10 不在の証明と綺麗になった鳥かご 1
お 風呂から上がってきたあおい。長い髪の毛は、しっとりと濡れている。
「……お前、髪……髪っ!ドライヤーで乾かせっ!!」
「ええっ⁈……僕、やったことない。今まで、こんなに髪を伸ばしたことなんて、ないんだってば!」
「……は?何言ってんだ、お前?」
二人の間に電波な会話が続く。まほろのブカブカのジャージを着て、案の定、タオルでガシガシと乱暴に拭いただけのあおいのボサボサの長い髪。目の前の美少女が、また訳の分からないことを言いだした……。
はぁ~とため息を吐いてまほろは、タオル片手にドライヤーをかけはじめた。外見を気にしているのは、まほろのほうだ。
……そういや、シャンプーだって、男性用トニックシャンプーしかここにはないのだ。
「あー。ワリィな。リンスやコンディショナーみたいな気の利いたものねえわ」
「あ、え?……僕だってそんなの使ったことないよ?」
まほろは驚く。……なんなんだ、この女……。
「もう、いいから黙って座ってろ。ただでさえお前、体調悪いんだから」
あおいは「……ありがとう……」と小さく呟いて、チョコンと椅子に腰かけた。まほろはあおいの真後ろに立ち、ドライヤーのスイッチを入れた。ゴォォォォォ……という無機質な駆動音だけが、広いリビングに響き渡る。
まほろは自分の大きな左手で、あおいの黒髪を掬い上げ、右手で温風を当てる。ドライヤーの熱風に乗って、リビングにミントのシャンプーの匂いが広がる……と、何かが違う。
男性用トニックシャンプーの香りの奥から、じゅわりと、女の子の身体そのものが持つ本能を揺さぶるような甘い香りが混ざり合っている。
(……何だよ……これ。俺と同じシャンプーのはずだろ……⁉)
心臓がドクンと跳ねる。首筋に温風が当たるたびに、あおいは「くすぐったい……ふふっ……」と首をすくめる。ジャージの襟元が大きくはだけ、まだすこし上気した白いなだらかなうなじが、まほろの目の前にさらけ出された。
(……こいつ……喋り方は変だけど、やっぱ女の子なんだよな)
昼間、部屋に連れてきた時は、あまりの異常事態に頭の理解が追い付いていなかった。「僕は水瀬 蒼だ」と言い張る女の子。
だけど、この匂い。この髪の毛の柔らかさ、この華奢な背中。
触角と嗅覚が残粉ほどのリアリティを伴って、高山 まほろに現実を突き付けてくる。目の前にいるのは今にも壊れてしまいそうな非の打ち所のない「一人の美少女」なのだと。
「……高山……もういい?もう、終わった?」
ドライヤーを持って放心状態になっているまほろに気づき、不思議そうに声を掛けるあおい。ビクビクと相手の機嫌を伺うような、だけどどこか切ない上目遣いをしていた。
「あ、いや……何でもねえよ。ほら、さっさと俺の部屋行って寝ろ。俺は風呂入って来る」
まほろは慌ててドライヤーをコンセントから抜くと顔面の赤さを隠すように風呂場の脱衣所へと逃げ込んだ。すぐそばの洗面所の鏡に映る自分の見たこともないほど動揺した顔を見つめる。
指先にはまだあおいの髪の、あの信じられないほどの柔らかい感触が熱を持って残り続けている。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ……)
湯船に沈み、何とか平静を保とうとするまほろ……。
明日、学校へ行けば全てがハッキリする。同じ制服で……隣のクラスを覗けば、本物の水瀬 蒼がいつも通りにいるはずだ。そうすれば、ここに居る美少女は水瀬の制服をどうにかして手に入れた、「激ヤバ電波ちゃん」だと証明できる。きちんと彼女をしかるべき場所に帰すのだ。
(居ろよ、水瀬……いつも通りに明日教室で居るんだぞ……)




