第27話 領軍
翌朝。
アルヴァンは執務室に広げた地図を眺めていた。
昨日、ローディンが持ち帰った報告書も、その脇に置かれている。
魔物の増加。生活圏への接近。広い範囲に散らばった痕跡。
そして、冒険者だけでは抑えきれないという判断。
もう迷う理由はなかった。
「ガルド、領軍隊長を呼んでくれ」
「承知しました」
ガルドが部屋を出ていく。
しばらくして、扉が叩かれた。
「入れ」
「失礼します」
入ってきた男は三十代後半ほど。
簡素な軍装に身を包み、無駄のない動きでアルヴァンの前まで進む。
領軍隊長、ラウル・ヘルマンだ。
「呼び立ててすまない」
「構いません。ご用件を」
ラウルはアルヴァンの前で立ったまま答えた。
アルヴァンは地図へ目を落とす。
「ベルク村近くの集落についてだ」
指で場所を示す。
「この一帯で、魔物の活動が異常に増えている。昨日、冒険者に現地を確認させた」
「現地の状況は?」
「複数の魔物が広い範囲に出ている。畑や集落の近くまで来ているそうだ。山へ戻る様子も薄い」
ラウルが地図を覗き込む。
「被害の程度は」
「危険な状況だ。討伐した場所から、別の魔物が入り込む。住民や冒険者だけで継続して抑えるのは難しいとのことだ」
「……なるほど」
ラウルはしばらく地図を見た。
「たしかに、領軍を出す必要があるかと」
「ああ」
アルヴァンは頷いた。
「ベルク村の北東側を重点的に押さえてほしい」
「どの程度まで?」
「そこは君に任せる。殲滅が無理でも、できるだけ減らしてくれ。兵の配置や進め方は任せる」
「承知しました」
ラウルは地図へ視線を戻した。
「ただ、この規模なら一度の討伐で終わらせるのは難しいでしょう」
「そうか」
「山の奥まで全て潰す事は現実的ではありません。ですが、生活圏へ下りてくる魔物を放置するわけにはいかない」
ラウルは集落と街道の位置を確認する。
「まずは集落周辺と街道を守る。そのうえで、山際の出現地点を順に叩きます」
「どこまで?」
「魔物の出方次第です。危険な場所は継続して間引く必要があります。一度減らして終わり、ではなく、何度か繰り返す前提で考えます」
「頼む」
アルヴァンは頷いた。
ガルドが口を挟む。
「兵の数については?」
「全兵力は出せません」
ラウルが答えた。
「領都の守りを残す必要があります。門も、巡回もありますから」
「どの程度を回せそうだ?」
「二部隊を出します。現地の状況に応じて交代を入れます」
「分かった」
アルヴァンは答えた。
「民兵は?」
ガルドが尋ねる。
ラウルは首を横に振った。
「今回は必要ないでしょう」
「少なくて大丈夫なのか?」
「問題は兵の数だけではありません。病気が広がっている状況です。村から人を集めて動かすのは避けた方がいい」
アルヴァンも頷いた。
「俺もそう考えている」
村から人を引き抜かなくても、やれることはある。
まずは常備兵を使って、危険な地域を押さえる。
「領内全域の討伐は、冒険者に続けてもらう」
「承知しました」
ガルドが頷く。
「重点地域は領軍。その他は、これまで通りだ」
「その形で進めます」
ラウルは一礼した。
「では、準備に入ります。二日で出立できるかと」
「わかった。頼む」
ラウルが部屋を出ていく。
アルヴァンは地図の上へ視線を落とした。
病気が広がった背景には、人の移動がある。
だが、その動きを生んだものがある。
魔物の異常な増加。
この地域で何が起きているのかは、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは、同じ場所で魔物が増え続けている以上、放置することはできないということだった。
この一帯の魔物を抑える。それが、今できる対策の一つだった。
領軍が動けば、状況はきっと変わる。
*
領軍が動くことを決めた二日後。
アルヴァンは、領主館の執務室でエリオットから出発の報告を受けていた。
「ラウル隊長率いる部隊は、今朝、領都を出ました」
「分かった」
エリオットが記録を確認する。
「問題の集落までは、本日中に到着予定です」
「そうか」
アルヴァンは地図へ目を落とした。
ベルク村の東にある集落。そのさらに北側。
ローディンが確認してきた地域。
地図の上では指先で辿れる距離でも、実際にはそうはいかない。
人が歩き、馬を進め、荷を運ぶ。
領都から現地まで、部隊で移動するなら片道で一日はかかる。
「向こうから報告が届くまで、こちらからは何も分からないな」
「はい。途中で使いを出すことはできますが、頻繁には」
「いい。現地の判断は、ラウルに任せている」
「承知しました」
アルヴァンは地図から目を離した。
領軍を送り出した。あとは、結果を待つ。
それまでの間も、領地の時間は止まらない。
*
翌日。
山際へ近づいたラウルたちは、問題の集落を遠くに望める場所まで来ていた。
集落の周囲には畑が広がっている。その先に山。人の暮らす場所と山との境目は、思っていたより近い。
「ここから先です」
先行していた兵士が告げる。
ラウルは馬を降りた。
道端の土に、いくつもの跡が残っている。一つではない。大きさも形も違う。新しいものもあれば、少し古いものもある。
「……確かに多いな」
ローディンの報告を思い出す。
魔物が増えている。複数の種類がいる。山だけに留まっているわけではない。
そして、人の暮らす場所まで出てきている。
ラウルは山際を見た。
「まず、この周辺を押さえる」
兵士たちが動く。
前衛を置き、後方に弓を持つ者を配置する。さらに少し離れたところに予備の兵を置く。
大掛かりな陣を敷くわけではない。
だが、個々の冒険者がそれぞれ魔物を追うのとは違う。一定の範囲を部隊で押さえる。
それが今回の役目だった。
「来ます」
前方から声がした。
木々の向こうが揺れる。
一匹、二匹。
少し遅れて、さらに別の魔物が姿を現した。
「構え!」
ラウルの声に、兵士たちが盾を上げた。
魔物が駆けてくる。
「放て!」
後方から矢が飛んだ。一匹が足を止める。
その隙に前衛が踏み込んだ。
盾がぶつかる。魔物の突進が止まった。
左右から槍が伸びる。
一度。二度。
魔物が身を捻ったところへ、別の兵士が回り込んだ。
逃げ道を塞ぐ。
数人がかりで動きを抑え、そのまま倒した。
「左!」
別の魔物が横へ回ろうとしていた。
だが、そこにも兵士がいる。
盾を並べ、進路を塞ぐ。後方から矢が飛ぶ。
魔物が怯んだところへ槍が入った。
倒れる。
「前方、もう一体!」
今度は少し大きい。
正面から受けた兵士が押される。
「下がれ!」
ラウルの声。
兵士が一歩引く。
すぐに後ろから二人、別の兵士が入った。
さらに横から一人。
魔物の動きを止める。
「今だ!」
槍が突き込まれた。
魔物が大きく身体を揺らし、そのまま地面へ倒れ込んだ。
土煙が上がる。
「周囲を確認!」
ラウルが叫ぶ。
兵士たちが周囲へ目を向ける。
まだ何匹かいる。だが、散発的だった。
別方向から現れた魔物を、部隊が一つずつ処理していく。
戦いは長く続かなかった。
やがて、山際に静けさが戻る。
「負傷者は?」
「軽傷が二名です」
「手当てを」
「はい」
ラウルは周囲を見渡した。
倒した魔物は、それなりの数になっている。
だが、山の奥にはまだ気配がある。
「追撃しますか?」
副官が問う。
「まずは集落と街道側の安全を確保する」
ラウルは答えた。
兵士たちが頷く。
「人の暮らす場所へ出てくるものを減らす。それが先だ」
*
その後、領軍は周辺を歩いた。
一つの場所を片付けて終わりではない。
少し離れた場所に足跡があれば、そこへ向かう。
畑の近くに痕跡があれば確認する。
街道へ続く道にも兵を回す。
魔物を見つければ討伐する。
見つからなければ、その周辺を調べて次へ進む。
大規模な戦闘が続いたわけではない。
それでも、一日では終わらなかった。
討伐を終えた場所でも、翌日に別の痕跡が見つかる。
魔物はまだ山の周囲にいる。
ただ、集落のすぐ近くまで出てくるものは、確実に減っていた。
「昨日より静かですね」
兵士の一人が言った。
「まだ判断するには早い」
ラウルはそう答えた。
それでも、周囲を見渡せば畑に人の姿が見えた。遠くでは家畜の鳴き声も聞こえる。
魔物の気配を気にして、仕事を中断する必要が少なくなっている。
それだけでも、意味はあった。
「そろそろか」
集落の周りと街道の魔物の数は減らした。
ならば次は。
「山際の魔物を減らすぞ」
ラウルは集落の北に広がる山裾を睨んだ。




