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営みの地平、人々の岸辺 〜ひとつの井戸から広がる物語〜  作者: 一個二個三個
第二章 流行病

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第19話 セレネの報告

 セレネが領都へ戻ったのは、四日後だった。


「少し遅くなりました」


 応接室へ入ってくるなり、彼女はそう言った。

 長い巡回の帰りらしく、外套にはまだ薄く土埃が残っている。


「途中で足止めでもあったか」

「魔物です」


 セレネは外套を脱ぎ、椅子の背へ掛けた。


「今回は途中から、冒険者に護衛を頼みました」

「いつも頼んでいるのか?」

「いいえ。今年に入ってからです」


 セレネは椅子へ腰を下ろした。


「北側の道で、巡回中の者が魔物に遭ったことがありました。それ以来、教会も長い道を一人で行かせることには慎重になっています」


 アルヴァンは頷いた。

 魔物が増えれば、討伐する人間だけが困るわけではない。

 村へ向かう者。荷を運ぶ者。巡回する治癒術師。

 人が移動すること自体が難しくなる。


「今回、聞きたいことがある」

「病人のことですね」

「ああ」


 セレネは少し黙った。


「今年は、いつもと少し違います」

「どこが違う?」

「同じような症状の人が、続けて出ています」


 セレネは湯気の立つ茶を一口飲んだ。


「高い熱。強い倦怠感。食欲がなくなる。吐く人もいます」

「腹を下す者は」

「います。でも、全員ではありません」


 セレネはそこで言葉を止め、それから、ゆっくりと言った。


「……枯熱病が増えているように思います」


 アルヴァンはすぐには答えなかった。


「思う、ということは」

「断定はできません」


 セレネは首を振った。


「教会では?」

「同じように見ている人は多いです。魔物が増えている年ですから」


 それは、この土地では自然な考え方だった。


 魔物が増える年には、枯熱病も増える。

 昔から繰り返されてきた。

 だから治癒術師たちも、症状と今年の状況を合わせて、その可能性を考えている。


「ただ、枯熱病なら私たちで治療は可能です。今回の巡回でも、治癒魔術で全員が回復しました」


 教会の治癒術師なら治せる。それは明るい話題だった。

 だが、もし今後、患者が一度に増えれば話は別だ。


「ノート村ではどうだった」

「最初は一軒だけでした」


 セレネが答える。


「熱を出した子供がいて、その数日後に別の家でも」

「同じ家族ではない?」

「違います」

「何か共通するものは」

「まだ分かりません。同じ家の者ばかりでもありませんし、住んでいる場所もばらばらです」


 セレネは小さく首を振った。


 アルヴァンは少し考え込む。

 同じ村でも、皆が同じ行動をとる訳ではない。

 生活の細かい違いまで見なければならない。


「ラーデ村では?」


 アルヴァンが尋ねると、セレネは少し考えた。


「今のところ、枯熱病らしい患者は見ていません」

「発熱者は」

「例年通りです。子供が熱を出したり、冬の疲れが残った人が寝込んだり。その程度はあります」


 アルヴァンは頷いた。


「まとまって増えてはいない?」

「はい」


 セレネも、そこで少し黙った。


「……他の村とは、違いますね」


 アルヴァンは机の上に置かれた報告書へ目を落とした。


 ラーデ村。

 水路を引いた。

 排水を少し直した。

 便所や家畜小屋の周辺も、できる範囲で見直した。


 できることを、できる範囲でやっただけだ。

 その結果として、腹痛や下痢を訴える者が前年より減った。

 もちろん、それだけで何かを証明することはできない。

 三百人ほどの村。

 一年分の記録。

 偶然が混じっている可能性はいくらでもある。

 だが。

 

「同じように魔物が増えているのなら、ラーデ村だけ病人が少ない理由は何だ」

「……村によって違う、と?」


 アルヴァンは窓の外を見た。


「発症が少ないのは、ラーデ村だけだ。理由も分からない」

「はい」

「だから、比べる必要がある」


 セレネがこちらを見る。


「他の村も見るんですか」

「ああ」

「……そうですか」


 その声が少し変わった。


「何か気になるか」

「いえ。ただ」


 セレネは少し考えてから言った。


「私も確認してみたいと思いました」


 患者が増えた場所だけを調べても、理由は見つからないかもしれない。

 増えなかった場所にも、同じように理由がある。


 患者が少なかった場所。

 患者が出なかった場所。

 村ごとの違い。

 水。

 排水。

 人の暮らし。

 そして魔物。

 何かがあるなら、そこに残っているはずだった。


     *


 その日の夕方。


 執務室へ戻ると、机の上に新しい紙が置かれていた。

 エリオットがまとめた一覧だった。

 村の名前。

 確認できた発熱者。

 死亡者。

 報告の日付。

 そして別の欄に、魔物による被害。


 空欄も多い。正確な記録とは呼べない。

 それでも、ばらばらだった報告を並べると、これまで見えなかったものが見えてくる。


 アルヴァンは一つずつ目を追った。

 そして、ラーデ村の名前で手を止めた。

 確認された発熱者。

 なし。

 その下には、村長からの報告が短く添えられていた。


『例年見られる病人以外、現在、まとまった発症なし』


 アルヴァンは、その一文をしばらく見ていた。


 偶然かもしれない。

 まだ、何も分からない。

 だが、もし偶然ではないのなら。


 あの村で変えたものの中に、何かがある。

 それを確かめる必要があった。

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