第15話 宴
水路に初めて水が流れた日の夕方。
村長がアルヴァンのところへやってきた。
「アルヴァン様。今夜、ささやかな宴を開こうと思っております」
「宴?」
「はい。水路が完成しましたので」
アルヴァンは少し驚いた。
「俺も参加していいのか?」
「もちろんです。アルヴァン様がいなければ、この水路はできませんでしたから」
「そうか」
アルヴァンは少し考えてから頷いた。
「では、参加させてもらおう」
「ありがとうございます」
*
日が暮れるころ、村長の家には人が集まっていた。
水路工事に参加した村人たちが集まり、床に座って酒を注ぎ合っている。
床の上に敷物を敷き、皿が並べられている。料理は普段より少し多い程度だった。
焼いた肉。芋や豆を煮たもの。固いパン。冬の間に保存していた野菜。
豪華な宴ではない。それでも、いつもの夕食とは違っていた。
「三か月も鍬を振ってたら、春になっても腕が痛そうだ」
「お前は途中で二度も腰を痛めただろう」
「それは鍬のせいじゃない」
「じゃあ何のせいだ?」
笑い声が起きる。アルヴァンはその様子を眺めていた。
初めて訪れた時は、陰気な村だと思った。
こうして笑っているところを見るのは初めてだった。
「食べてください」
村長が料理を取り分ける。
「ああ、ありがとう。いただく」
アルヴァンも皿を手に取った。
隣ではガルドが静かに酒を飲んでいる。
「ガルド」
「はい」
「こういう宴も、領主の仕事なのか?」
「さて。少なくとも、私はこういう仕事なら歓迎しますな」
アルヴァンが笑う。
「いつも書類ばかりだからな」
「それはアルヴァン様ご自身の仕事の選び方では?」
「……否定できない」
向かい側から声がした。
「領主様も、三か月くらい鍬を持てばいい」
ドルンだった。
「俺が?」
「水路の苦労が分かります」
「俺が掘ったら、村人より遅くなるぞ」
「それは見てみたいですな」
ガルドが珍しく笑った。
「ガルドまで……」
アルヴァンは苦笑する。
その様子を見ていたトーマが、ドルンに声をかけた。
「ドルンさん」
「何だ」
「俺、測量のこと少し分かるようになりました」
「少しな」
「水路の補修もできます」
「まだ簡単なところだけだ」
「でも、できます」
「なら覚えておけ」
ドルンは酒を一口飲んだ。
「水路は、完成した日より、その後の方が長い」
トーマは頷いた。
「分かってます」
「本当に分かってるなら、雨が降った次の日に見に行け」
「はい」
アルヴァンは二人のやり取りを見ていた。
いつの間にか、ドルンとトーマの間には、職人と見習いのような関係ができている。
「トーマ」
「はい?」
「測量を覚えて、どうするつもりなんだ?」
「……まだ分かりません」
トーマは少し考えた。
「でも、知らないより知ってる方がいいかなって」
「そうだな」
アルヴァンは頷いた。
「それは、その通りだ」
*
しばらくすると、酒が回ったのか、村人たちの話も少しずつ変わっていった。
「東まで水を汲みに行かなくていいってのは、やっぱり楽になるな」
「畑仕事が始まれば、もっと分かるだろうな」
「朝に水を汲みに行く時間が減るだけでも助かる」
「子供に水を運ばせることも減る」
アルヴァンは黙って聞いていた。
水路を作る理由は、最初から分かっていたつもりだった。
安全な水を村へ運ぶ。中央井戸への依存を減らす。病気を減らす。
だが、村人にとっては、それだけではない。
水を汲みに行く時間が減る。重い桶を運ばなくていい。子供を水汲みに出す必要も減る。
その時間を、別の仕事に使える。
水路一本でも、暮らしの中ではいくつもの意味を持つ。
「アルヴァン様」
村長が声を掛けた。
「何だ?」
「本当にありがとうございました」
「礼なら俺じゃなく、みんなに言ってくれ」
アルヴァンは村人たちを見る。
「俺が考えたのは、水を引くことだけだ。掘ったのも、石を集めたのも、毎日働いたのも、この村の人たちだ」
村長は少し黙った。
「ですが、最初に言ってくださらなければ、我々は水路を作ろうとは考えませんでした」
「それなら、お互い様だな」
「お互い様?」
「ああ」
アルヴァンは笑った。
「俺一人じゃ何もできなかった。みんなも、ドルンがいなければ難しかっただろう」
ドルンが鼻を鳴らす。
「俺一人でも無理ですよ」
「そうなのか?」
「三百人分の水路を一人で掘れと言われたら、途中で逃げます」
今度は大きな笑いが起きた。アルヴァンも笑った。
こうして大勢と食事をするのは、いつ以来だろう。
この世界に来る前にも、大勢で食べた記憶はある。けれど、こういう食事とは違う。
立場を忘れることはできない。
それでも、今だけは少しだけ忘れていてもいい気がした。
*
宴が終わるころには、外はすっかり暗くなっていた。
アルヴァンは酔い覚ましに外に出る。
春の夜はまだ少し冷える。遠くで見張りの鐘が鳴っていた。
村の外には、相変わらず魔物のいる世界が広がっている。
けれど、村の中では人々が笑っていた。
この世界は星がよく見える。
「……いい夜だ」
深く息を吸い込んだアルヴァンは、そのまま中へ戻った。
*
翌朝。
アルヴァンはガルドとともにラーデ村を出た。
帰りの馬車の中では、二人ともしばらく口を開かなかった。
窓の外に、春を迎えようとしている畑が流れていく。
「アルヴァン様。よい宴でしたな」
やがてガルドが言った。
「ああ」
「領主になられてから、ああいう席は初めてでは?」
「そうかもしれない」
アルヴァンは窓の外を見る。
「……悪くなかった」
「それは何よりです」




