8 始まりの夜 2
―――ガチャリ。
「ワリィ、待たせた。何か色々買ってきたら遅くーーー」
ビニール袋を提げて戻ってきたまほろが、部屋に入るなり、完全に言葉を失ってフリーズした。
自分のクローゼットから出した、自分の大きなグレーのジャージを着て、首元から華奢な鎖骨を覗かせ、袖から指先だけを少し出して見上げている美少女。
(……あかん。マジで心臓に悪いって、これ。中身が「蒼」だって本人は言ってるけど、俺の理性がどうなるか分からねえ……崩壊寸前だわ)
まほろは内心で頭を抱えながら、必死に動揺を隠すように、大きな身体を揺らしながらキッチンへと向かった。
男の一人暮らしらしく、調理器具はオーブンレンジとコーヒーケトル、後はフライパンが一つだけ。ケトルに水を入れ、お湯を沸かし、大盛りの唐揚げ弁当をレンジに放り込む。ウィーンという駆動音が始まった。
「あおい、お前本当に……弁当要らねえのか?」
「……ううん……このおにぎりを貰うよ。有難う……高山は一杯食べて」
この少女は、さっきから自分のことを、ずっと「高山」と呼んでいる。……知らない少女だけど、よく見ると何となくだが、水瀬 蒼の面影が残っているような違うような……そんな気がする。童顔だけど整った顔をしている、小さい顔だ。
温め終了の音楽が鳴り、レンジが止まると、まほろは弁当と湯を入れたカップスープ、ラーメンをリビングへと運んできた。お世辞にも豪華とは言えないが、まほろにとってはいつもの食事、自炊していたあおいにとっては、他人と食べる食事となった。二人にとっては、これが記念すべき、初めての一緒の晩御飯だった。
「ほら、スープ……インスタントだけど。火傷すんなよ」
「うん、有難う、高山」
スープを受け取る時、ぶかぶかのそでの隙間から小さな手を伸ばす。ほんの少し指先が触れた。まほろの手はゴツゴツしていて驚くほど熱い。
「頂きます」
「……いただきます」
まほろは早速、大盛りの唐揚げ弁当を豪快に掻きこみ始めた。ものすごい勢いだったが、実はその視線はワザとあおいから外すようにしていたのだ。
おにぎりを小さな口でそっと齧っているあおいの手つきが、いちいち「萌え袖」になっていて無防備の極みだったからだ。ドキドキが止まらない。
一方のあおいは、温かいスープをゆっくりと口に含んだ。ジワァッと身体に染み渡る温かさにようやく心の底からホッとできたような気がした。
(ふぅ……温かいな……美味しい)
誰かとこんなふうに晩御飯を食べたのはいつぶりだろうか。あおいはじっと弁当をかき込むまほろを見ていた。ふいにポツリと、話す。
「………高山、君って本当に美味しそうに食べるんだね」
「あ?腹減ってるんだから当たり前だろ?……なんなら唐揚げ一個やろうか?」
あおいは、微笑みながら首を振った。
「……お前は、もう少し太った方がいい。ちょっと細すぎ。ちゃんと食わねえと明日から動けなくなるぞ」
「……ふふっ……僕これでもさ、大食いだったんだぜ……」
「……」
そういって、まほろはバツが悪そうにふいっと視線を逸らした。照れ隠しに乱暴な口調になってはいるけれど、その耳の裏が真っ赤に染まっている。口にはご飯粒。あおいはそれを見て、思わずクスッと笑ってしまった。
ブカブカの袖で口元を隠しながら笑う姿は、まほろの理性をさらに削り取っていく。
キッチンにまともな調理器具さえない家。だけど、まほろの大きすぎるジャージとガバガバのトランクスに守られて、あおいとしての新しい、そしてまほろの理性にとっては、試練だらけの温かい日々が静かに始まろうとしていたのだった。




