けず、教師にも生徒にも見つからなかったのは彼にとって好都合だった。
都合よく展開が進み、嬉しさから不敵な笑みを浮かべる帝には、扉の窓に反射する自分の顔が見えた。
そこには見慣れた自分の顔が映っているだけだった。制服の襟元まで届く黒髪に、少し柔かい顔立ち、少しばかり悪い目つきと、一般的な少年の顔。特に特徴といった特徴もなく、中学生にしては少々青さが残るだろうか? という程度の平凡な顔である。
しかし、外見だけで人を判断することはできない。ただの平凡な人間ではないからこそ、彼はこうして毎日のように他の誰も毎日は通わないような部屋に来ているのだろう。
教室の外からでも見えるほど多くの本が見える部屋。そう、この教室は図書室だ。家に帰れる場面で家に帰らず、学校に残って放課後に長時間居座る人間は御使中学校において帝以外に存在しないだろう。
そんな図書室、閉館と書かれているが、この教室には人がいると帝は確信していた。
「典、いるな?」
教室の扉を開け、誰もいないように見える図書室に向かって名前を呼ぶ。いつも名前を呼ぶとどこかの本棚の裏から現れるのだ。
「ちゃんといますよ、先輩! 今日のご用はなんでしょう?」
図書室の『歴史コーナー』と書かれた本棚の裏から顔を覗かせたのは紫色の長髪の少女、文月典。
帝は学年が1年下の後輩である彼女のことを詳しくは知らない。彼女は季節関係なく真っ黒なコートを着ており、制服姿でいるところを一度も見せたことがない。そして毎日図書室に滞在していて図書室から出ている姿を見たことがない。そんな少し変わった少女ということしか帝にはわからない。
性格面に至ってはほとんど知らず、何故か自分によく懐いているかわいい後輩というくらいしかわかっていない。
帝は図書室の本棚を一通り眺めた後、手に持っていた鞄を床に置き、カウンター前の椅子に座った。そして、髪をなびかせながら自分のもとに駆け寄ってきた典に注文をする。
「歴史書をよろしく。今日は天使とかの本が読みたくてな」
帝の住む御使市自体、天使が舞い降りたと言われている場所だ。そのため、天使についての文献は多い。
「良いですけど、天使関連はここの本では正確性が微妙なところですよ? 正しい知識を身に着けたいなら一冊家から持ってきますけど、ここの本で良いんですか?」
「良いんだ。正確性を求めてるんじゃなく、家に帰りたくなるまでの暇つぶしだから」
『家に帰りたくなるまでの暇つぶし』。
この理由を理解するには、帝の感情を理解する必要があった。無論、帝のことを詳しく知らない典に理解できる代物でないことは確かだ。
簡単に言うと、帝は家が好きではないというだけだ。家よりも学校の方が好きというレベルで家がそこまで好きではない。
家が嫌いと言うよりは親……、主語を大きくすると大人全般を嫌っている、と言ったほうが正しいか。
嫌いな大人のいる家にいるよりも、自分を嫌わないで、否定もしない落ち着ける場所にいる方が良いというものだろう。
例えば、「こうなりたい」を語ったらそれを否定するような者と一緒にいたいだろうか?自身が夢を語ったらそれを「不確定要素」と切り捨てるような人間と一緒にいたいと思えるだろうか?
もともとの帝はここまでの大人嫌いではなかった。
しかし自身が成長するにつれ世界の汚さが目に見えてきて、親もそれ以外の大人も全て自身にとって厄介な存在だと認識するようになったのだ。
「先輩って家が嫌いなんですよね? それならいっそ、家出しちゃえば良いんじゃないですか?」
『天使コーナー』と書かれた本棚から本を持ってきた典は、渡しながら今の帝の状況に対して効果的な対処法を提案してきた。
「後先考えず軽率な行動に走るほど、私も馬鹿じゃないさ」
帝は大人を嫌ってはいるが、大人がいない状態で自分が生きていくことも不可能なことも知っていた。だからこそ適切な距離感と対応を続けてきたのだ。毎日図書室に通うこともその調節の一環である。
「ここに生まれながら天使の本なんて全然読んでこなかった人間だ、どんなのが書いてるのか楽しみだな」
暇つぶしの一環として帝は本を開いた。
『8章 臨暦0年 御使市に舞い降りた天使と天使像の誕生』
美しい少女が空から降ってきた。その少女は翼が生えていて、空を縦横無尽に飛び回る。
あの方はきっと我々のことを見に来てくださったに違いない。空を飛び、我々をお救いになられる存在だ、と私の直感が告げている。
私の直感の通り、天使と名乗ったあの方は我々の苦しい生活を救ってくださった。病に臥せ、苦しむ長をあの方は魔法で救ってくださった。
この奇跡と存在、後世に伝えていかねばなるまい。後世に伝えられるよう、何かを創っていかねばならないだろう。
「ならば、天使様を模した石像でも造れば良かろう。それさえあれば、後の者にも天使様の存在を伝えていくことができようぞ」
我らの長はそう言って、我々と共に天使像の建築を進めた。
これが今現在も残る降臨天使像である。この天使像には特別な魔力が備わっているとも言われているが、実際の所は不明である。
8章 〜完〜
「言いましたよね? 正確性も保証できませんし、捏造の可能性が高いです。何より、話の中身も捏造なのに薄っぺらいんですよ」
「捏造だって面白いよ。大体の書物って幻想話だったり、夢物語だったりするものだろう?」
8章までを読み終えたところで、典は文句のようなものを帝に言った。
まるで、この本の内容が偽の歴史だと知っているような口ぶりだった。彼女はこの世界の歴史の何を知っているのか、帝は少しだけ気になったが、もう夕陽も見えていた。そのため、この場は聞かずに自分の意見で流し、家へ帰ることにした。
床に置いていた鞄を手に取り、読んでいた本を典に返すと、彼女は少し寂しそうな顔で声をかけてきた。
「先輩、もうお帰りですか? どうせなら明日の朝まで⋯⋯」
「いい提案だが、親が心配するから帰るさ。嫌ってるとは言っても、信用されなかったら面倒だからな」
本当に少しばかり魅力的な提案だったが、流石に自分としては得策ではないと考えた帝は提案を断った。
「そうですかぁ……」
典はがっかりして少し落ち込んだ様子だった。しかしすぐに体勢を立て直し、帝の腕を掴みながら明るく言葉を放った。
「じゃあいつも通り、そこの2階裏口からお帰りくださいね! また明日もよろしくお願いします! 約束ですよ!」
約束を一方的に結んできた典と別れ、図書室カウンター裏へと足を踏み入れた帝は、扉を開けて外に出た。
典に言われた通りに裏口から出た帝は、帰りながら図書室で読んだ本のことを考えていた。
確かにあの本の内容は薄い。興味深い内容もなければ、文章も短い。一つ一つの章が1、2ページ程度で終わってばかりで、正直読み応えがある本とはお世辞にも言えない。
しかし、あの本は夢に満ちている。簡単に言えばあの本は面白いのだ。例えば、何故主人公は直感だけで全てがわかるのか。天使のすることを直感だけで予期し、それを見事当ててみせる。丁寧な仕組みや理論もつけず、ただもとから存在した特殊能力かのように扱う。現実ではまずありえない、夢のような話だ。しかし帝自身、こういう特殊能力はあると信じたい方だ。そのため、あの本を面白い本として見ることができる。
大体の創作物というのはそんなものだろう。詳しい説明もなく、もとから存在すると設定するものだ。例えば黒髪ばかりの学校に金髪が混ざっていても、それに関して何か説明が入るわけでもない。特殊能力だってそれと同じだ。おかしなことではなく、もとからある『普通のもの』と認識させればそれで終わるのだから。
そこまで辿り着いた帝は、あることに気付いた。
「――なんの説明もなかったら、現実でもそれが正常かどうかを疑わないってことか?」
考えていたのはあくまでも創作物の話だったはずだが、帝は話を飛躍させた。
なぜこんなことを考えたのかはわからない。いつもの帝なら考えないような話だった。少し変な気分だ。
例えば、自身の兄や姉が死んでいたとする。その人物が死んでいたという事実を親が言わなければ、子は何も疑問を抱かず、一人っ子として生きていくだろう。自身に兄・姉がいたという事実を一切知らず、そのまま死ぬまで一人っ子として生きていくのだろう。
「……つまり、私たちの正常は嘘なんじゃ――」
《だったら?》
考えながら歩き、結論に近づいた時だった。誰かに話しかけられたような気がして、帝はふと立ち止まる。
しかしどこにも誰もいない。明らかに近距離からの声だったが、周囲には誰も見当たらない。
誰かはわからない声だったが、帝の心を落ち着かせる声。まるでずっと一緒にいたような、そんな安心感。なぜこんな風に感じたのかもわからないが、答えなんて出さなくていい気がした。
「母様? もしかして、あなたは、ずっと――」
帝は急ぎ足で家に帰った。この感覚が消える前に、早く答えを知りたかった。
――この異物感と安心感の正体を。




