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営みの地平、人々の岸辺 〜ひとつの井戸から広がる物語〜  作者: 一個二個三個
第二章 流行病

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第18話 増え始めたもの

 書類の束を抱えたまま、エリオット・ノインは執務室の入口に立っていた。

 中へ入るべきか迷っているようだったが、意を決して扉をノックする。


「入れ」

「失礼します」


 アルヴァンが顔を上げると、若い書記官は一礼した。


「何かあったか」

「少し、気になることがありまして」


 エリオットは机の前まで歩き、抱えていた書類を置いた。

 村々から届いた定期報告だった。


 収穫の見込み。

 家畜の数。

 道路の状態。

 村内で起きた揉め事。

 内容は村によってまちまちだ。


 この一年ほど、領主館では届いた報告を以前より細かく分けるようになっていた。

 まだ決まった書式があるわけではない。届いたものを、後から探せるようにしている程度だ。

 それでも、同じような報告が別々の村から来ていることに気づくには、それで十分だった。


「熱を出して寝込む者の報告が、いくつか重なっています」


 アルヴァンは手を止めた。


「どこだ」

「ベルク村、ノート村、それから山側の小集落です」


 エリオットは一枚の紙を差し出した。


「人数は、それぞれ六人、四人、三人。ただし、小集落については正確ではありません」


「症状は」

「高い熱と倦怠感。食べられなくなる者もいるようです」

「ほかには」

「吐く者や腹を下す者も」


 アルヴァンは報告書を受け取った。


 書き方は揃っていない。

 ある村では人数だけ。

 別の村では、『熱を出して寝込む者あり』としか書かれていなかった。

 発症した時期。

 年齢。

 最初に具合を悪くした者。

 同じ家の中で何人出たのか。


 知りたいことのほとんどが分からない。


「いつから増え始めた」

「そこも、はっきりしません」

「去年の記録は」

「今、探しています」

「過去数年分も見てくれ」

「はい」


 エリオットは頷いた。


「ただ、病人については、残っている記録が多くありません」


 考えてみれば、当然のことだった。

 死者は記録される。収穫も税も記録される。

 だが、数日寝込んで回復した人間まで、領主館へ報告する習慣はない。

 軽い病なら、村の中だけで終わる。


「分からない欄は空けておけ。無理に数字を合わせる必要はない」

「承知しました」


 エリオットは書類をまとめかけて、もう一枚を取り出した。


「それから、こちらは別件ですが」

「何だ」

「魔物による被害も、少し増えているようです」


 アルヴァンは顔を上げた。


「どこで」

「北の街道沿いと山側です。討伐依頼も、例年より多いようで」

「冒険者ギルドからか」

「各地の報告と、ギルドの依頼記録を合わせました」

「死者は?」

「まだ、確認中です。ただ、負傷者は増えています」

「分かった」


 エリオットは一礼した。


「病人の報告は、引き続きまとめます」

「ああ。頼む」


 若い書記官が退出する。


 扉が閉じると、執務室は静かになった。

 机の上には、二種類の報告が残っている。

 熱を出して寝込む者。そして、増えている魔物による被害。


「高熱の患者に、魔物の増加か……」


 アルヴァンは小さく呟いた。

 指先で報告書の端を押さえる。


「……もしかして、枯熱病《こねつびょう》か?」


 この世界には、魔物が増える年には病も増える、という古くからの経験則がある。

 中でもよく知られているのが枯熱病だった。

 高い熱が続き、身体から力が抜ける。食欲を失い、吐き気や腹の不調を伴うこともある。

 重くなれば、そのまま死ぬこともある病だ。


 なぜ魔物が増えると病が増えるのか。

 人々は詳しく知らない。

 ただ、そういう年が何度もあった。

 だから、魔物による被害と発熱する患者の報告が同じ時期に増えれば、多くの者がまず枯熱病を疑う。


 アルヴァンも、この世界へ来てからその名を何度も目にしていた。

 前世で医師をしていたせいかもしれない。

 領地の記録を読み始めると、病気に関する記述ばかりを、つい探してしまう。

 死亡記録。

 教会の治療記録。

 村々に残る、古い流行の記録。

 枯熱病という名も、その中で覚えた。


 もっとも。


「……症状だけでは分からないな」


 報告に書かれていたのは、高熱と倦怠感。

 吐く者もいる。

 腹を下す者もいる。

 だが、それだけだ。


 発症した時期も、年齢も、どこで何をしていたのかも、記録はほとんど残っていない。


 枯熱病かもしれない。症状だけを見れば、可能性はある。

 しかし、それだけでは決められなかった。


     *


「教会へ確認を入れます」


 ガルドは報告を聞くと、そう言った。


「領都の教会だけでなく、巡回中の治癒術師にも」

「ああ」

「患者の人数と症状を聞く形で?」

「それだけじゃない」


 アルヴァンは少し考えた。


「分かるなら、村ごとにいつ頃から増え始めたのかも聞きたい」


 紙の上で見るだけでは分からないことがある。

 同じ病でも、村によって増え方が違うかもしれない。

 子供に多いのか。

 大人にも広がるのか。

 家の中でまとまって出るのか。

 村全体に散らばるのか。

 知りたいことはいくらでもあった。


「それと、セレネにも伝えてくれ」


 ガルドが顔を上げた。


「今はノート村の方にいるはずです」

「戻る途中で領都へ寄れるなら、一度話したいと」

「分かりました」


 この一年余り、セレネとは何度か顔を合わせていた。

 巡回の途中。村の視察。ラーデ村の水路ができた後にも。


 最初の頃は、領主と治癒術師として必要な話をするだけだった。

 だが、村の暮らしや病人について話していると、いつの間にか予定より長く話し込んでいることがあった。

 子供の病気、住民の怪我、冬を越した後に弱る老人。

 セレネは患者を診る中で見ていることを話す。

 アルヴァンは、それを聞きながら細かい質問を重ねる。

 互いの考えが一致することばかりではない。

 それでも今では、病気について話す時だけは、以前ほど互いに言葉を選ばなくなっていた。


 だから今回も、教会からの正式な報告とは別に、彼女自身の話を聞きたかった。

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