22 「女子力高すぎだろ」
「ただいまー」
ガチャリと鍵が開く音とともに、梅雨の湿気をまとったまほろの声が玄関に響く。
「お帰りー、高山」
リビングから返ってきたのは、少し高くて、けれどすっかり聞き馴染んだあおいの声。
まほろが靴を脱いで一歩足を踏み入れたその瞬間、いつもはどこか殺風景だった一人暮らしのマンションの空気が、ガラリと変わっていることに気づく。
いつもなら、帰ってきても暗く静まり返って冷え切っている部屋。誰も待っていない部屋。
だが、今は、自分のジャージをぶかぶかに着こなしたあおいが、待ちかねたように迎えた。
「待つ人がいる家」という温かさは、まほろの寂しかった気持ちを無自覚なほどに満たしていた。
まほろが買ってきた弁当を、あおいがテーブルに並べた。
「……やっぱさ、今日もあいつ居なかったわ」
「ん?」
「水瀬 蒼、今日も居なかった……」
「そう……」
あおいは、自嘲気味に笑った。
「……同じだよ。前の僕も、そんなヤツだったから……。こっちでも全く同じなんだな……フフッ」
自嘲し、落ち込むあおいに、まほろは何も言わなかった。
「それより高山……お前、中間テストだろ?さっさと食べて続きやろうぜ」
「……お、おう」
二人は、黙ってモクモクとお弁当を食べる。
……それから、あおいは自分の寂しさを振り払うように立ち上がり、空になった容器を小さくまとめた。まほろはそんなあおいの健気な後姿を見て、(クソッ!本人はもっと辛いのに、俺がシャキッとしねえでどうすんよ)と、ダイニングテーブルに教科書とノートをバサッと広げた。
―――数時間後、ダイニングテーブル上は、惨憺たる状況になっていた。
「だからさ、高山!さっきから何回同じとこで間違えてんだよ!始点を揃えろって言ってんじゃんか!バカ!」
「頭では分かってんだよ!てか、問題文の文字が多すぎて……脳みそがゲシュタルト崩壊してんだよっ……チクショウッ!」
まほろの脳みそは完全にショート寸前だった。おまけに、あおいが無自覚にノートを覗き込んでくるものだからまほろには脳内の般若心経すら追い付かない限界状態だ。
大きく前を開いたジャージの襟元から覗く白い鎖骨、ふとした瞬間に近くから香る女の子の匂いのせいだ。
はぁー、とあおいがあきれたようにため息を吐き、椅子から立ち上がった。
「高山、ちょっと休憩しようか……」
あおいは冷蔵庫から取り出してテーブルの上にカップを二つ置いた。例の手作りプリンだった。
「え……?お前、これ……」
「あ、暇だったから冷蔵庫にあるもので作ったんだよ。勝手に使って悪かったな。グラニュー糖だから、甘みが足りねえかもしんねえけど……」
あおいは少し照れ臭そうに、へへへ……と、メンズジャージの長い袖で鼻の頭をこすった。まほろは呆然とカップを見つめる。コンビニ弁当の後に、こんな本格的な手作りデザートが出てくるなんて夢にも思わなかった。
「お前……女子力高すぎだろ……」
「バカ言え、趣味だよ!趣味っ」
そう言って、不機嫌そうにぶっきらぼうにスプーンを差し出すあおいは、中身は完全に男の「蒼」のはずなのに。
「おう……。じゃあ、遠慮なく」
まほろがスプーンですくい口に運ぶ。昔ながらの硬めのプリン。滑らかな舌触りと共にはちみつの優しい甘さと、ほろ苦いカラメルの香ばしさが口いっぱいに広がる。
「う……うっま。マジかよ……」
まほろが子供のように嬉しそうに目を輝かせると、あおいの胸の奥のモヤモヤがすうっと消えていくような気がした。
あおいはふっと柔らかく笑い、無自覚なほど自然に、ダイニングテーブルの上のノートをぐっと手元にひき寄せた。再び、あおいのまほろへの授業が始まったのだった。




