六十三話「翔吾、魔法学習を告白す」
咲はいまだに完全な意識ではなかった。まだ、目は十分あいていなかった。
「なあ、咲に何が起こったと思う……?」
吉田が、心配というよりは奇怪な物を見た時の表情で問うた。
僕は、自分にまだ真実を言うべきかどうか迷う心に苦しみながら、もっとも妥当な言葉を見つけ出そうと。
「……悪い奴にそそのかされちまったのさ」
ロデリック。あのしわに満ちた顔の向こう、老獪さを満たす魔術師。
あいつがやったのだ。根拠もなく確信していた。あいつが僕と魔王を狙うのに手段を選ぶはずはない。
「悪い奴が咲をあんなバケモンに異化げたのか? でも、どうやって?」
魔王と三茅がすっかり咲のことで沈黙する間、吉田はべらべらと。
「俺たちは信じられないものを見たよ。咲の姿にしたってそうだ」
「しっ」 そこでこいつを制止してやる。目の前には保健室の扉、窓の向こうには咲が上体を起こしている。
冷静さを幾分か取直しつつあった僕は、あの瞬間の光景に既視感を持ち始めていた。
魔術で、物体の姿を変えることができる――以前にも経験した。……かも。
僕らが保健室に入ると、果たして、咲は茫然自失とした表情。
まだ、現実をきちんと把握しきれていないからなのか。
いや、経験したことを顧えすのが怖いのだろう。
「咲、大丈夫か? 気は確かか?」
魔王は自分のありがた迷惑な気配で咲に何度も顔を近づける。
「元気がないのう」
咲は魔王の焦がれる目つきをゆっくり見すえてから、元気のない口調、
「……いいよ。私なんかが話したところでどうにもならない」
いつもの魔王なら否定する処だろうが、その不安定な精神に自重してか、黙りこむ。三茅も、魔王に従って自分から発言することはなく。
けど僕はそんな咲の腕をとり、厳粛ぶって告げてみる。
「それは許されないんだ」
「え?」
誰かの腕を取るのは慣れてないし、まして異性の腕は触れがたいはず。
この時ばかりは、それを全く正当な行為と思っていた。
僕は咲の腕を握りしめ、さらに迫るのだ。
「今、僕らは予断を許さない状況にあるんだ。頼むけど、臆さずに話してほしい」
咲の顔に影が差す。再び眼もとに恐怖がにじみつつ。
こんなことを堂々と要求する僕もやはり褒められた人間ではない――と責めながら、
「翔吾の言う通りみたいだぜ」
吉田が咲と似た顔つきで言う。
「俺らも見ちまったんだ。お前があんな格好になっちまって襲いかかってきた光景を……」
同情? けれど、吉田も三茅も咲に真実を聴き出したくてたまらないらしい。
「今さら隠しても無駄だぜ」
魔王はそんな場の空気に決して穏やかではない顔つきだったが、これ以外はないといった風に宣告。
「お主が嫌なら我輩も無理じいせぬが、こやつらがみな切望しておるのでな……」
ついに咲は嫌そうな顔で、うつむき加減に話し始める。
「私は喧嘩した後、あのまま学校を出て行ったの。でも門を出た時、あんなことどうして言っちゃったんだろうって後悔して、引返そうとしたら……」
もう、瞳から光が失せている。
いつもは清澄な感じの子であるだけに、こんな顔の咲は明らかに異常だと、言うまでもない。
「変な服装した、年をとった男につかんできて、壁際に連れこんだの。そして『お前には役に立ってもらう』って言われて……呪文みたいな言葉をささやかれた。すると私の体中が熱くなって、痛くなって……」
額を手で抑えつけつつ、何とか言葉を失わないようにと。
「それからはよく覚えてない。気づいたら私は廊下の真中で倒れこんでた……」
咲は、しきりに恐懼しながら僕らを見上げる。
「あれから……何日か経ってたの?」
僕か魔王が話しだそうとした瞬間、吉田が先んじて告げる。
「お前、化物になってたよ。翔吾が退治してくれたおかげで元の姿に戻れたんだ」
「ばけ……もの……」
咲は下に浮かべた両手を眺めつつ、血の気を更に引いて行った。
「翔吾だって呪文みたいな言葉唱えて闘ってたんだぜ! お前にこそ何かあったろうが!」
「よせ吉田、声が大きい!」
魔王が吉田の口をおさえる。
どうしてそこで止めるんだ……! と吉田は腕をゆらすが、魔王は静かに話しだした。
「ああ。お主がいぬ間に色々あってな。我輩はお主のことをなるべく考えぬように過ごさなければならなんだ。何より歌の練習に尽くしておってな」
「そ、それで私も魔王様が音楽部のみんなに受入れてもらうことで必死だったの……!」
だが咲にはそんな日常の話は逆効果らしい。
「だよね。みんな私のことは置いてけぼりだったんだね」
「……そんなことないよ!」
三茅が青白い顔になって反発するが、
「翔吾くんと魔王は人気者だから、私なんていなくても悲しまないんだよね……」
色を失う一同。僕でさえその言葉を無理にでも撤回させたくてならなかった。
しかし、咲の関心はそれより重大なことを言わせる。
「翔吾くん、君が闘ったって……どういうこと?」
「僕が使ったのは、魔術……だ」
みんなの顔が僕の目に向けられる。
「魔術……?」
こんなこと言った所で誰も信じてもらえない。
「ああ。ある人に魔術を教えてもらってるんだ」
妄言と思われて当然。
「多分、咲を化物にしたてた奴も魔法の知識がある。でなきゃ咲がああなった筈もない……」
沈黙していた。
咲は、笑いもせず、怒りもせず、全てが馬鹿馬鹿しいとでも突き放声、
「……翔吾くん、あなたも魔王の妄想に憑かれちゃったの?」
とつぶやく。
「魔王があんな馬鹿みたいな態度でみんなと接してたから嫌々付き合ってたのに……何で翔吾君まで……?」
予期せぬ逆襲に、凍結マギア。
ああ……こいつも同じだ。あの空気について行けなかったんだ。心の奥底ではもう疲れ切っていたのだろう。
素の姿を、ここで晒した。
「……多分、本気かもよ」
三茅がたしなめるみたいに。
「私たちは本当に、翔吾が咲をやっつけた所を観たんだ。それは誰にも否定できない。だから、私は翔吾が嘘をついてるなんて思えない……」
意外なくらい、三茅は僕の話に信憑性を認めている気配らしかった。
多分、咲に腹いせ
「うそ……うそよ……」
咲は顔を覆い、すすり泣き始める。
「勇者、お主の話は真実か?」
僕は面倒くさい気分になった。いっそみんなが堂々と妄想と笑ってくれればそれで良かったのに、その判断をどこかで肯定に向けているとしか思えない雰囲気。
「お前らが決めろよ。お前らに言った所で理解してもらえやしない」
またもや、僕の心に一抹の不安がさす。
言った所で、こいつらは何も変わらない。それなら、言っても言わなくても同じこと……。
吉田は、僕を異物みたいな眼でにらみ続けている。しかし、口は決して笑い飛ばしてない。
「このことは俺たちだけの秘密だ。絶対他の奴らには知らせちゃいけない」
賢明な対応ではあるだろう。
「咲とお前が真実を明かしてくれないからには、な」




