プロローグ 『実質バグデータ』
娘が死んだ。
病院の一室、静まり返った暗い夜の中、母親は自分の感情を押し殺すことで精一杯だった。
母親は娘の死を受け入れられない。しかし決して感情的にもならない。隣で心配そうに見ている父親も、何も慰めてやることはできない。
「死んだのね、あなたは」
母親の小さな声が静寂に包まれていた病室に響いた。絶望と悲しみが詰まった短い言葉には、誰も反応することはできなかった。
(子宮内胎児死亡という概念は、なんでこんなときに、私の目の前に舞い降りたの?)
母親は頭のなかで考えを巡らせる。
(認めたくない、認められない。折角家族が増えると思ったのに、どうしてあなたは死ぬのかしら)
しかし、答え合わせなんてものは私情と悲壮感にかき消されて永遠にやってこない。
いっそのこと、医者でもそこの役立たずなあの男でも誰でもいいからドッキリだとか、ただの夢だったとか言ってほしかった。そうすれば「つまんない冗談だった、笑えない」だけで済んだのに。
そんな淡い希望をいくら抱こうが、医者の言葉と永遠と間違えるほどまで続く鬱陶しい静寂がこの状況を現実とうるさいほど突きつけてくる。
――もう、認めるしかないのだろう。
「私の娘、死んじゃったかぁ……」
失望の声が、夜の病室に小さく響いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「自分の子供の死っていう感情、そして子供の死っていう珍しいデータが、まさかこんなに都合の良いタイミングで得られるなんて思いもしなかったよ」
機械に囲まれた重厚感のある金属質な部屋で、小柄な白髮の少女が映し出された画面を観ながら呟いた。
「たまたま等速にしてみたらこんなデータが拾えるなんて、本当についてるな、あたしたちは」
大柄な白髪の少女が画面を後ろから覗き込む。
「え? ヴァイテは何もしてないでしょ? 勝手に『あたしたち』なんて言ってヴァイテ自身も含めないでくれる? これはあくまで私の手柄、あなたの手柄にはならないし、何よりあなたの頭じゃこんな感情とデータが理解できるはずがないでしょ?」
小柄な少女が、ヴァイテと呼ばれた少女の方を見て軽口を叩いた。
「言わせておけば、随分とあたしをバカにしてくれんじゃねーか……! 上等だ、ディレイ、お前とのケンカに乗ってやるよ!」
「あ、ちょっとうるさい。熱さで時計が狂うからやめて」
軽口に対してヴァイテは暴力で解決しようとするが、もう1人の少女……ディレイには届かない。
しかし、この喧嘩のような言い争い自体を2人の少女は面白そうに話し、どこか微笑ましいものだった。
「それにしても可哀想。せっかく世界に生を受けられるはずだったのに、生まれる前に死んじゃうなんて」
「生まれる前に死んだんだから、別に何も感じないまんま死んだんじゃねーのか?」
画面を見ながら2人は死んだ赤子のデータについて考える。少々言葉が荒いが、生まれる前の赤子にそんなことを考える力があるのか? ということを考えれば、ヴァイテの意見は納得のいく回答だった。
「まぁ、答え合わせは見てみればできるか。取り敢えず収集したデータを確認してみよう」
結局答え合わせをするために、ディレイは画面越しに見える少女のデータを見た。
名前もなく、何も記されていないため、ディレイの目にはただのモブデータにしか見えなかった。
(――ッ!?)
そんなディレイとは対照的に、この部屋の外でデータの中にいる『何か』を感じた少女がいた。
「急がないと……! 今の感覚は、何かおかしい……!」
何かを感じた少女は空を飛び、狭くも長い廊下を最高速度で進んで行く。今の異変を伝えるために。
部屋の中、未だに画面を見続けるヴァイテとディレイ。
「さて、そろそろちゃんと見よっか。名前もないようなデータって、凄い貴重だし、珍しいからね」
「ただのモブデータにだって名前はあるんだし、こいつは結構面白そうだ! あたしにも早く見せてくれよ、そのデータ!」
「このデータも利用すれば、|私たちの目標にも近付くだろうし完璧だよね」
目の前にいるはずの2人は依然データ内の何かには気付かず、そのまま2人でデータを『ちゃんと』覗き込んだ。
《――あ》
覗き込むと同時に、2人の頭の中には小さな声が聞こえた。
「ヴァイテ、今何か言った?」
声の正体をヴァイテと疑ったディレイは、ヴァイテの方を見て質問するが、ヴァイテはそれを否定する。
「違うし、ディレイじゃねーのか?」
それどころか、ヴァイテはディレイを疑う。
「私じゃないに決まってるでしょ。……つまり、空耳ってこと? なら気にすることもないかな」
「空耳なんかどうだっていいじゃねーか、早くしようぜ!」
そう言って、2人は再び画面に目を向ける……が、それを大きな音と声が遮った。
「ダメ、待って! そのデータは間違いなく普通じゃないですから!」
部屋の機械扉が開かれ、1人の少女が必死に声を上げながら飛んで来た。
「エイナ!?」
エイナと呼ばれた白髪の少女は、目にも留まらぬ速度で2人に向かって突っ込んでいく。
「その意識データからは得体の知れない何かを感じるんです! だから下手に干渉するのは……! ――ッ!」
必死に2人を止めようとするエイナだったが、エイナは自身の速度に追い付けず、仕方なくその場で急停止させるしかなかった。
急停止によって辺りの機械類が散乱し、2人には勢いや衝撃で一瞬の躊躇いを生じさせることができた。……が、それだけだった。
「得体の知れない……? 余計に興味湧いちゃった、これなら夢にも近付きそう」
エイナの『得体の知れない』という言葉は、ディレイの知的好奇心を強める結果となってしまった。心配するからこそ説得しようとしたのにも関わらず、逆効果となってしまったのだ。
「ダメなんです! あの人の夢のためには、そのデータは逆効果なんですよ! そんな感覚がしてるんです! だから……」
「エイナ。お前はあたしたちに対する劣等感から、あたしたちの行動を邪魔するような行動をとってるんじゃねーのか? あたしたちがどんどん成功して、自分はどんどん落ちぶれていく、っていう状況が嫌だからってそういう邪魔をするんじゃねーのか?」
必死になって止めようとするエイナだったが、説得はヴァイテにも届かず、あらぬ疑いをかけられた上で否定されてしまった。
「違います! 敵対的な何かの気配が……!」
諦めずに説得を続けるエイナだったが、それを遮るように頭の中に声が響いた。
《――残念だったね。あんなに止めようとしたのに、結局止まらなくて》
エイナの頭に響いた、静かで冷たい少女の声。自身を憐れむようなその声を聞いた瞬間、エイナの心に迷いが生じた。
――憎しみと劣等感が、爆発しそうだ。
《君ならいけそう》
再び声が頭に響き、突如エイナは頭痛に見舞われた。頭痛に耐えるため、自身の頭を抱えることしかできないエイナには何が『いけそう』なのかもわからず、ただ同じように頭を抱えるヴァイテとディレイを見つめていた。
「な、何? この気持ち悪い感覚……」
「ぐぅぅぅぅッ!」
ディレイは気持ち悪そうに弱弱しい声を発し、ヴァイテは唸り声を上げながら頭を抱えている。
この場にいる3人が頭痛とともに流し込まれる数々の情報の波に吞まれていく。
憎しみ、悲しみ、恨み……。
流れ込む感情や情報と頭痛は、永遠に続くかのように思えた。
《――? ここ、時間軸と進み方がズレてる?》
頭に響いた困惑の声を最後に、頭痛が引いた。




