第3話 青白い石
アルヴァンは、村長の家で朝を迎えた。
窓の外は薄曇りだった。昨夜の雪が地面に薄く残っている。
朝の冷気に顔を洗われるような感覚がして、アルヴァンは息を吐いた。
「寒いな……」
昨日のうちに、アルヴァンは村長へ一つだけ指示を出していた。
子供と病人の飲み水を、しばらく別にすること。
井戸を使うなとは言わなかった。まだ、原因が水だと決まったわけではない。ただ、疑わしいものを一つ減らしてみる。それだけだった。
いきなり井戸を使うなというのは、我ながら失敗だった。
突然領主になった身で不慣れとはいえ、命令ひとつで村を混乱させるところであった事を自覚し、反省する。
朝になると、村の中央には大きな桶が並べられていた。各家の女達が水汲みに集まっている。
「言われた通り、子供や病人の分は別の井戸から運ばせています」
村長が言った。
「症状は?」
「今のところ、悪くなった子はいません」
「良くなった子は?」
「一人、朝食を食べられました」
アルヴァンは頷いた。
たった一人。しかも一晩だけ。
これだけでは何も分からない。だが、観察する価値はある。
「セレネは?」
「礼拝所です」
「行ってくる」
*
礼拝所と呼ぶには、小さな建物だった。
村外れにあるそれは、数人が祈れるぐらいのスペースと、隣接した一室に簡素な寝台が一つ。薬草を乾燥させる棚、包帯、いくつかの薬瓶。そして、壁際に置かれた小さな祭具。
セレネが一人の少年の手を取っていた。
「昨日より顔色がいいですね」
「水を変えたからか?」
「まだ何とも」
セレネは少年の腹部に手を当てた。淡い光が指先から漏れる。
少年が少しだけ身じろぎした。
「痛みはどうです?」
「……昨日より、へった」
「食事は取れました?」
「お粥を少し」
セレネが頷く。
アルヴァンは黙ってその様子を見ていた。
治癒術。
前世でいう医療行為とは、かなり違う。
だが、患者を診て、症状を確認し、必要なら治療する。
やっていることの一部は、確かに似ている。
「その術式で、何を見ている?」
「症状の程度です」
「病気そのものは分からない?」
「ある程度は」
セレネは少年から手を離した。
「治癒術は、身体の異常を魔力の乱れとして捉えます。ですが、原因まで分かるわけではありません」
「原因が水なのか、食事なのか、それとも別のものなのかは?」
「私には判断できません」
アルヴァンは頷いた。
それなら、やはり調べるしかない。
治せる。しかし、なぜ病気になったのかまでは分からない。
その違いは大きい。
*
診療を終えると、セレネは村はずれの井戸へ向かった。礼拝所からはこちらの方が近い。
アルヴァンもついてゆく。
井戸の脇には、金属製の箱があった。
「これだな」
「はい」
セレネが蓋を開ける。
中には青白い魔石が一つ。それは鮮やかな色をしていた。
「この魔石で浄化術式を動かしているのか?」
「そうです」
「ずっと使えるのか?」
「いえ、だいたい一年ほどです。水の状態や使用量によって変わります」
確認を終えると、村の中央の井戸に向かう。
もう一つの井戸のものは、くすんで見えた。
アルヴァンは魔石を覗き込んだ。表面には細かな亀裂が走っている。
「これは普通なのか?」
「使用による劣化です」
「交換時期は?」
「春です」
今は雪の降り始めだ。つまり、この魔石はまだしばらく使う予定だった。
「腹下しが増えたのは夏の終わりだったな」
「はい」
「そのとき、この魔石は?」
セレネが魔石を見る。
「……かなり消耗していたと思います」
「でも交換しなかった?」
「交換予定は春ですから」
「予定より早く交換することはできないのか?」
「できます」
「じゃあ、なぜ?」
セレネは答えなかった。
代わりに村長が口を挟む。
「交換には費用がかかりますので」
アルヴァンは村長を見る。
「いくらだ?」
「魔石そのものなら、金貨一枚」
「ふむ」
「術式の調整費も含めれば、もう少しかかります」
アルヴァンは考えた。
金貨一枚。
この世界の物価感覚はまだ完全には分からない。
そこで尋ねる。
「村の収入は?」
村長が困った顔をする。
「年によります」
「去年は?」
「税を納めた後に残ったのは……金貨十五枚ほどだったかと」
そのうち一枚。もう一つの井戸があるから年間二枚か。しかも魔石だけ。
村にとっては小さくない。
「だから春まで待つのか」
「はい」
セレネが静かに答えた。
「教会も、すべての村に常に新しい魔石を用意できるわけではありません」
セレネは少しだけ目を伏せた。
アルヴァンは井戸を見る。
水は澄んでいる。術式も動いている。魔石も完全に壊れているわけではない。
だから、誰も異常だとは思わなかった。
けれど。
少しずつ弱っている。そして、誰かが病気になる。
それでも村は、春まで待つ。
「交換しよう」
アルヴァンが言った。
村長が顔を上げる。
「ですが……」
「領主として払う」
「よろしいのですか?」
「よくないなら、どうするというのだ?」
村長は黙った。
「春まで待って、また子供が病気になったら?」
答えはない。
「それなら、今交換した方がいい」
アルヴァンはセレネを見る。
「教会に予備はあるか?」
「領都にならあるとは思いますが、司祭様の許可が必要です」
「なら許可を取ってくれ」
「……分かりました」
セレネが頷く。
*
昼を過ぎた頃、アルヴァンたちは領都へ戻ることになった。
馬車の中で、アルヴァンは窓の外を眺めていた。
昨日までは、魔石というものを便利なエネルギー源くらいに考えていた。
魔物を倒せば採れる。魔導具を動かせる。治癒術にも使われる。それだけだと思っていた。
だが、違う。
この小さな村では、魔石一つが水を飲めるかどうかを左右している。
そして、その魔石を誰が交換するかで、人の命に差が生まれている。
「アルヴァン様、よろしいですか」
向かいのガルドが声をかける。
「何だ?」
「ラーデ村の魔石交換について、なぜ領主家が費用を負担するのでしょうか」
アルヴァンは眉を上げた。
「それは俺の領地だからだ」
「ただ」
ガルドが続ける。
「一度それを認めると、他の村からも同じ要望が出る可能性があります」
アルヴァンは黙った。
その意味が分かる。ラーデ村だけで済む話ではない。
領地には同じような規模の村が十四ある。それより小さな村も。
井戸も一つではない。同じように魔石を使った設備が、それぞれの村にある。
「他の村でも、同じような問題が起きていると思うか?」
「記録上は、魔石交換の遅延が何件かあります」
「何件だ?」
「確認してみなければ分かりません」
「……そうか」
アルヴァンは背もたれに身体を預けた。
昨日、ラーデ村で見つけたのは一つの井戸だった。だが、もし同じことが他の村でも起きているなら。
これは井戸一つの話ではない。
*
翌朝、アルヴァンは教会へ向かった。
教会は領都の中央広場に面していた。
大きな建物だった。白い石壁。高い鐘楼。正面には、この国で広く信仰されている女神の像が立っている。
その前を、何人もの人間が行き交っていた。
病人。怪我人。祈りに来た者。そして、治療を受けるために寄付金を持ってきた者。
アルヴァンは足を止めた。
一人の老人が、受付で何かを話している。
「……それだけしか……」
「申し訳ありません。規定の額に届いておりませんので」
「あと少しだけ待ってもらえませんか。孫が……」
「司祭様に確認します」
老人が俯く。
アルヴァンは何も言わなかった。
ここで口を挟むべきではない。
まだ、何も知らない。
ただ。
昨日まで知らなかった世界の仕組みが、少しずつ見えてきている。
水。魔石。教会。金。病気。
それらは別々の問題に見えて、どこかで繋がっている。
「アルヴァン様、司祭様がお待ちです」
セレネが呼ぶ。
アルヴァンは顔を上げた。
まずはラーデ村の魔石を交換する。それだけのつもりだった。
だが、そのためには教会と話をしなければならないらしい。
「分かった」
アルヴァンは教会の奥へ歩き出した。




