第13話 村人の知恵
ラーデ村で水路の工事が始まってから、さらにひと月が過ぎた。
東の井戸から村へ向かって、土の溝が少しずつ伸びている。
ドルンは測量を終えた後も、しばらく現場を離れなかった。村人に掘り方を教え、石を使う場所を決め、必要なところだけ自分で手を入れる。
その一方で、村人たちも少しずつ工事の進め方を覚えていた。
「今日はここまでだ」
夕方、ドルンが言った。
「明日はこの先を掘る」
「分かった」
村人たちが鍬を片付け始める。
トーマは水路の脇にしゃがみ込み、掘り出した土を眺めていた。
「ドルンさん」
「何だ」
「この土、こっちの方が柔らかいです」
「見れば分かる」
「でも、こっちだけ崩れやすくないですか?」
ドルンが足を止めた。
「どこだ」
「ここです」
トーマが指を差す。水路の側面だった。
同じように掘っているはずなのに、片側だけ土が少し崩れている。
ドルンが棒を差し込む。
「……確かに弱いな」
近くの村人が口を挟んだ。
「そこは昔から雨が降ると崩れやすいんです」
「知ってるなら先に言え」
「聞かれなかったもんで」
「次からは言え」
ドルンは水路を見た。
「ここは石を入れる」
「石、足りますか?」
「足りなければ探す」
すると別の男が言った。
「北の斜面なら、使えそうな石がいくらかあります」
「どの辺だ?」
「畑の向こうです。昔、崩れた斜面から拾って使ったことがあります」
ドルンは少し考えた。
「案内しろ」
「今から?」
「明日でいい」
男が頷いた。
ドルンはもう一度、水路へ目を戻した。
*
翌日。
北の斜面から運ばれてきた石は、思っていたより状態が良かった。大きさも、水路の補強に使いやすい。
「これなら使える」
ドルンが石を一つ持ち上げる。
「でしょう?昔から使ってますから」
村人が笑った。
「助かる」
短い言葉だった。
だが、村人たちは少し意外そうな顔をした。
領主側から来た職人に、村の知識を役立ててもらえる。
それが分かってきたからだ。
*
昼過ぎ。
作業の休憩中、トーマが水路を眺めていた。
「ドルンさん」
「今度は何だ」
「ここ、畑に水を入れるのに使えませんか?」
「何?」
ドルンがトーマを見る。
「この辺りなら、畑まで近いです。小さい溝を作れば、水を引けそうです」
近くの農民も水路を見る。
「確かに、ここなら畑に水を入れやすい」
「やめとけ」
ドルンが言った。
「今の水路は村の飲み水を運ぶために作ってる」
「でも、余った水があるなら……」
「余るかどうかは、まだ分からん」
ドルンは水路の底を指した。
「それに、勝手に水を取れば下流の水が減る」
「そうか」
「畑に水を入れたいなら、まず村の水が足りるようになってから考えろ」
トーマは頷いた。
「分かりました」
「ただな」
ドルンは少し考えた。
「そういうことを考えるのは悪くない」
「え?」
「水路は、作った人間が使い方を考えるもんだ。だが、順番を間違えるな」
トーマはもう一度、水路を見る。
「はい」
*
別の日。
雨が降った。
作業は中止になったが、ドルンは雨が上がると現場を見に行った。
水路の一部に、水が溜まっている。
「ここか」
ドルンがしゃがみ込む。
「昨日まではなかった」
村人たちも集まってきた。
「雨水が入ったんですか?」
「それだけじゃない」
ドルンは水路の上流を見る。
「土が流れ込んでる」
トーマが水路の脇を見た。
「こっちの畑からです」
「そうだな」
「じゃあ、ここに石を置けば?」
ドルンがトーマを見る。
「どこに?」
「水が入ってくるところです」
トーマは手で場所を示した。
「ここなら、畑から流れてきた土を止められるんじゃないですか?」
ドルンはしばらく黙っていた。
そして、立ち上がった。
「やってみろ」
「俺が?」
「お前が言ったんだろ」
トーマは戸惑いながらも、近くの石を拾った。他の村人も手伝い始める。
石を並べ、土を寄せる。
しばらくして、小さな土留めができた。
ドルンが水路を確認する。
「悪くない」
トーマの顔が少し明るくなる。
「これでいいですか?」
「今回はな」
「今回は?」
「雨の降り方が変われば、また別の問題が出る」
ドルンは水路の先を見る。
「だから何度も見ろ。作ったら終わりじゃない」
「はい」
「お前たちの水路だ」
村人たちは黙って水路を見た。
最初は、ドルンが線を引いた。村人はその線に沿って掘った。
だが今は違う。土地のことを知っている者が、気づいたことを口にする。
ドルンがそれを技術として判断する。
そして、村人自身が手を動かす。
少しずつだが、水路は村のものになっていた。
*
数日後、領主館。
アルヴァンはガルドから報告を受けていた。
「工事は予定通りです」
「問題は?」
「雨で一部、土が流れ込んだそうですが、ドルンが対処しています」
「そうか」
「それと、村人からもいくつか提案が出るようになったそうです」
アルヴァンが顔を上げた。
「村人から?」
「はい。石の採取場所や、土地の状態についてです」
「ドルンは?」
「使える意見は採用しているようです」
アルヴァンは少し考えた。
「それならいい」
水路を作ることだけが目的ではない。
完成した水路を、誰が見て、誰が直すのか。
その答えが少しずつ形になっている。
「トーマという少年も、よくドルンについて回っているそうです」
「トーマか」
アルヴァンは、村で何度か見かけた少年の顔を思い出した。
「何か役に立っているのか?」
「土地のことをよく見ているようです」
「そうか」
アルヴァンは報告書へ目を戻した。
「ドルンに任せよう」
現場には、現場の人間がいる。
自分がすべてを見る必要はない。むしろ、そうならない仕組みを作ることが大切なのだ。
アルヴァンは次の書類へ手を伸ばした。
ラーデ村の水路は、今日も少しずつ村へ近づいている。
そして同時に、そこに暮らす人々の手にも、少しずつ近づいていた。




