4 すっぴんの美少女と男子生徒の名札
まほろはスポーツドリンクを握りしめたまま、ベッドの上で身を縮める美少女を、文字通り凝視していた。
薄暗い部屋の中、間接照明に照らされた彼女の顔は化粧っ気なんて微塵もない、完全なすっぴんだった。それなのに、濡れた長い黒髪から覗く顔立ちは、本当に整っていて、息を呑むほどに美しい。
しかし、まほろが本当に限界までパニックになった理由は、彼女の美しさだけではなかった。
本当は、濡れて倒れているあおいを発見した時、すぐに救急車を呼ぼうとした。しかし、まほろは気づいたのだ。彼女が身につけていた、泥で汚れた大きすぎるブレザー。その左胸には見慣れたプラスチックのプレートがしっかりとピンでとめられていたものを。
【水瀬 蒼 二年二組】
(ま、待て……落ち着け、俺……っ)
まほろは自分の頭を抱え、後退りした。
「なんで……なんでお前、ウチの学校の制服着てんだ?いや、それより、なんでその名札……あいつの『水瀬』の名札付けてんだよッ⁉」
水瀬 蒼なら、まほろだって知っている。同じ学年の隣の教室。いつも隅っこで気配を消している、地味で冴えなくて、誰とも群れない男子生徒だ。
そして……目の前にいるのは、乱暴に触れたら折れてしまいそうな、どう見ても最高にきれいな「女の子」なのに、ブレザーにはあの男子生徒の名前。ぶかぶかの制服。
(こいつはまさか……水瀬の妹か?いや、水瀬に妹なんて居たっけか?ていうか、何で男モンなんか着て……あ、もしかして、水瀬の奴にお前、何か酷いことされて服を奪い取られたとか……でも、おかしいよな……?)
パニックのあまり、最悪の事件性を疑ってオロオロと取り乱すまほろ。
オマケに携帯の充電も切れていた。ここの神社からだと、自宅のマンションは近い。
さんざん考えて出した結論が、自宅に連れ帰ることだった。
「水瀬……」
一方のあおいは、さらに激しく目を見開いた。高山の口から飛び出したのは、「水瀬」という自分の本名。
「……た、高山……」
あおいはガタガタと震えながら、泣いている。
以前の真帆路だったら、自分の名札を見たら「おい蒼、その格好マジ最高じゃん」の言葉とゲラゲラ笑いものにするか、面白がって髪を引っ張ってくるはずだ。中学生レベルの虐めが始まる。
なのに、今の目の前の高山まほろは、顔を真っ赤にし、本気でオロオロしながらスポーツドリンクをコップに注いでいる。
二人の思いが完全にすれ違ったまま、広すぎるマンションの中に、雨の音だけが大きく響いていた。
まほろは、ボトルのキャップを開けて、コップに注ぎ、あおいに手渡す。
「ほら、飲めよ。お前、ずっとうなされてたんだから、水分取らねえと死ぬぞ」
ぶっきらぼうだけど、そこには棘の一かけらもないまほろの言葉。あおいはコップを受け取り、震える唇をそっと近づけた。冷たい液体が、渇き切った喉を潤していく。ゴクリと喉が鳴るたびに、奪われていた体力が僅かに呼び戻されるような感覚があった。
少しだけ、息が整う。あおいは、コップを握りしめたまま、上目遣いで高山 まほろを強く睨みつけた。拒絶と、恐怖と、そして強烈な違和感を込めて。
「……なんで、どうして、君が、ここに居るの?……高山……だよね?」
「……それ……俺が聞きたいわ……」
あおいが小さな声で尋ねると、まほろは即座に質問を返した。
「……ここは、俺の家だし。お前があんなところで倒れていたし……そのまま、ほっとくわけにもいかなかったっつうか……」
まほろはバツが悪そうに頭を掻いた。
「俺の方こそ聞きたいよ。お前、何でうちの学校の、しかも水瀬の制服なんて着て、あんな雨の中で倒れてたんだよ。名札までご丁寧につけたままでさ。……なあ、お前、本当に水瀬とどういう関係なんだ?もしかして、アイツに無理やり連れまわされたかなにか……」
「違うっ!!」
あおいは声を荒らげた。しかし、細い声はがらんとした空間に弱弱しく響くだけだった。
心臓が早鐘を打つ。目の前の高山 まほろは僕の事を「水瀬 蒼」本人であるということに全く気付いていない。それどころか、地味で冴えない男子生徒であった僕(水瀬)がこの目の前の女の子に何か乱暴を働いたのではないかと本気で疑っているのだ。
(そんなわけがない。僕が、水瀬 蒼なんだ。君に蔑まれて、パシリをやって、都合よく使われていた水瀬 蒼なんだよ……!)
堂々と言いたかった。けれど、鏡に映る自分の姿は、どこからどう見ても完全な美少女だった。この姿で「僕が水瀬だ」と言ったところで、こいつ頭おかしいんじゃ……電波だろ?と疑われるか、最悪、家出人として警察行きだろう。
「違うよっ……。水瀬は……そんなことしない……」
あおいは必死に、自分(男の子だったころの蒼)を庇うような嘘を口にした。
「じゃあ、……なんでお前が、その『水瀬 葵』の服を着てんだよ?」
まほろは、怪訝そうに眉をひそめながらも、あおいの前にゆっくりと膝をついた。目線を合わせるように、絨毯の床に屈みこむ。いつもの真帆路なら、ぜったいにそんな風にはしない。泥で汚れた人間と同じ目線にたとうなんてしなかったはずだ。
「あのさ……お前さあ、まだ熱が高くて頭が回ってねえんだよ。言い訳なんて後でいいからさ、とにかく寝ろ。……服、同じガッコの女子の奴なら、昔うちのババァが置いてあった__」
まほろはそう言いかけてハッとした。




