第21話 増えた魔物
冒険者ギルドの支部長、ハロルドが領主館を訪れたのは、その二日後だった。
アルヴァンが領主になってから、顔を合わせるのは何度目かになる。
「お呼びにより、参上しました」
そしてハロルドの隣には、もう一人。
アルヴァンが視線を向けると、彼は軽く片手を上げた。
「ローディン、君もか」
「お久しぶりです、子爵様」
ローディン・クロウ。
以前、ギルドで魔石採りの話を聞いた男だった。
必要以上に畏まった様子はない。
冒険者として一人で仕事を選び、一人で危険な場所へ向かう男だ。領主を前にしても、その立ち方は以前と変わっていなかった。
「座ってくれ」
二人が席に着く。
ハロルドは持ってきた書類を机の上へ置いた。
「まず、今年に入ってからの討伐依頼についてですが」
紙を一枚、アルヴァンの方へ向ける。
「北側の街道沿いと、山側を中心に増えています」
「どの程度だ」
「正確な比較は難しいですが、例年より三割ほど多いかと」
アルヴァンは紙へ目を落とした。
依頼の内容が並んでいる。
街道近くで見かけた魔物。
家畜への被害。
村の近くに現れた群れ。
荷運びの途中で襲われた者。
「種類に偏りは?」
「今のところ、特定の魔物だけが増えているわけではありません」
ハロルドが答える。
「全体的に、見かける数が増えている印象です」
「討伐できていない依頼は」
「あります。ただ、依頼を受ける冒険者が足りないというより、発生する場所が散らばっている」
ハロルドは続けた。
「一つの場所へ人を集めれば済む状況ではありません」
アルヴァンは頷いた。
魔物が増える。
それだけなら、討伐依頼が増えるだけの話にも見える。
だが実際には、人の移動そのものに影響が出る。
荷を運ぶ商人。
村を巡回する治癒術師。
領主館から使いを出す場合も同じだ。
「ローディンはどう見ている」
アルヴァンが尋ねると、ローディンは椅子に深く座ったまま答えた。
「増えてますね。間違いなく」
あっさりとした言い方だった。
「どこで」
「山側が分かりやすいです。前なら一日歩いても見かけなかった場所で、今は何かしら出る」
「群れか?」
「それもあります」
ローディンは少し考える。
「ただ、群れが大きくなったというより、出てくる場所が増えた感じですね」
「場所が増えてる?」
「ええ。今までなら、もう少し奥にいたはずの奴が、街道の近くまで出てくる」
ハロルドの報告書にはない話だった。
数だけでは分からない。
現場で歩いている人間だからこそ分かる感覚がある。
「原因は分かるか」
「さあ。俺たちは学者じゃありませんから。ただ、餌が減ったとか、縄張りが変わったとか、そういうことはあるかもしれません」
ローディンは肩をすくめた。
「今年は珍しいのか」
「何年かに一度はありますよ、魔物が増える年」
その言葉に、アルヴァンは少し目を細めた。
「昔から?」
「俺が冒険者になってからも何度かありました」
「その時はどうなる」
「仕事が増えます」
ローディンは即答した。
「討伐依頼が増える。護衛を頼む人間も増える。危ない場所には近づかなくなる」
少し笑う。
「冒険者にとっては、稼ぎ時でもあります」
「危険も増えるだろう」
「危険だから高いんですよ」
以前と同じような調子だった。
その言い方に、アルヴァンは少しだけ笑った。
セレネの言葉を思い出す。
巡回の途中で魔物が出た。
そのため、途中から冒険者に護衛を頼むようになった。
「村へ向かう人間は減っているのか」
「減ってますね」
「護衛を付けている?」
「金がある奴は」
「ない者は」
「急ぐか、祈るかです」
突き放すようにも聞こえるが、現実だった。
「だからって、全員が動けなくなったわけじゃありません」
ローディンは言葉を付け足した。
「どうしている」
「人数を増やす。時間を選ぶ。危ない道を避ける。できることをやってます」
「それでも危険なら?」
「冒険者の仕事になります」
魔物が増える。
その影響は、討伐依頼の数だけでは終わらない。
人の移動そのものが難しくなる。
村へ薬が届かなくなる。
荷が遅れる。
知らせを運ぶ者が減る。
病人が出た時、治癒術師を呼ぶことさえ難しくなるかもしれない。
領地そのものの動きが鈍くなっていく。
「死者は」
アルヴァンが尋ねると、ローディンは少し表情を変えた。
「出てます」
先ほどまでより、短い答えだった。
「多いか」
「今のところ、村が潰れるほどじゃない」
だが、と続ける。
「今年はまだ途中です」
応接室が少し静かになった。
魔物の増加は、すでに始まっている。
そして、この先さらに増える可能性もある。
「分かった」
アルヴァンは机の上の紙へ目を落とした。
「引き続き、情報を頼みたい」
ハロルドが頷く。
「ギルドとしても、依頼の内容は整理しておきます」
「討伐依頼の増え方だけでいい。場所と、被害の内容も分かるようにしてくれ」
「承知しました」
どこで。どんな魔物が。何を襲ったのか。
病気の情報と同じように、魔物についても並べて見る必要がある。
だが、こちらはすでにギルドという組織がある。
村からの曖昧な報告より、いくらか整理しやすい。
「ローディン、現場で何か変わったことがあれば、ギルドを通して知らせてくれ」
ローディンは頷いた。
「分かりました。仕事の途中で見たことなら、ついでに話しますよ」
「それでいい」
今必要なのは、冒険者に領地全体を調査させることではない。
彼らには、彼らの仕事がある。
ただ、その仕事の中で見えるものがある。
それを領主側が知らないままにする必要もなかった。
*
二人が帰った後、アルヴァンは応接室に残って、しばらく報告書を眺めていた。
魔物は確かに増えている。
街道の近くまで出てくるものが増えた。
護衛の依頼も増えている。
村へ向かう治癒術師さえ、一人で移動することが難しくなり始めている。
枯熱病らしい患者も増えている。
昔から、魔物が増える年には病も増えると言われてきた。
それがただの言い伝えなのか、実際に何らかの関係があるのか。
まだ分からない。
だが、ラーデ村だけは、まとまった発症がない。
アルヴァンは椅子の背にもたれた。
前世で医師をしていた頃なら、まず衛生環境を疑う。
ラーデ村では、そのいくつかを変えた。
水路を引いた。排水を直した。便所や家畜小屋の周辺も、できる範囲で見直した。
もちろん、それが理由だと決めることはできない。
土地の違いかもしれない。
人の往来が少ないのかもしれない。
偶然という可能性もある。
「……まだ、早いな」
アルヴァンは小さく呟いた。
今あるのは、一つの村と、いくつかの報告だけだ。
結論を出すには足りない。
だから比べる。
病人が出た村。出なかった村。
同じように魔物が増えている場所。そうでない場所。
違いを探す。
そしてもう一つ。
増えた魔物そのものにも、対処しなければならない。
病気の理由を調べている間にも、人は襲われる。
街道は危険になる。
村へ向かう者には護衛が必要になる。
一つの問題だけを見ていれば済む状況ではなかった。
アルヴァンは報告書を閉じた。
まずは、それぞれの問題を分けて考える。
病気には病気への対処を。
魔物には魔物への対処を。
そして、その二つが本当に無関係なのかどうかは、集まった情報を見てから判断すればいい。
今はまだ、知るべきことの方が多かった。




