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営みの地平、人々の岸辺 〜ひとつの井戸から広がる物語〜  作者: 一個二個三個
第一章 ラーデ村

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第10話 水を引くということ

 数日後。

 アルヴァンが執務室で書類を整理していると、扉が叩かれた。


「入れ」


 ガルドが入ってくる。


「ドルンが戻りました」

「そうか」


 アルヴァンは手を止めた。


「話を聞こう」

「失礼します」


 入ってきたドルンは、泥のついた靴のままだった。

 手には、何枚かの紙を丸めて持っている。


「戻ったか」

「ああ」


 ドルンは机の前まで来ると、紙を広げた。


「見てきました」

「どうだった?」

「水は引けます」


 それだけ言って、図の上に指を置いた。


「東の井戸から、こっちへ落とせる」


 線を辿る。


「途中の畑は潰さなくていい。少し外へ振る。家も同じだ」

「道は?」

「上を跨がせるより、下を抜いた方がいい。後で荷車が通れなくなるようなものを作る必要はない」


 ドルンは図を見たまま答えた。


「なるほど」


 ガルドが横から図を覗き込む。


「地形は?」

「悪くない」


 ドルンは短く答えた。


「東の井戸から村へ向かって、全体として下がっている。途中で少し上がる場所があるが、回せば問題ない」

「水が逆流するような場所は?」

「ない」


 即答だった。


「水は正直だ。高いところから低いところへしか行かん」


 アルヴァンが思わず笑う。


「確かに」

「ただし、掘り方を間違えれば別です」


 ドルンが顔を上げた。


「勾配を取るための測量は必要になる。目分量で掘るのはやめた方がいい」

「それは任せる」

「分かりました」


 ドルンはさらに紙を一枚めくった。


「水量も見ました」

「どのくらいある?」

「今の使われ方なら余裕があります」


 東の井戸を利用している家々の分を差し引いても、村中央へ送る分は確保できるという。


「ただし、村の水を全部あそこに頼る話じゃないでしょう」

「そうだ」


 アルヴァンは頷いた。


「中央の井戸も残す。用途を分けるつもりだ」

「なら、そんなに太い水路はいらん」


 ドルンが言った。


「三百人分とはいっても、全部を一つの井戸から賄う必要はない。飲み水を中心に回すなら、もっと小さくできる」

「その方がいいな」


 アルヴァンの発言に、ドルンは少し呆れたような顔をした。


「大きく作れば立派に見えるが、掘るのも直すのも大変になる」


 アルヴァンは図を見て呟く。


「村人が維持できる大きさにしたい」


 ドルンの手が止まった。

 アルヴァンは続ける。


「水路を作ること自体より、その後の方が重要だと思っている」

「……その後?」

「土砂が溜まることもあるだろう。崩れることもある。冬には凍るかもしれない」

「そうですな」

「なら、そのたびに領主が職人を呼ばなければならない水路にはしたくない」


 ドルンが黙った。


「村の人間が、どこを見ればいいのか分かる。簡単な補修なら自分たちでできる。そういうものにしたい」


 しばらくして、ドルンが鼻を鳴らした。


「……それなら話が早い」

「何が?」

「俺も、そういう仕事の方が好きです」


 ドルンは図へ視線を戻した。


「毎年領主に金を出してもらわなきゃ使えないものを作っても、職人の仕事としては面白くない」

「同感だ」

「なら、余計なものは付けない方がいい」


 その言葉には、先ほどまでよりわずかに柔らかい響きがあった。

 アルヴァンは気づいたが、あえて何も言わなかった。


     *


「水を受ける場所はどうする?」


 ガルドが尋ねた。


「村の中央に小さな貯水槽を置く」


 ドルンが答える。


「大きなものは要らん」

「水を一度そこへ集める?」

「そうだ。水路から直接いくつもの場所へ分けるより、管理しやすい」


 ドルンは図の中央に丸を描いた。


「ここで受けて、必要な分だけ汲む」

「中央井戸もある」

「だからこそ小さくていい」

 ドルンはそう言って、貯水槽の大きさを簡単に示した。

「東の井戸から来る水は、あくまで補助だ。中央の井戸を捨てるわけじゃない」

「それなら、貯水槽も村で作れそうだな」

「石と木があればできる」

「魔導具は?」

「要らん」


 ドルンは即答した。


「自然に流れる水を、わざわざ魔法で持ち上げる必要がありますか?」

「いや」

「なら使わない方がいい」


 ガルドが苦笑した。


「ずいぶんと魔導工らしくないことを言いますな」

「使う必要があるところで使えばいいんです」


 ドルンは平然としている。


「使わなくて済むなら、その方が壊れるものが少ない」


 アルヴァンはその言葉を聞いて頷いた。

 魔法を否定しているわけではない。

 必要なら使う。

 必要がなければ使わない。

 それだけだ。


「材料は?」


 アルヴァンが聞くと、ドルンは紙の端にいくつか書き込んだ。


「現地で拾える石と土を使える。全部を買う必要はない」

「加工が必要なものは?」

「道を抜くところと、貯水槽だな。あとは水路の一部を補強する材料」

「人手は?」

「掘るだけなら村人でできる」


 ドルンが顔を上げた。


「ただし、一度に大勢を出すな」


 ガルドも頷く。


「農作業がありますからな」

「それだけじゃない」


 ドルンが続けた。


「家畜の世話もある。薪も要る。村人は水路を掘るためだけに生きてるわけじゃない」


 アルヴァンは頷いた。


「分かっている」

「なら、工事は分けた方がいい」

「分ける?」

「今日は五人。明日は別の五人。掘ったところを順に仕上げる」


 ドルンは図を指した。


「一気に全部掘って、途中で放り出すのが一番まずい」

「工事の期間は長くなるな」

「その代わり、村の仕事を止めずに済む」


 アルヴァンは少し考えた。


「その方法で計画を作ってくれ」

「分かりました」


     *


 最後に、費用の話になった。

 ドルンが提示した金額を、ガルドが帳簿の横で確認する。


「材料費はこれだけですか?」

「現地で取れるものを使うからな」

「技術料を含めて?」

「俺の分はこれだ」


 ドルンが数字を指した。


「村人が働くなら、それ以上は掛からん」


 ガルドはしばらく計算していた。


「……領主家で負担できる範囲です」


 アルヴァンは金額を見る。

 決して大金ではない。

 だが、レイス領に余裕があるわけでもない。

 他の村にも問題はある。

 この村だけに際限なく金を注ぎ込むわけにはいかなかった。


「村にはどの程度負担させる?」

「金は取らない方がいいでしょう」


 ドルンが言った。


「労働で十分です」


 ガルドが顔を上げた。


「ただ働きという意味ではありませんよ」

「分かっている」


 アルヴァンが答える。


「村が出せるのは労働力と資材。領主側が出すのは、村では用意できない材料と技術」

「それなら筋は通ります」


 ドルンが頷いた。


「村の人間も、自分たちの水路だと思えるでしょう」


 アルヴァンはその言葉を聞いて、静かに頷いた。


 領主が金を出して作ってやる。

 それだけではない。

 村人が自分たちの手で掘り、使い、直す。

 そのために足りない部分だけを領主が補う。

 その方が長く続く。


「ドルン」

「はい」

「この水路を作るなら、村人にも作り方を覚えてもらいたい」

「最初からそのつもりです」


 ドルンは即答した。


「俺が全部やったら、俺がいなくなった途端に困るでしょう」


 アルヴァンは笑った。


「それでいい」

「何がです?」

「考えていることが同じだ」


 ドルンは一瞬だけアルヴァンを見る。

 それから、ほんの少し口元を緩めた。


「……変わった領主様だ」

「そうかな?何しろ初めてなのでね」

「褒めてませんよ」


 ガルドが二人を見て、小さく息を吐いた。


「では、工事計画を作るということでよろしいですな」

「ああ」


 アルヴァンが頷く。


「ただし、まだ着工はしない」

「分かりました」


 ドルンが図をまとめる。


「経路と必要な材料、それから人手の割り振りをもう少し詰めます」

「頼む」

「では、また来ます」


 ドルンは紙を抱えると、部屋を出ていった。


 扉が閉まる。

 アルヴァンは机の上に残った一枚の図を見る。

 東の井戸。

 約八百メートルの水路。

 村中央の小さな貯水槽。

 そして、残される中央井戸。


 最初は、ただ水を引けないかと思っただけだった。

 だが、実際に土地を見て、必要な水量を考え、費用を計算すれば、問題は一つではなくなる。


 それでも。少なくとも一つ、分かったことがある。


「作れる、か」


 アルヴァンは呟いた。


 次は、作る方法を決める。

 そして、その水路を誰が作り、誰が使い、誰が守っていくのか。

 そこまで決めて初めて、村の水になる。


 アルヴァンは図を丁寧に畳んだ。

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