#8.0 Side.深沢せな
『ねえ、仁城くん。お昼隣で食べてもいいかな?』
あの日、遠藤さんが飛び降りる前日。
その言葉を言えていたら、何かが変わっていただろうか。
私が声を掛けたのと同じくらいに堀岡くんたちも仁城くんをお昼ご飯に誘って、それで彼は私に気付くこともなく行ってしまった。
彼と私の接点はそれっきりだ。
―――三日前。
遠藤さんが学校の屋上から飛び降りた。
同じクラスだったこともなく、顔と名前は知っている程度。
まだホームルームも始まらないくらいの時間に妙に生々しい音が響いて、教室が静まり返ったのを覚えている。
下を確認してしまったのだろうか、いくつかの教室から悲鳴が響いて、今度は学校中が騒然となった。
そんな中、仁城くんは取り乱すでもなくただただ顔色を蒼白にしていた。
その様子が気に掛かりながらも、すぐに教室まで担任の篠原先生がやってきて、私の意識はそちらに向いた。
私たちの大いに動揺している様子を認めて、篠原先生が静かに話し始めたこと。
『席には戻らなくても構いません、その場で聞いて下さい。今、私から話せることはほとんどありませんが、それでも確実に分かっていることを伝えます』
救急車のサイレンが、遠くから聞こえた。
『遠藤亜美さんが、屋上から飛び降りました』
ひっ、と皆が息を詰まらせる。
『何故そうなってしまったのかは、まだわかりません。何か知っていることがあれば、社会科の倉木先生に話してみて下さい。倉木先生に話しにくいようなら、どの先生でも良いのでとにかく自分で抱え込まないように』
先生はどこまでも真面目で張り詰めた表情をしていて、これが現実なのだと訴えかけてくるようだった。
『自分の憶測を友だちに話したり、不安だからといってSNSで共有したりはしないで下さい。不安があれば必ず家族や、スクールカウンセラー――外部のカウンセラーでも良いのですが――に話すこと。そして、自分もそうですが辛そうな友だちがいたらその子に寄り添ってあげて下さい』
学校はなるべく早くに再開します、詳しい話はそのときに、と言って先生は話を締め括った。
『では、今日はくれぐれも寄り道などはせず、そのまま家に帰って下さい。友だちと居たければそれも止めませんが、必ず一度は家に帰って、家族に事情を伝えること』
そうして、数分を掛けてみんなが教室から出ていく中で、一人座ったままの仁城くんが先生に話し掛けられていた。
相当な小声で話しているようで、すぐ近くにいるのに何を話しているのかまでは聞こえてこなかった。
『せな、帰ろ?』
『もうみんな帰ったよ?』
『……うん』
幼馴染二人の声に私は頷いて、校舎の前に停まっている緊急車両にはあまり目を留めないよう、家に帰った。
ちょうど、私たちが教室を出たのに続くようにして仁城くんが篠原先生にどこかへ連れて行かれたことが、無性に不安を掻き立てた。
◆◆◆◆◆◆
桧山あさひ(愛称は“ひー”)、及川志摩(愛称は“しま”)の二人とは、幼稚園来の友だちだった。
いわゆる幼馴染で、家もごく近い場所にある。
先生に言われた通り一度家に戻った私たちは、いつもの放課後みたいに及川家に集まっていた。
だけど、私たち三人ともが普段通りの様子とはいかない。
特に落ち込んで見えるのは、ひーちゃんだった。
ひーちゃんは、普段はとっても元気で明るい子だ。
それが今は目に見えて消沈していて、普段を知っている私たちからするとその落差が痛々しい。
「ひー、その、辛いことあるんだったら、話してみた方が……いいんじゃないの? ほら、先生もそう言ってたし」
いつもはっきりとものを言うしまちゃんが珍しく、歯切れを悪くする。最後の方なんて、ほとんど聞こえないくらいの声になっていた。
自室のベッドに腰掛けて、所在なさげに手を合わせながらそれでも言ったのは、ひーちゃんが心配だったからだろう。
私も同じだった。
「ひーちゃん、えっと、何か落ち着く飲み物取ってこようか。しまちゃん、紅茶とかある?」
「あ、いや、それなら私が。ここ私の家だし」
「あっ、うん、そうだよね。……じゃあ、お願い」
「うん。ちょっと待ってて」
私たちが、かつてなくぎこちないそんな会話をしていると、ぷっ、と小さくひーちゃんが吹き出した。
「あはは、何だかいつもの二人じゃないみたい。……ごめんね、気を遣わせちゃって。私がこんなにどんよりしてるせいだよね」
そうじゃなくて、と言おうと思ったけど、やめた。
ひーちゃんが、また口を開いたからだ。
「あのね、私、亜美ちゃんと少し仲が良かった時期があって」
―――!
その言葉を聞いて、心臓が冷たくなった気がした。
亜美ちゃん。遠藤さんの、下の名前。
そう呼ぶほどに遠藤さんとひーちゃんに交流があったとは、私は知らなかった。
飲み物を取りに行こうと立ち上がったしまちゃんも、ひーちゃんの話を聞くためにまたベッドに腰を下ろす。
その驚いた顔を見るに、しまちゃんも二人の関係は知らなかったみたいだ。
「知らなかった、よね? 去年の……夏頃かな。割と趣味が合うなーって、気が付いたら結構仲良くなってたんだけど」
「去年の夏は……私とせなは部活がキツかった頃か」
そうだ。
弓道部に入っていた私たちは県大会に向けて練習中で、三人で遊ぶ時間はあんまりなかった頃。
「そうそう、それで、二人が部活頑張ってる間私も勉強頑張ろーってことで、夏休み中も学校の自習室通っててね」
「ああ、そうだったね。あの頃からひーには勉強で敵わなくなった」
「ふふ、うん……その自習室にいつも亜美ちゃんがいて。それから秋くらいまでは普通に友だちだったんだ」
仲が良かった時期があった、とか。
普通に友だちだった、とか。
ひーちゃんのそんな悲しい言葉が、この話の結末を示しているようだった。
「でも、秋になって、亜美ちゃんは私を避けるようになったんだ。学校の中だけじゃなくて、一緒に出掛ける約束もしなくなったし、メッセ送っても “ごめんなさい” とか、“その日は用事があるので” とかばっかりになって」
「……そっか」
声を震わせたひーちゃんの背中を、しまちゃんと二人でそっとさすってあげる。
「その時私、私が何かしちゃって嫌われちゃったんだと思ってた。だけど、私の何が悪かったのかも分からなくて、だんだん話し掛けなくなっちゃったの」
「そうだよね、誰だってそう思っちゃうよ、きっと」
今になって振り返らない限り、誰にも分からないだろう。
ひーちゃんは悪くない。そう伝えたいけど、どうしたら伝わるのかが私には分からなかった。
「亜美ちゃんがこんなことするくらい追い詰められてたなんて、私少しも気付けなかった」
「うん」
ひーちゃんは凄く明るい性格をしているけど、人の気持ちも痛いほどに分かってしまうような繊細さもある。
私としまちゃんがケンカしたときは、困ったひーちゃんが真っ先に泣き出してしまうくらい、純粋な子だった。
だから、きっと凄く辛い。
気付けるチャンスがあったのに、亜美ちゃんはそんなに追い詰められていたのに、私はどうして、って考えちゃうんだろう。
泣き叫ぶひーちゃんを二人で慰めて、時間が過ぎていった。
そして、少しひーちゃんも落ち着きを取り戻した頃、しまちゃんがぽつりと呟く。
「……でも、今の話。遠藤ってそんなに人付き合いなかったし、もしかしたら知ってるのってひーくらいなんじゃない?」
「……そうかも」
「……え? どういう……」
戸惑うひーちゃんに、私は説明した。
「ひーちゃんはほら、“秋になって避けられ始めた” んだよね? それってつまり、その頃の遠藤さんに何か、今に繋がっちゃうような出来事があったってことなんだろうけど、そんな時期まで知ってるのはひーちゃんしかいないんじゃないかって」
「……あ」
「その頃、遠藤がどんな様子だったかもっと思い出せれば、何か原因がわかるようなことがあるかもしれない」
私の話をしまちゃんが引き継ぐ。
そういうことだ。
「もちろん、思い出すのは辛いだろうけど……」
「ううん、思い出せない方が辛いよ。えっと、あの頃は……」
瞳に少し力の戻ったひーちゃんは、早速思い出そうとしているみたいだった。
しまちゃんは飲み物を取りに部屋を出て行き、私はその真剣な様子に下手に話し掛けるのもためらわれて所在なくひーちゃんを見守る。
「……あっ!」
しばらく経って、突然の大声にびくっ、と身体が跳ねた。
「ご、ごめんねせなちゃん。でも、思い出したよ。……これが今回のことに繋がるのかは分かんないけど……」
「少なくとも何かの糸口にはなるよ、たぶん」
「なに? 何か思い出したの?」
何かのハーブティー……匂いからして、カモミールティーを淹れてくれたらしいしまちゃんが部屋に戻ってきて、会話に交じる。
「うん、あのね、ちょうど同じ頃に、亜美ちゃんはよく堀岡くんたちと話すようになってたんだよ。あんまり性格合いそうになかったから、ちょっと不思議で。それで覚えてたの」
「堀岡たちって……」
しまちゃんは私と目を合わせた。
「確か、天川くんも堀岡くんのグループだったよね」
「そうそう、あいつ、何か知ってるんじゃない?」
天川くんは、同じ弓道部の部員だった。
性別は違うけどそれなりに人当たりもよく、受験年を迎えて退部するまでは仲良くしていた同級生。
「でもまあ、知ってたらあいつから話すでしょ。とりあえず私たちは今の話を学校に伝えよう」
「そうだね」
「えっ、私なんかの話をそんなすぐ言わなくても……」
よくない? とひーちゃんは消極的な様子だけど、しまちゃんの意志は固い。
私もしまちゃんに賛成だ。今のは結構大事な話だと思う。
「こういう情報は断片でもあった方が良いし、早ければ早いほど良いはずだよ」
そう言ってしまちゃんは鞄からスマホを取り出し、迷いなく学校に電話を繋げる。
「……あ、もしもし、三年二組の及川です。はい……はい、そうです。倉木先生いらっしゃいますか? あ、ありがとうございます」
「えぇー……行動が早すぎるよしまちゃん……」
「そんなことないって、ほら、お茶でも飲んで落ち着いてひーちゃん」
しまちゃんが淹れてくれたハーブティーをひーちゃんの前に差し出す。
ひーちゃんは納得いかない顔で、それでも一口飲むと少し顔を和らげた。
「あ、もしもし。お疲れ様です、三年二組の及川です。……ええ、私はたぶん大丈夫です、私が思う限り。それよりもひー、友だちの桧山が少し取り乱していて――」
「ちょ、ちょっとしまち――ムグッ!?」
恥ずかしがってスマホを取り上げようとしたひーちゃんの肩を抑えて、口にクッキーを突っ込んでおく。
しまちゃんのサムアップにはこちらもサムアップを返した。
「ええ、その桧山を落ち着かせていたときに出てきた話なんですけど、どうも遠藤の様子が去年の秋頃から変になっていたらしくて。……ええ、詳しくは桧山に聞いて下さい。今代わります」
「!? ……ごくん、はい、もしもし桧山です。あ、はい私も今はもう大丈夫です。はい、及川さんと、深沢さんにも話を聞いてもらって……はい、本当に」
慌てて口の中のお茶を飲み干したひーちゃんが電話を代わって、しまちゃんと私はのんびりお茶しながらその様子を眺める。
ひーちゃんがうらみがましそうな視線を向けるけど、クッキーがおいしい。
「ええ、そうです。それまではたまに一緒に出掛けたりもしてたんですけど、その頃からメッセージを送っても反応が薄くて、誘っても全く予定が合わなくて。……はい、急にです。特に私からは何もなかったと記憶しているんですけど、学校でも避けられるようになってしまって。……あのでも、普通に私のせいってこともあるかもしれなくて、ほんとに参考程度でお願いしたいんですけどっ……はい。わかりました。……あ、それとちょうどそのくらいの時に堀岡くんたちと仲が良くなったみたいで。その頃の話は堀岡くんたちのほうが詳しいかもしれないです。……はい、それでは……はい。失礼します。お疲れ様です」
「お茶美味しいよしまちゃん」
「そりゃよかった。ちなみにこのお茶請けは前にせなが持ってきてくれたやつね」
「あ、やっぱり。私の好みだと思ったんだ」
「ふっ、二人とも!?」
電話を終えたひーちゃんは、ちょっと怒った様子。
「ひどいよ! 私そっちのけでティータイムにしちゃって!」
あと紅茶とクッキーごちそうさま! と怒りながらも言ってくるひーちゃんはやっぱりひーちゃんだなと私は思った。
そして、しまちゃんはひーちゃんの抗議なんてどこ吹く風でまた別の電話を掛け始めている。
誰だろう……って、天川くんか。
「……あ、もしもし天川? うん、遠藤のことがあったでしょ? それで、去年の秋頃堀岡たちと遠藤が急に仲良くなったって話をいま友だちから聞いたんだけどね? ……うん? いや、友だちは友だちだよ」
天川くんが何を言ったのか、しまちゃんの顔が一気に冷たさを帯びた。
「それで、その話をいま学校にも伝えたからさ、もしかしたらそっちにも話が行くかも。……いや、それは知らないけど。……まあ、何かあるなら、自分から話した方がいいんじゃない? それだけ。じゃね」
冷淡な表情のまま電話を切ったしまちゃんに、ひーちゃんが恐る恐る問い掛ける。
「あの、しまちゃん、今の電話って……」
「疑ってるってこと? 天川くんのこと」
私も訊いた。
一応、部活仲間だったのに、と思ったから。
「天川、っていうか。……堀岡グループ、かな? なんか前から胡散臭かったんだよね」
それを聞いた私は平静じゃいられない。
「えっ、それじゃ仁城くんも!? ―――ってごめん何でもない! 何でもないから!」
失言だった。
私の言葉を聞いた途端におじさんくさい笑みを貼り付けてニヤニヤしだした二人を前に、そう悟る。
「んー、仁城くんは堀岡たちとは違うかなーって私は思ってるけど……それがどうかしたの?」
「へへ、せなちゃん。もう私らにはバレバレなんだよ? いやー、ここまでくると逆にこっちが照れくさいんだけど?」
「うう、う、うるさいよ!」
どもりながらも、でもまあとりあえずひーちゃんが元気になってくれて良かった、と安心する。
私たちはその後しばらくダラダラ過ごして、夕方にはそれぞれの家に帰っていった。
そして二日後、“迷宮” なんてものが世間を騒がせる中、学校が再開しても堀岡くんたちは登校してこなかった。
仁城くんも。
仁城亜紀が迷宮を攻略する二日前、堀岡グループの一人、天川弘が自白するに至った顛末でした。




