第2話 五歳児、盗賊を攻略する
第2話 盗賊を攻略する
背後で、木箱が乱暴に押し退けられた。
盗賊:「クソガキども……!」
さっき縄に足を取られて転倒した男が、額に青筋を浮かべながら立ち上がる。
レオ:「シロネ!」
シロネは盗賊から奪った短剣を握ったまま、レオとミアの前へ出た。
シロネ:「二人とも、私から離れないで」
ミア:「おねえちゃん……?」
シロネ:「大丈夫」
そう言いながら、シロネは男を見る。
大丈夫。
――ではない。
相手は成人男性。
こちらは五歳、七歳、三歳。
レオは腹を蹴られて負傷している。自分も顔を殴られ、壁に叩きつけられた。
使えることが分かった能力は三つ。
《隠密》。
《幻惑》。
《俊足》。
でも、どれも仕様が分からない。
特に《俊足》は、さっきもう一度使おうとして発動しなかった。
シロネ:(連続使用不可……たぶん、再使用まで時間が必要)
ゲームならクールタイムを確認すればいい。
でも今は、数字もアイコンも表示されていない。
何秒なのか。
そもそも本当にクールタイムなのか。
何も分からない。
《幻惑》も同じ。
使った瞬間、身体の奥から何かが抜けるような感覚があった。
シロネ:(乱用はなし)
使えるか分からない能力を前提に作戦を組む。
そんなものは攻略じゃない。
ただの運任せだ。
盗賊:「ナメた真似しやがって……!」
男が一歩踏み出す。
シロネは短剣を構えた。
シロネ:(真正面からは無理)
前世なら。
ゲームの中で育て上げたアサシンなら、この程度の相手は敵ですらなかった。
でも――今の身体は五歳。
頭では相手の動きが見える。
どこへ踏み込むか。
どちらの腕を使うか。
どこへ重心が動くか。
全部分かる。
それでも、身体が追いつかない。
盗賊:「まずはてめぇからだ!」
男がシロネへ踏み込んだ。
シロネ:「……っ」
避ける。
そう判断した瞬間――。
レオ:「シロネから離れろ!」
シロネ:「お兄ちゃん!?」
レオが横から飛び込んだ。
腹を押さえながら、それでも盗賊の足元へ身体を滑り込ませる。
盗賊:「あぁ!?」
男の足がレオに引っかかった。
体勢が崩れる。
盗賊:「うおっ――!」
ドンッ!!
男が荷台へ倒れ込む。
レオ:「今だ、シロネ!」
シロネ:「――!」
考えるより早く、前世の経験が答えを出した。
転倒。
脚が無防備。
短剣を握っている。
殺すなら――首。
シロネの視線が一瞬だけ男の喉を捉える。
でも。
シロネ:(殺す必要はない)
一人殺せば、残った連中がどう動くか分からない。
逆上するかもしれない。
執拗に追ってくるかもしれない。
今の目的は盗賊退治じゃない。
**三人で帰ること。**
なら。
シロネ:(追えなくすればいい)
ザクッ!!
盗賊:「ぐあああああっ!!」
短剣が男の脚へ突き刺さった。
レオ:「……!」
ミア:「ひっ……!」
シロネは躊躇しない。
短剣を引き抜き、すぐに距離を取る。
盗賊:「あああっ! 脚っ……俺の脚ぃっ……!」
男が傷口を押さえて転げ回る。
シロネはそれ以上攻撃しなかった。
シロネ:(一人)
これなら、すぐには追ってこられない。
レオが呆然とシロネを見る。
レオ:「シロネ……お前……」
シロネ:「お兄ちゃん、立てる?」
レオ:「え? あ、ああ……」
シロネ:「じゃあ行くよ」
レオ:「いや、今の――」
シロネ:「後」
シロネは荷馬車の出口を見る。
男の悲鳴は当然、外にも聞こえていた。
盗賊:「ぐあああっ! クソッ、クソガキがぁ!!」
外から声がする。
盗賊:「おい! どうした!?」
シロネ:「来る」
レオ:「え?」
シロネ:「ミア」
ミア:「……っ」
シロネ:「私の服、掴んで」
ミア:「う、うん!」
小さな手がシロネの服を強く掴む。
シロネ:「絶対離さないで」
ミア:「うん……!」
シロネは短剣を握り直した。
荷馬車の外から足音。
近づいてくる。
シロネ:(一人)
少なくとも、今こちらへ来ている足音は一人。
なら――。
シロネ:「……《隠密》」
意識が沈むような、不思議な感覚。
姿が消えたわけではない。
でも、自分という存在が周囲から一段遠ざかったような感覚がする。
シロネは荷台の出口脇へ身体を寄せた。
盗賊:「おい! 何があった!」
別の男が荷台を覗き込む。
その視線は、床で脚を押さえている仲間へ真っ先に向かった。
盗賊:「おい! 大丈夫か!?」
盗賊:「ガキ……ガキが……!」
男が荷台へ乗り込む。
シロネは動かない。
まだ。
一歩。
二歩。
男が負傷した仲間へ近づく。
盗賊:「どこやられた!?」
まだ。
男の身体がシロネの横を通過する。
背中。
死角。
脚。
シロネ:(今)
低く踏み込む。
男が振り返る。
盗賊:「――あ?」
遅い。
ザクッ!!
盗賊:「いってぇぇぇぇぇ!!」
今度も脚。
深く刺して、すぐ抜く。
盗賊:「な、なんだ!? どこから――!」
シロネ:「走って!」
レオ:「お、おう!」
ミア:「うん!」
三人が一気に荷台から飛び出した。
◆
地面へ降りた瞬間、シロネの視界が大きく広がる。
道。
木々。
知らない景色。
どこなのか分からない。
でも今は確認している暇なんてない。
シロネ:「こっち!」
シロネが走り出す。
レオがミアの手を掴んで続く。
レオ:「ミア、走れ!」
ミア:「う、うんっ……!」
後ろから怒鳴り声。
盗賊:「待て!!」
シロネ:「……!」
もう一人。
シロネは振り返らない。
声の位置。
足音。
距離。
それだけを聞く。
盗賊:「クソガキども! 止まりやがれ!」
足音が近づく。
当然だ。
成人男性と子供。
普通に走れば勝負にならない。
シロネ:(《俊足》)
使える?
試す。
シロネ:「《俊足》」
――何も起きない。
シロネ:(まだ)
そのまま走る。
レオ:「シロネ! 追いつかれるぞ!」
シロネ:「分かってる!」
盗賊:「捕まえたらタダじゃおかねぇぞ!」
距離が縮まる。
シロネは周囲を見る。
レオ。
腹を押さえながら走っている。
ミア。
必死に小さな足を動かしている。
この二人を置いて自分だけ加速しても意味がない。
シロネ:(考えて)
何がある。
木。
道。
石。
草。
短剣。
《隠密》。
《幻惑》。
《俊足》はまだ使えない。
シロネ:(使えるものだけ)
それで十分。
シロネ:「お兄ちゃん!」
レオ:「なんだ!」
シロネ:「ミアお願い!」
レオ:「え!?」
シロネが急に方向を変える。
レオ:「シロネ!?」
シロネ:「そのまま走って!」
レオ:「でも!」
シロネ:「早く!」
一瞬、レオが迷う。
だが、ミアの手を握り直した。
レオ:「……分かった! ミア、行くぞ!」
ミア:「おねえちゃん!」
シロネ:「すぐ行く!」
二人と離れる。
盗賊:「あぁ!?」
追っていた男の視線がシロネへ向く。
盗賊:「てめぇ……!」
シロネ:(そう)
こっちを見ろ。
狙うなら私。
シロネは木々の間へ走り込んだ。
盗賊:「待ちやがれ!」
男も追ってくる。
シロネ:(速い)
身体能力差は大きい。
それでも、森の中なら直線速度だけでは決まらない。
木の位置。
根。
地面の凹凸。
相手の足運び。
全部見る。
シロネは木の脇をすり抜ける。
盗賊が追う。
シロネは地面から突き出した根を飛び越える。
盗賊:「チッ!」
男も越える。
シロネ:(ゲームなら楽なんだけど)
身体が重い。
呼吸が荒い。
頬も痛い。
頭も痛い。
何より――脚が短い。
シロネ:(五歳って不便……!)
後ろから腕が伸びる。
シロネ:「っ!」
身体を沈める。
ブンッ!
頭上を男の手が通る。
盗賊:「ちょこまかと!」
シロネは振り向きざま、短剣を振る。
男が腕を引く。
盗賊:「危ねぇな!」
シロネ:(やっぱり届かない)
リーチが違いすぎる。
まともに打ち合えば負ける。
なら、打ち合わない。
シロネは再び距離を取る。
盗賊:「逃がすか!」
男が踏み込む。
その瞬間。
シロネ:「……《幻惑》」
盗賊:「――!?」
男が突然、右を見る。
ほんの一瞬。
それだけ。
シロネ:「っ……」
同時に、身体の奥が少し重くなる。
まただ。
シロネ:(やっぱり何か減ってる)
何なのかは分からない。
だから、もう使わない。
今は一回で十分。
シロネは男の横を抜ける。
盗賊:「てめぇ!」
男が振り返る。
シロネ:「《俊足》」
――ダッ!
シロネ:「!」
発動した。
身体が一気に前へ飛ぶ。
シロネ:(使えた)
さっきは使えなかった。
今は使えた。
シロネ:(再使用まで時間が必要)
何秒?
分からない。
感覚だけでは正確に測れない。
シロネ:(後で調べる)
今は――逃げる。
高速で木々の間を抜ける。
ただし数歩で速度を落とす。
シロネ:「はっ……はっ……」
やっぱり身体が追いつかない。
それでも十分。
距離は稼げた。
盗賊:「どこに行きやがった!!」
男の怒声が響く。
シロネは木の陰へ身体を滑り込ませる。
息を抑える。
シロネ:「……《隠密》」
存在感を落とす。
男が走ってくる。
盗賊:「出てこい!!」
シロネは動かない。
男の視線が木々の間を走る。
盗賊:「クソッ……!」
見つかっていない。
シロネ:(このままやり過ごす)
そして男が通り過ぎたら、レオとミアに合流する。
それでいい。
戦う必要はない。
シロネ:(よし)
そのとき。
遠くから――。
ミア:「お、おねえちゃん……!」
シロネ:「――!」
心臓が跳ねる。
盗賊も声を聞いた。
盗賊:「…………あ?」
男が振り返る。
シロネ:(ミア……!)
レオとミアが見える。
二人ともまだ逃げている。
だがレオは腹を蹴られている。
速度が落ちていた。
ミアも三歳。
当然、速く走れるわけがない。
盗賊:「……いた」
男が笑う。
シロネ:「……っ」
盗賊:「てめぇが出てこねぇなら――」
男が方向を変える。
シロネ:「待って!」
盗賊:「あっちから殺すか!」
走り出す。
シロネも木陰から飛び出した。
シロネ:「《俊足》!」
――発動しない。
シロネ:「っ!」
まだ。
シロネ:(間に合わない)
盗賊とミアの距離が縮まる。
レオ:「ミア! 走れ!」
ミア:「お、おにいちゃん……!」
レオが前へ出ようとする。
でも腹の痛みで動きが鈍い。
盗賊が追いつく。
その手にはナイフ。
レオ:「やめろ!!」
盗賊:「まず一匹――!」
ナイフが振り上げられる。
ミア:「……っ!」
シロネ:「ミア!!」
走る。
もっと速く。
動け。
シロネ:(間に合わない)
頭では分かる。
距離。
速度。
タイミング。
このままじゃ――間に合わない。
だったら。
シロネは地面を蹴った。
ミア:「おねえちゃん!?」
小さな身体が、ミアと刃の間へ飛び込む。
ザクッ――。
シロネ:「――っ!」
左頬に、熱い線が走った。
ほんの一瞬。
赤い血が宙へ飛ぶ。
ミア:「……おねえ、ちゃん……?」
ぽたっ。
シロネの頬から血が落ちる。
盗賊:「な――」
シロネ:「…………」
痛い。
焼けるように痛い。
でも――。
ミアは無傷。
それを確認した瞬間、シロネの金色の瞳が盗賊へ向いた。
シロネ:(よかった)
そして次の瞬間には、もう相手の体勢を見ていた。
腕を振り切っている。
重心が前。
脇が開いている。
視線はシロネの顔。
完全に――無防備。
シロネ:(隙だらけ)
シロネは踏み込んだ。
盗賊:「なっ――」
短剣の柄を握り直す。
狙うのは急所じゃない。
逃げるために必要な一撃。
ドッ!!
盗賊:「ぐっ――!?」
シロネの一撃が男の身体へ入る。
男の体勢が大きく崩れる。
シロネは止まらない。
足。
逃げるために邪魔になる場所。
ザクッ!
盗賊:「いってぇぇぇぇぇぇ!!」
男が地面へ倒れ込む。
シロネ:「お兄ちゃん!」
レオ:「……!」
シロネ:「ミア連れて走って!」
レオ:「でも、お前の顔――!」
シロネ:「今はいい!」
レオ:「血出てるぞ!」
シロネ:「死なない!」
レオ:「……!」
シロネ:「だから走る!」
ミア:「おねえちゃん……血……」
シロネ:「ミア」
シロネは血の流れる左頬を押さえることもせず、妹を見る。
シロネ:「大丈夫」
ミア:「でも……」
シロネ:「ミアが無事なら大丈夫」
ミアの目から涙が溢れる。
ミア:「……うぅ……」
シロネ:「泣くのは帰ってから」
ミア:「……うんっ……!」
後ろでは盗賊が脚を押さえて呻いている。
盗賊:「クソ……ガキ……!」
シロネは一瞬だけ振り返った。
殺そうと思えば、できる。
今なら動けない。
喉を狙えば終わる。
でも。
シロネ:(必要ない)
目的は変わっていない。
敵を倒すことじゃない。
盗賊を全滅させることでもない。
自分が強いと証明することでもない。
シロネはレオとミアを見る。
**三人で帰る。**
それだけ。
シロネ:「行くよ」
レオ:「……ああ!」
ミア:「うん!」
三人が走り出す。
知らない道。
知らない森。
どこへ向かえば家に帰れるのかも分からない。
左頬は痛い。
頭も痛い。
身体は重い。
それでもシロネは走る。
前世では、一人で攻略するのが好きだった。
一人なら好きなところへ行ける。
失敗しても誰にも迷惑をかけない。
自分だけなら、もっと簡単だった。
でも今は。
シロネの前を走るレオ。
必死についてくるミア。
一人じゃない。
だから――。
シロネ:(一人の時と同じ攻略じゃ、ダメなんだ)
その事実を、シロネは初めて知った。
背後から盗賊の怒鳴り声が聞こえる。
盗賊:「逃げられると思うなよ!!」
シロネは振り返らない。
シロネ:「お兄ちゃん、ミア!」
二人がシロネを見る。
シロネ:「絶対、帰るよ」
レオ:「当たり前だ!」
ミア:「……うん!」
血の流れる左頬。
小さな手に握られた、盗賊の短剣。
五歳の少女は兄と妹を連れ――。
盗賊たちの追跡から、さらに森の奥へと走っていった。
**まだ、攻略は終わっていない。**
第2話 終
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