第3話 帰ってきたら、全部違って見えた
第3話 帰ってきたら、全部違って見えた
森の中を、三人の子供が走っていた。
レオ:「はっ……はっ……!」
ミア:「おにい、ちゃん……もう……」
先頭を走るシロネが振り返る。
レオは腹を押さえ、ミアは今にも転びそうになっている。シロネ自身も息が上がり、左頬から流れた血が顎を伝っていた。
背後から、盗賊たちの怒鳴り声が響く。
盗賊:「探せ! まだ近くにいるぞ!」
シロネ:(このまま走ったら、先にこっちが潰れる)
周囲を見る。
柔らかい地面には三人分の足跡。その先、木々の間には細い沢が流れている。
シロネ:「お兄ちゃん。ミアを連れて、あの沢まで」
レオ:「シロネは?」
シロネ:「すぐ行く。早く!」
レオ:「……分かった! ミア、行くぞ!」
二人が沢へ向かう。
シロネは反対方向へ走った。
柔らかい土をわざと強く踏み、足跡を残す。さらに枝を一本折り、そのまま数歩進んで――。
シロネ:「《隠密》」
気配を薄くする。
木の陰を使って大きく迂回し、レオたちのいる沢へ戻った。
レオ:「何してたんだ?」
シロネ:「追いかける場所を間違えてもらう」
シロネはそのまま水へ入る。
レオ:「あ、足跡か」
シロネ:「うん。しばらく沢を歩くよ」
三人で浅い沢を進む。
やがて遠くから声が聞こえた。
盗賊:「こっちだ! 足跡があるぞ!」
声が遠ざかっていく。
レオ:「……シロネ」
シロネ:「なに?」
レオ:「お前、そんなことどこで覚えたんだ?」
シロネ:「…………」
前世で十年近くアサシンをやっていたから。
――とは言えない。
シロネ:「今は逃げる」
レオ:「また誤魔化したな」
シロネ:「いいから行く」
レオ:「はいはい」
沢から上がった後も、すぐには村を目指さなかった。
なるべく痕跡を残さず進み、何度か方向を変える。
やがてシロネが足を止めた。
レオ:「……どうした?」
シロネは耳を澄ませる。
風。
鳥。
葉が擦れる音。
盗賊の声も、足音もない。
シロネ:「……撒いたと思う」
レオ:「ほんとか!?」
ミア:「おうち、かえれる?」
シロネ:「…………」
周囲を見る。
木。
木。
木。
どこを見ても、同じような森。
シロネ:「…………」
レオ:「シロネ?」
シロネ:「……村、どっち?」
レオ:「え?」
シロネ:「分かんなくなった」
レオ:「お前、さっきまであんなに自信満々だっただろ!」
シロネ:「逃げるのと帰るのは別」
レオ:「そんなのありかよ!?」
ミア:「ミアもわかんない」
三人で顔を見合わせる。
盗賊からは逃げ切った。
――そして、森で迷った。
◆
それから三人は、無闇に歩き回るのをやめた。
沢の近くで身を休めながら、遠くの音を探す。
そのとき。
ミアの耳がぴくりと動いた。
ミア:「……おねえちゃん」
シロネ:「どうしたの?」
ミア:「なんか聞こえる」
シロネも耳を澄ませる。
???:「――ロネー!」
シロネ:「……!」
遠くから声がする。
???:「シロネー! レオー! ミアー!」
レオ:「この声……!」
ミア:「おかあさん!」
ミアが走り出す。
シロネ:「ミア、待って!」
三人で声の方向へ走る。
木々を抜ける。
枝を掻き分ける。
その先に、猫族の大人たちがいた。
先頭を走っていた女性が三人を見つけ、目を見開く。
リナ:「――ミア! レオ! シロネ!」
ミア:「おかあさーん!」
ミアが飛び込む。
リナ:「ミア……! よかった……!」
レオ:「母さん!」
レオも駆け寄る。
シロネは――少し離れた場所で足を止めた。
リナ:「シロネ……?」
リナの服は泥だらけだった。
息を切らし、髪も乱れている。
ずっと自分たちを探していたのだろう。
その顔は、泣いていた。
リナ:「おいで」
シロネ:「…………」
盗賊に殴られても。
刃物を向けられても。
逃げている間も。
ずっと考えていた。
どうすれば逃げられる。
どうすれば三人で帰れる。
それだけだった。
リナ:「シロネ」
シロネ:「……おかあさん」
身体が勝手に動いた。
リナの胸へ飛び込む。
リナ:「シロネ……!」
ぎゅっと抱きしめられた瞬間。
シロネ:「…………っ」
張り詰めていたものが、一気に切れた。
シロネ:「こわ……かった……」
リナ:「うん」
シロネ:「怖かったぁ……!」
リナ:「うん……もう大丈夫。三人とも、よく帰ってきたね」
シロネはリナにしがみついて泣いた。
前世の記憶が戻っても。
戦い方を思い出しても。
今のシロネは、まだ五歳だった。
レオ:「シロネ、めちゃくちゃ泣いてる」
シロネ:「うるさい……!」
レオ:「痛っ! なんで俺蹴るんだよ!」
リナ:「レオ! シロネも! 二人とも怪我してるんだからやめなさい!」
ミア:「えへへ……」
森の中に、少しだけ笑い声が戻った。
◆
村へ帰ると、シロネたちはすぐに手当てを受けた。
レオの腹。
シロネの頭。
そして――左頬。
リナ:「少し染みるよ」
シロネ:「……うん」
傷口を拭われ、シロネの耳がぴくっと震える。
シロネ:「っ……!」
リナ:「我慢、我慢」
シロネ:「してる……」
治療が終わるころには、身体の力が抜けていた。
昨日からまともに休んでいない。
リナ:「今日はもう寝なさい」
シロネ:「でも――」
リナ:「寝る」
シロネ:「……はい」
布団へ入る。
隣には、先に眠ってしまったミア。
レオも横になるなり、すぐに寝息を立て始めた。
シロネ:「…………」
二人ともいる。
ちゃんと、生きている。
シロネはそれを確認すると、目を閉じた。
今度こそ――家に帰ってきた。
◆
翌朝。
シロネは布団の上で目を開けた。
左頬がずきりと痛む。
シロネ:「……痛い」
昨日の出来事は夢ではない。
そして。
頭の中にある、もう一つの人生も消えていなかった。
九重 白音。
日本で生まれ、一つのフルダイブ型VRMMOを十年近く遊び続けた。
メインストーリー。
隠しクエスト。
重要NPC。
ダンジョン。
レアアイテム。
職業。
スキル。
攻略情報。
暇があれば調べ、試し、効率のいい方法を探していた。
その記憶が、今のシロネの中にある。
シロネ:(まず確認しよう)
昨日は生き残ることで精一杯だった。
でも、これからは違う。
ここがどこなのか。
自分が何者なのか。
何が使えて、何が使えないのか。
知らなければ、攻略のしようがない。
◆
朝食を終えると、シロネは村を歩き始めた。
リナ:「シロネ。今日は遠くに行っちゃ駄目よ」
シロネ:「うん。村の中だけ」
リナ:「傷が痛くなったら、すぐ帰ってくるのよ」
シロネ:「はーい」
まず確認するのは――猫族。
耳。
尻尾。
小柄な身体。
村中を歩いているのは、シロネが五年間ずっと見てきた猫族たちだ。
だが今は、その姿に別の記憶が重なる。
シロネ:(……いた)
前世のゲームにも、猫族は存在した。
能力値は全体的に低め。
特に正面戦闘では不遇寄り。
その代わり見た目の人気は高く、プレイヤーからは愛玩枠だのマスコット枠だの言われていた。
シロネ:(私、猫族そんなに調べてなかったんだよね……)
自分が使っていた種族でもない。
重要な攻略対象でもなかった。
だから細かい歴史までは覚えていない。
それでも――。
同じだ。
シロネは村をさらに歩く。
海から戻ってきた漁師たちが魚を運んでいる。
シロネ:「それ、いっぱい獲れたの?」
漁師:「おう。今日は悪くないぞ」
シロネ:「全部食べるの?」
漁師:「まさか。納める分を先に分けないとな」
シロネ:「どこに?」
漁師:「魔王国だよ。ここは魔王様の治める魔族領なんだからな」
シロネ:「…………」
魔王。
魔族領。
それも知っている。
シロネ:(偶然……にしては、重なりすぎ)
昨日使った《隠密》《俊足》《幻惑》も、ゲームに存在した。
猫族もいる。
魔王国もある。
それでも、まだ決めつけない。
似た世界という可能性だってある。
欲しいのは、もっと明確な証拠。
シロネは村人たちに話を聞いて回った。
近くにはどんな種族がいるのか。
人族はいるのか。
魔王国とは何なのか。
五歳児が質問攻めにしても、大人たちはそこまで不審には思わない。
シロネ:(子供のふりをして聞けば――)
少し考える。
シロネ:(……いや、私、子供だった)
そのまま調査を続ける。
そして最後に、広場で休んでいた年配の猫族へ尋ねた。
シロネ:「ねえ、今って何年?」
老人:「なんだシロネ。急にどうした?」
シロネ:「知りたい」
老人:「今年は魔歴1230年だよ」
シロネ:「…………」
止まった。
老人:「シロネ?」
魔歴。
その暦も知っている。
そして――その数字には、もっと大きな意味があった。
シロネが遊んでいたゲーム。
そのメインストーリーが始まる年は。
**魔歴1240年。**
シロネ:(……10年前)
耳がぴんっと立つ。
シロネ:(なななっ!?)
ゲーム本編開始まで10年。
シロネ:(そこまで前なの!?)
ようやく分かった。
ここは、自分が知っているゲームの世界でほぼ間違いない。
ただし。
シロネ:(まずいな)
白音が詳しかったのは、ゲームとして遊べた時代だ。
魔歴1240年以降。
その十年前に、どの村で何が起きていたか。
誰がどこにいたのか。
何が発見され、何がまだ発見されていないのか。
そこまで全部知っているわけではない。
シロネ:(知ってる世界だけど……知ってる時代じゃない)
ゲーム知識は使える。
だが、攻略本どおりに動けば全部解決――とはいかない。
それに。
シロネは左頬の傷に触れる。
昨日、嫌というほど思い知った。
ここでは失敗してもやり直せない。
死んだら終わり。
レオも。
ミアも。
リナも。
ゲームのNPCではない。
シロネにとっては――家族だ。
◆
シロネは村の入口近くで足を止めた。
昨日までなら、何とも思わなかった景色。
低い柵。
簡素な見張り台。
粗末な武器を持つ猫族たち。
前世の知識を取り戻した今では、見え方が違う。
シロネ:(……弱い)
盗賊が村まで来ていたら。
もっと強い敵だったら。
昨日のように、自分が間に合わなかったら。
シロネは自分の小さな手を見る。
五歳。
身体も弱い。
スキルの詳細すら分からない。
できることは、まだ少ない。
だったら。
シロネ:(増やせばいい)
自分が強くなる。
家族を守れるようになる。
そしてできるなら――家族が暮らしているこの場所そのものを、簡単には壊されない場所にする。
そのためには、ゲーム知識を使う。
知っていることは利用する。
知らないことは調べる。
違っていたら修正する。
シロネ:(使えるものは、全部使う)
方針は決まった。
問題は、何から始めるか。
レベル。
職業。
スキル。
装備。
調べたいものはいくらでもある。
だが、今のシロネには致命的に足りないものがある。
シロネ:「…………」
自分自身の情報すら、まともに確認できない。
だったら最初に取るものは決まっている。
ゲーム序盤。
新しい土地。
知らないアイテム。
未知の敵。
情報を集めるなら、何度も世話になった。
あのスキル。
シロネの口元が、少しだけ上がった。
シロネ:(よし)
取得方法も覚えている。
難しい条件ではない。
五歳の自分でも――たぶんできる。
シロネ:(まずは――あのスキルを取ろう)
**第3話 終**
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