六十四話「ある日、恵との会話」
「そんなことがあったんだ……」
恵との電話がこれで何回目になるか、もう数えることも諦めていた。
「うん。僕の話を本当に受止めてくれたかどうかどうにも疑問だけどね」
恵に対し、僕は隠匿しなかった。魔王が文化祭で歌を歌おうと決意したこと。咲が行方不明になったかと思うと、突然化物に変えられてしまったこと。
僕は、恵になら何でも話せる気がした。魔王とはまた別に意味で、気がおける存在。何よりも僕と同じ、薄闇の星の下に生まれた身分。
話せる、というのは語弊かもしれない。話さなきゃいけないという強迫観念があったからだ。
僕は彼女のためなら尽くせると思いたかった。誰にも貢献しようと決意したことのない僕が唯一、為になってあげたいと欲した人物が彼女だったのだ。
その欲求に気づいた時、僕はそれを勝手な好意だとみなした。そうやって結局は自分が満たされたいだけなんじゃないのかって。
であっても僕はこの心情を否定しきることはできなかった。
「他の奴にはこのことは言ってない。学校中が疑心暗鬼になって可能もしない憶測がまかり通るのは避けたいからな」
世界の危機に関してはさすがに恵にも言っていない。
彼女が知っていることは、人間を化物に変えることのできる力がこの世界のどこかに存在していて、一部の人間がすでに所有しているという事実。
僕自身、その一人である事実を。
「咲ちゃんは大丈夫なの? そんな化物に変身して、何か後遺症は……?」
「いや、さしてそういう気配はない。数日経ったけど、おかしい部分はないね」
魔術をかけられている以上、たとえ変身が解けているとしても油断はできなかった。
エリアーデが言うことには、魔術が解けた人間に同じ魔術は作用しないようだが……。
「笑ってくれよ。僕がこんなことを言わなきゃならない身になってるなんてさ」
急に孤独感が強くなった。すでにクラスで孤立していたような感があったが、こんな馬鹿げた事実を告白する光景があまりにおかしくて、自分でさえあざけりたくなってくる。
そしてその次の恵の返事が、ますます重くて。
「……私は信じるよ。あなたの言うこと。翔吾くんが嘘をつく人間だなんて思えないから」
「あまりに創作話めいてるだろ? よしなよ……」
「翔吾くん以外の人間も知ってるんでしょ? 翔吾くんが咲ちゃんを倒したってこと……」
「ああ。魔術を使ったってちゃんと言ってやったよ。一応僕の正気は疑われなかったようだけどね」
恵は自分から質問しようとはしなかった。こういう件では根ほり葉ほり訊かれたくない、という僕の心を洞察してくれてるみたいだ。
しばらく沈黙があった。僕は今すぐにでもこの通話を切ってしまいたいような、切りたくないような、矛盾した衝動に憑かれていた。
「魔術だって、実在するんだね。おとぎ話だけの存在かと思ってた」
恵のくすくす笑が端末から聞こえる。
まわりは照明を控えているため薄暗い。外ではたまに車の通りかかる音。
すでに宿題は終えてなべてかばんの中。
目の前には壁、マギアが送りつけてきた恵とのツー・ショット、画鋲で張りつけられている。
つい、大声。
「僕も自分が魔術使ってるなんて信じられないよ! まるで自分が架空の世界に入っちゃったみたいな錯覚がある。時間の流れも速いし。でも、……ゲームやってる時みたいな高揚感なんて、ちっとも」
やめろよ、翔吾。お前はこんなことを自慢げに告げる男ではないぞ。
恵になら語れる、とかそんな安易な気の許しは禁じるべきだ。
「……ねえ、私には及びもつかないことがあるみたいね」
恵の声は、でも僕のそんな気配にはさして無関心で。
「私には何もわからない。翔吾くんの心の中なんてのぞけないわけだから。……私には、ね?」
念を推して、強調。
「だ、だよね。僕には何も語れない。恵の心なんて理解し切ってるわけじゃないから……」
怖い。もしかしたら恵はひどく怒っているかもしれない。僕との間、かつて何の秘密もなく交際ってたというのに、僕は今や万人に影を誇示らかした。恵にさえも!
僕はおののいていた。
こんな重大すぎる問題を等閑に伏したままで僕は彼女と話合っているのだ。
恵は震えている僕に、ふと誘った。
「翔吾くん、もし文化祭が始まったら私のこと、連れていってくれない? 魔王ちゃんの歌声が聴きたいの」
これが惰性というものか。恵に合わせる顔なんてあるはずがないのに。きっと恵はしおれた僕に失望するに違いない。魔王との距離は遠くなっていくばかり。
「もちろんだよ!」
僕はまたもや大声で答えた。
「ありがとう。翔吾くんだけが私の……、理解者よ」
不意に恵の言葉が途切れた。きっと僕の道化に感激してるのかも。
◇
僕は教室の隅に立ちつつ、みんなの会話を立聴していた。
「なあ、何があったんだ? 咲は何て言ってたんだ?」
岩井が血走った眼で吉田に詰問める。
吉田は平手を伸ばして断る。
「それはまだ言えない。あいつも現状を冷静に見られる状態じゃないからな」
朱音は吉田の肩をにぎり、
「なら咲に尋問するまでよ」
咲は椅子で肩を下し、机の模様を視線でなぞる。以前に比べるとずっと無口で無気力。
ロデリックに相当な心の傷をえぐられたのは確かだが、それだけじゃないだろう。魔王に無理に合わせていたのが今になって
「それは無理だ。三茅に止められるぞ」
「ふん……」
けど、その三茅も朱音をきつく叱ろうとはしない。咲と激しく喧嘩したのは彼女だからだ。
吉田に名を呼ばれると、朱音に嫌な顔を向けるだけですぐ視線をそむけてしまう。
「だめなのか?」
岩井は右拳をにぎりしめ、なおあきらめず詰寄る。
もうこりごりとでも言う顔で、吉田。
「咲と翔吾が自分から、全てを語ってくれないことにはな……」
僕の名前が呼ばれた。しかし僕の首や頬がゆるぎはしなくて。
「なあ、翔吾」
岩井はそれで僕の方を向いて、またもや白状しろと求める。
残念なことに、懇願されると僕は拒否することができないたち。嫌々ながらも、またもや僕は場の空気、惰性に流されようとして――
そんな僕らの張りつめた空気をぶち乱すかのように、
「勇者! いいことがあったぞ!」
可憐な魔王の笑顔と声が壁を崩して乗り上げてきた。
誰もが、その明るい顔を前に浮かない顔をしたり、目をひき離したりした。




