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営みの地平、人々の岸辺 〜ひとつの井戸から広がる物語〜  作者: 一個二個三個
第一章 ラーデ村

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第12話 着工

 領主館には処理しなければならない仕事がいくらでもある。

 税の報告。 街道の修繕。 冬の薪の備蓄。 他の村から届いた陳情。

 ラーデ村の水路だけに付ききりになるわけにはいかない。


 十日後、ドルンから報告が届いた。

 ガルドが一枚の紙を持って、執務室へ入ってきた。


「ドルンからです」

「見せてくれ」


 アルヴァンは紙を受け取った。


『水路の経路を決めた』

 短い言葉と共に、水路の簡単な図が描かれていた。

 東の井戸から西へ向かい、畑を避け、家の裏手を抜ける。途中で道を一か所だけ横切る。そこは水路を深くして、荷車が通れるようにする。

 そして村の中央付近に、小さな貯水槽を設ける。


「これが最終案か?」

「はい。ドルンによれば、細かな調整を残して、これで進められるとのことです」


 アルヴァンは図を眺めた。


「村人は?」

「すでに作業班を組んだそうです」

「そうか」


 アルヴァンは紙を机へ置いた。


「動き出したな」


     *


 同じ頃。

 ラーデ村の東側では、五人の男が地面に杭を打っていた。


「そこじゃない。三寸右だ」

「こっちか?」

「もう少しだ」


 ドルンが杭を見ながら指示する。

 男が打ち直す。


「これで?」

「よし」


 ドルンは次の杭へ歩いていく。

 その後ろを、十七歳のトーマがついて回っていた。


「ドルンさん」

「何だ」

「この杭は何のためです?」

「水路の線を出してる」

「線なら、地面に描けばいいんじゃ?」

「雨が降ったら消える。だから杭を打つ」

「ああ……」


 トーマは納得したように頷いた。


 別の場所では、村人たちが石を集めていた。

 水路のすべてを石で固めるわけではない。土をそのまま使える場所は土でいい。崩れやすい場所だけ、石で補強する。

 道の下を通す場所には、少し丈夫な材料が必要になる。

 貯水槽も同じだった。必要なところだけ手を掛ける。

 ドルンは最初からそう決めていた。


「ここは掘りすぎるな」


 鍬を持った男に声を掛ける。


「深くした方が水が流れるんじゃないのか?」

「流れるが、崩れやすくなる」

「じゃあ、どれくらいだ?」


 ドルンは地面を指し示す。


「このくらいだ」

「分かった」


 男は鍬を入れる。

 ドルンはしばらく見ていたが、手を出さなかった。

 村人が自分で掘る。間違えば止める。やり直させる。必要な場所だけ、自分で手を入れる。

 全部を職人がやってしまえば早い。だが、それでは水路はドルンのものになってしまう。

 この水路を使うのは村人だ。

 ならば、作るところから覚えてもらった方がいい。


     *


 三日後。

 アルヴァンのもとへ、二度目の報告が届いた。


「もう掘り始めたのか」

「はい」


 ガルドが答える。


「予定より早いようです」

「ドルンが急いだのか?」

「村の方から、もう少し人を出せると言ってきたそうです」


 アルヴァンは少し意外に思った。


「村から?」

「はい。水路ができれば、東の井戸まで水を汲みに行く手間が減りますから」

「なるほど」


 最初は、工事に人を取られることを心配していた。

 それでも、自分たちの負担が減る仕事だと分かれば、協力する人間も増える。


「作業班は増やしすぎないように、とドルンから言われています」


 ガルドが苦笑した。


「村長が人を出そうとすると、逆に止めたそうです」

「……ドルンらしいな」


 アルヴァンは笑った。


「家畜の世話や必要な作業を削ってまで早くする必要はない」

「同じことを言っていました」


 ガルドは報告書をめくった。


「それと、石材についてですが、村の近くで使える石を集めているそうです。足りない分だけ領主家から送ります」

「それでいい」


 アルヴァンは頷いた。


「買えば早いものでも、村で取れるなら無理に買う必要はない」

「ドルンも同意見です」

「……あの男とは、話が合うな」


 ガルドは少しだけ笑った。


「そのようですな」


     *


 さらに数日。

 水路は少しずつ村へ近づいていた。

 掘った土は、水路の脇へ積む。崩れそうな場所には石を置く。

 雨が降れば作業を止める。乾けば再開する。


 大きな工事ではない。

 だが、三百人の村が毎日使う水を通す。失敗すれば、やり直すだけでは済まない。

 だからドルンは、急がなかった。


「ここを見ろ」


ドルンが掘ったばかりの水路を指した。


「少し高い」

「高い?」

「この先より底が上がってる。これじゃ水が止まる」


ドルンは棒を置き、水路の底を確認する。


「ここをもう少し掘る。ほんの少しでいい」

「削りすぎたら?」

「だから少しだと言ってる」


ドルンは鍬を手に取る。ひと掻き。


「水路は深く掘ればいいってもんじゃない。大事なのは、ずっと同じ方向へ下がっていることだ」


 村人が水路を覗き込む。


「これだけで?」

「これだけだ」

「分からんな」

「だから覚えろ」


 ドルンは鍬を返した。


「水路は掘って終わりじゃない。使ってれば土も入る。石も動く。崩れることもある」


 村人たちは黙って聞いている。


「水が流れにくくなったら、まず見る。底が高くなってないか。壁が崩れてないか。詰まってないか」

「それなら俺たちでもできる」

「できるように作ってる」


 ドルンはそう言った。


「俺がいなくなってからが本番だからな」


     *


 その日の夕方。

 村長がドルンのところへやってきた。


「ドルンさん」

「何だ」

「石はどれくらい必要です?」

「場所による。全部を石で固める必要はない」


ドルンは図面を指した。


「ここは石を使う。ここも必要だ。あとは粘土で締めればいい」

「粘土は?」

「近くで取れる場所を探す」

「村で集められます」

「なら頼む。足りない分だけ領主に出してもらう」

「分かりました」


 村長が去っていく。


 ドルンは水路を見た。

 まだ途中だ。水は流れていない。

 だが、少しずつ形になっている。

 村人が掘った土。村人が集めた石。ドルンが引いた線。領主家が用意した不足分の材料。

 それぞれが一つになって、水路になろうとしていた。


     *


 その頃、領主館ではアルヴァンが次の報告書を読んでいた。


『水路工事、予定通り進行中』

 短い報告だった。その下には、ドルンの字で一言だけ書かれている。

『村人が学んでいる。問題なし』

 アルヴァンはその文字をしばらく眺めた。


「……そうか」


 水路を作ることだけなら、領主が金を出して職人に任せればいい。もっと早く、もっと立派なものも作れるかもしれない。

 だが、それでは意味がない。

 水が流れ続ける限り、誰かがそれを守らなければならない。その誰かが、この村の人間ならいい。


 アルヴァンは報告書を閉じた。


 ラーデ村では、すでに一つの変化が始まっていた。

 水を引くための溝だけではない。

 自分たちの暮らしを、自分たちで維持するための知識が、少しずつ村へ蓄積され始めていた。

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