↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
営みの地平、人々の岸辺 〜ひとつの井戸から広がる物語〜  作者: 一個二個三個
第二章 流行病

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/30

第23話 待ってくれない患者

「こちらへ寝かせてください」


 村の集会所に用意された簡素な寝台へ、男が運ばれる。

 セレネはすぐにその傍らへ膝をついた。


「いつから熱が?」

「昨日の夜からです」


 答えたのは、付き添ってきた妻だった。


「食事は?」

「朝から、ほとんど食べていません」

「吐き気はありませんか?」

「はい、朝に一度戻しました」


 セレネは男の様子を確かめる。

 顔色は悪い。

 呼びかけへの反応も鈍い。


「少し下がっていてください」


 そう言って、治癒術を使った。


 淡い光が男の身体を包む。

 しばらくして、荒かった呼吸が少しだけ落ち着いた。


「休ませてください。水は少しずつ飲ませて。食べられるようになったら、消化のいいものを」


 セレネは立ち上がった。


「ありがとうございます……!」


 妻が何度も頭を下げる。

 だが、セレネはすぐに次の方へ向かった。


「次は?」

「こっちです!」


 別の寝台では、年配の女が横になっていた。さらにその奥にも二人。

 集会所の外には、まだ人がいる。


 昼を過ぎる頃には、最初に用意された寝台だけでは足りなくなっていた。


「セレネ様!」


 集会所の奥から声がした。


「うちの子がまた吐きました!」


 セレネはすぐにそちらへ向かう。まだ十歳にもならない子供だった。母親が背中を支えている。


「横にして」


 セレネは子供の様子を確認する。

 熱。呼吸。意識。

 治癒術を使う。少しでも楽になればいい。

 だが、これだけでは終わらない。


「また一人、熱が出たそうです」

「歩けますか?」

「今は」

「なら、ここまで連れてきてください」


 答えながら、セレネは次の患者へ手を伸ばした。


 治癒術は万能ではない。

 軽い症状なら回復を早められる。衰弱した身体を立て直すこともできる。

 だが、何人でも続けて治療できるわけではなかった。

 術を使えば、セレネ自身も消耗する。

 それでも、目の前に患者がいる。


「セレネ様」

「何ですか」

「隣の家でも、二人寝込んだそうです」


 セレネは一瞬だけ目を閉じた。

 言葉を聞きながら、セレネは立ち上がる。


 病人は、こちらの都合など関係なく増えていく。


     *


 その日の夕方になっても、患者は減らなかった。

 集会所の中には、呻き声が続いている。


 水を運ぶ者。布を取り替える者。家族の傍にいる者。

 動ける村人たちも、疲れ始めていた。


「村長」


 セレネは近くにいた男を呼んだ。


「はい」

「領主館へ使いを出してください」


 村長が驚いたように顔を上げる。


「子爵様へ?」

「はい」


 セレネは集会所を見回した。


「人が足りません。補助の人間と、必要な物資を頼みたいのです」


 患者の世話をする人間。物資を運ぶ者。食料や寝具。

 そうしたものなら、領主の力を借りられる。


「分かりました」

「それから、治癒術師の追加を子爵様から教会へ伝えて欲しいと」


 治癒術師は教会に属している。治癒術師を増やすことは、領主館だけでは決められない。


 今の人数では足りない。

 この村だけでなく、周辺にも患者が出ている。

 だが、今ここにいる自分には、ベルク村の患者を見続けるしかなかった。


 村長は頷いた。


「分かりました。すぐに使いを出します」


 セレネはそれを見送る。

 そして、また集会所の中へ戻った。


「セレネ様」


 待っていたように、別の村人が声をかけてくる。


「熱が上がった人が」

「分かりました」


 セレネはそちらへ向かった。


 使いがいつ戻るのか。

 領主館から返事が来るのはいつなのか。

 考えている余裕はなかった。


     *


 翌日。

 ベルク村からの知らせが、領主館へ届いた。


「セレネからの要請です」


 ガルドが差し出した書状を受け取り、アルヴァンは内容を読んだ。


 患者が急増している。

 補助人員。物資。そして、追加の治癒術師。

 教会への要請についても、領主から協力してほしいと書かれていた。

 アルヴァンは書状を読み終えると、しばらく何も言わなかった。


「ベルク村の状況は」

「使いの話では、かなり厳しいようです」


 ガルドが答える。


「分かった」


 アルヴァンは短く言った。


「急いで手配する」


     *


 それから三日後。


 ベルク村へ荷車が入ってきた。

 食料。寝具。水を運ぶための容器。そして、数人の補助人員。

 集会所の前でそれを確認していたセレネは、周囲を見回した。


「治癒術師は?」


 荷車から降りてきた男が答える。


「一人です」


 セレネは一瞬、言葉を失った。


 荷車の後ろから、若い治癒術師が姿を見せる。

 まだ経験は多くなさそうだった。それでも、一人増えただけで違う。

 違うが。


「……一人だけですか。他には来ないんですか?」


 セレネは思わず尋ねた。


「教会からは、そう聞いています」


 若い治癒術師が答えた。


 セレネは集会所の方を見る。

 中には、まだ多くの患者がいる。

 今日も新しく熱を出した者がいる。


 一人では足りない。

 二人になっても、足りない。


「なぜ」


 小さく、言葉が漏れた。


「どうして、もっと増やせないんですか」


 答えたのは、治癒術師ではなかった。

 物資と一緒に来た男だった。


「詳しいことは、俺には分かりません。ただ……」


 少し言いにくそうにしてから続ける。


「この村だけに、治癒術師を集めるわけにはいかないらしくて」


 セレネは男を見る。


「他の村にも患者が?」

「詳しいことは俺には分かりません」


 それだけだった。

 男自身も、詳しい状況を知っているわけではない。ただ、伝えられたことを伝えているだけだ。


 セレネはしばらく黙っていた。


「……分かりました」


 それ以上、男を問い詰めても仕方がない。彼は判断した人間ではない。


 ただ。

 集会所の中には、今も患者がいる。


「セレネ様」


 中から声がした。


「こっちの人が」


 セレネは振り返る。


「今行きます」


 そして、新しく来た治癒術師を見る。


「中へ。患者の様子を見せます」


 説明する時間も惜しい。

 二人はすぐに集会所へ入っていった。


     *


 支援がベルク村に届いたとの報告を受けた後、アルヴァンは執務室で地図を見ていた。


 ベルク村。

 患者が急増している。

 治癒術師は追加された。だが、一人だけだ。


 もっと送れればよかった。そう思わないわけではない。

 しかし、治癒術師は数が少ない。

 そして、ベルク村だけで病が広がっているわけでもなかった。


 ノート村。

 山側の集落。


 セレネの担当地域以外からも、枯熱病発生の報告が届いている。

 そして、まだ情報が届いていない場所も。


 今、ベルク村にいる患者は見えている。人数も分かる。状況も報告されている。

 だが、ほかの村では、まだ誰も助けを求めていないだけかもしれない。病人が少ないのではなく、治癒術師を呼ぶ手段がないだけかもしれない。

 そこから治癒術師を引き上げれば、次に患者が増えた時、誰もいなくなる。


「……難しいな」


 アルヴァンは呟いた。


 ベルク村へ全員を送れば、今いる患者を助けられるかもしれない。しかし、それは領内のほかの場所を空にすることでもある。

 どこまで人を集めるか。どこに残すか。誰を優先するか。


 決めなければならない。

 領主の仕事は、目の前の一人だけを見ることではない。

 だからといって、目の前の一人を見捨てていいわけでもなかった。


 物資を送る。補助の人間を出す。教会へ協力を求める。

 今、自分にできることはやる。


 だが、それでも。

 セレネが見ている景色と、自分が見ている景色は違う。


 彼女の前には、今この瞬間に苦しんでいる患者がいる。

 自分の前には、地図の上にまだ名前すら上がっていない村がある。

 そのどちらも、待ってはくれない。


 アルヴァンは地図から目を離した。


 まずは、今できる支援を続ける。

 そして、治癒術師たちにこれ以上すべてを背負わせないために。


 次に何をするべきかを考えなければならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。