第9話 水利技師
東の井戸から水を引く。
だが、思いついただけでは何も始まらない。
「ガルド」
「はい」
「水路を作るなら、まず土地の高さを調べる必要がある」
「そうですね」
「この村に、そういうことができる人間はいるか?」
村長が横から答える。
「農地や道のことなら、詳しい者はおります。しかし、八百メートルほど離れた場所から水を引くための測量となると……」
「いないか」
「はい」
アルヴァンは東の方を見る。
「そうか」
昨日歩いた道が、その先へ続いている。
水源はある。村までの距離も分かっている。
だが、それだけでは足りない。
「領都に戻ったら探そう」
「それでしたら」
ガルドが口を開いた。
「一人、心当たりがあります」
「誰だ?」
「ドルン・バッカスという者です」
聞き覚えのない名前だった。
「どういう人間だ?」
「水利と鍛冶を生業にしている職人です。水車や堰などにも詳しい。魔導機器の修理も請け負っています」
「測量士なのか?」
「専門の測量士ではありません。ただ、水をどう流すかという判断なら、領内でも頼れる方です」
「なるほど」
アルヴァンは頷いた。
「帰ったら会ってみよう」
*
その日の午後、アルヴァンたちはラーデ村を発った。
帰りの馬車の中で、アルヴァンは窓の外を眺めていた。
約八百メートル。地図の上では短い。
だが、その間には畑があり、道があり、家がある。水を通すなら、それらを避けなければならない。
そして何より、東の井戸から村まで水が自然に流れるのか。そこがまだ分からない。
「ドルン・バッカスというのは、領主家に仕えているのか?」
アルヴァンが尋ねた。
「いえ。独立した職人です」
「なら、こちらから依頼することになるな」
「そうなります」
ガルドは答えた。
「水利関係の仕事を請け負って生計を立てていますから、報酬を提示すれば引き受けてもらえるでしょう」
「分かった」
アルヴァンは頷いた。
自分が知らないことを、知っている人間に聞く。
今のところ、それが一番確実だ。
*
翌日、領都へ戻ったアルヴァンは、休む間もなくドルンの仕事場へ向かった。
建物の中から、金属を打つ音が聞こえている。
ガルドが扉を開けた。
「ドルン・バッカスはいるか?」
「何の用だ?」
奥から声が返ってきた。
しばらくして、一人の男が姿を現す。
四十代ほど。
作業着には煤が付き、腕には鍛冶仕事で鍛えられた筋が浮いている。
「私がドルンだが」
アルヴァンは名乗った。
「アルヴァン・レイスだ」
ドルンの表情が少し変わった。
「領主様でしたか」
「急に来てすまない」
「いえ」
ドルンは手を拭いた。
「何のご用でしょう」
「水利について相談したい」
アルヴァンはラーデ村のことを説明した。
東の外れに井戸があること。そこは中央の井戸より水の状態が良く、浄水用の魔石も比較的長く保つこと。村の中央まで、およそ八百メートル。
その水を村へ引けないかと考えていること。
「途中には畑や道、家もある」
「なるほど」
「村人が水を運ぶ負担を減らしたい。できるなら、自然に流したい」
ドルンはしばらく黙っていた。
「東の井戸の高さは?」
「分からない」
「村中央は?」
「それも正確には」
「水量は?」
「普段の使用には足りている。ただし、詳しい数字はない」
ドルンが頷く。
「では、まだ判断できません」
「やはりそうか」
「水路を作れるかどうかは、水源と目的地の高低差が分からなければ決められません」
「測量が必要だな」
「はい」
「ラーデ村には、そこまで調べられる人間がいない」
「でしょうね」
ドルンは特に驚かなかった。
「村の人間が土地を知らないという意味ではありません。農地や道のことなら、村人の方が詳しいでしょう」
「ああ」
「ですが、水路として成立するかを見るには、別の知識が要ります」
「現地を見てもらえるか?」
「いつまでに?」
「村の仕事を止めてまで急ぐ必要はない。ただ、可能かどうかを知りたい」
「分かりました」
ドルンは考えるように腕を組んだ。
「明日出れば、明後日には戻れるでしょう」
「それで頼む」
「現地を見て、水源と村の高低差を確認します。水路を通せそうな経路も見ます」
「費用は?」
「まず調査だけなら、それほど掛かりません」
ドルンは少し考えた。
「正式な設計や工事の見積もりは、その後です」
「分かった。調査を頼む」
「承知しました」
話はそれだけだった。
ドルンは明日の準備を始めると言い、アルヴァンたちは仕事場を後にした。
*
領主館へ戻り、仕事を再会しようとした時、ガルドが口を開いた。
「よろしかったのですか?」
「何がだ?」
「ラーデ村へ行くことを、ドルンに任せてしまって」
「問題ないだろう」
アルヴァンは答えた。
「私が行っても、高さを測れるわけじゃない」
「それはそうですが」
「それに、領主の仕事はラーデ村だけじゃない」
ガルドが黙った。
「村で見つけた問題を、自分で全部抱え込んでいたら、他の仕事が止まる」
「……おっしゃる通りです」
アルヴァンは、机に置かれた書類に目をやりながら考える。
レイス領には、他にも村や町がある。これから先、別の村にも同じような問題があるかもしれない。
そのたびに自分が現場へ行っていたら、いずれ動けなくなる。
「だから、任せられる人間には任せる」
「ドルンを?」
「まずは仕事を見てからだ」
ガルドが頷いた。
「では、報告を待ちましょう」
「ああ」
部屋を出ていこうとしたガルドだが、ふと足を止めて振り返った。
「アルヴァン様、何故それほどまでにラーデ村にこだわるのですか?」
ガルドの目に、見極めようとする光が宿る。
アルヴァンはその光をじっと見つめていた。
この世界に自己の意識を認識して、初めて見た場所、ラーデ村。
あちら側の、最後の記憶がまぶたに浮かぶ。
おそらく、あちら側での自分は死んだのだろう。そして何故か、今は知らない世界の誰かの人生に乗っかっている。
うっすらと浮かぶこの世界での記憶。
この身体の前の人格がどうなったのか、知る由もない。
それでも、この人物の役割。
そう、役割だ。それを引き継ぐことを、違和感なく受け入れていた。
だが、自分がこのアルヴァンという人物になった意味は……。
このラーデ村をどうするか。それが、この先の運命を決めるような予感がした。
「……人が死ぬのが嫌いだからだ。その死は、本当に仕方なかったのか?」
その答えに、ガルドは目を細めた。
「それに、死ぬ人間か減れば税も増えるだろう?人が増えれば産業も豊かになる」
「そうですか。不躾な質問をしてしまい、申し訳ございませんでした」
ふ、と視線を柔らかくしたガルドは、そう言って一礼した。
*
その夜。
アルヴァンは執務室で書類を整理していた。
ラーデ村のことを考える。
東の井戸。中央の井戸。そして、その間をつなぐ水路。
まだ構想に過ぎない。
水が流れるかどうかも分からない。
作るとしても、誰が掘るのか。どんな材料を使うのか。どれだけの費用が必要なのか。
何も決まっていない。
だから、まずはドルンに土地を見てもらう。
その結果を聞いてから、次を考える。
アルヴァンは別の書類へ手を伸ばした。
ラーデ村の問題を解決することは大切だ。だが、それだけが領主の仕事ではない。
自分が現場へ行かなくても、現場が動く。そのための仕組みも、少しずつ作っていかなければならない。
机の上に、未処理の書類がまだ残っている。
アルヴァンは小さく息を吐いた。
「まずは、報告を待つか」
東の井戸から水を引けるのか。
その答えが出るのは、もう少し先だった。




