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現代日本に迷宮が出現したので  作者: nk
変わりゆく世界
9/12

#9.0


 市役所に迷宮発見の報告をするための準備に明け暮れて日曜日が終わり、月曜日。


 学校は既に再開していたけど、僕は父さんと普段着のまま市役所に向かっていた。


 最寄りの駅から歩くこと五分ほど。

 最近新しくなったという市庁舎を見上げながら、僕たちは中に入っていく。


「えっと……迷宮対策本部は十階だって。でもその前に三階の受付で入館証をもらわないと」


 父の案内に従ってエレベーターのボタンを押した。

 スーツも学生服も着ていないせいで中学生あたりの二人組にしか見えないのだろう、同乗した職員らしき人物からは怪訝な目で見られたけど、仕方ない。そういう遺伝子なのだと諦めている。

 これでも一応親子なんです。


 さて、今回の目的地は横浜市役所総務局の本会議室。


 そこが、市の設置した “迷宮” の対策本部だという。


「よし、行こうか」


 受付で手早く手続きを済ませた父とともにまたエレベーターに乗り、今度は十階へ向かう。


 エレベーターから出てすぐ『横浜市迷宮対策本部』の文字が見えて、その文字の並びの違和感に、僕は何だか諦めの笑いが漏れた。

 もう迷宮とやらは、こんな高いビルの十階にまで浸透している。『迷宮』という言葉とともに働かされている人たちがいる。

 そのことが奇妙といえば奇妙で、世界はたった数日で変わってしまったのだと、そう僕に実感させるようだった。





◇◇◇◇◇◇





「これ、免許証です」


 応接スペースにて、父はにこにこしながら担当者さんに運転免許証を差し出した。

 童顔で背の低い父が笑っていると、我が親ながら行儀の良い子どもにしか見えないのが不思議だ。

 真剣な顔であれば、大人の貫禄もあるものだけど。


「……お預かりします」


 髪をワックスでしっかり整えたその男性――安藤さんは『子どもから免許証を渡された』という事実誤認の処理に少し手間取ったものの、すぐに思い直す。


「ご住所はこちらに記載されているものからお変わりはないですか?」

「ええ、ありません。あ、それとこれ、迷宮を発見するまでの経緯をまとめた書類です」

「なるほど、ありがたいことです。……この場で拝見してもよろしいですか?」

「ええ、お願いします」

「では、拝見します」


 読み始めてすぐ、安藤さんの顔色が変わった。


「? これは……」


 その困惑した様子から、言われずとも分かる。

 たぶん、迷宮が『門』ではなく『鍵』だったと記されている(くだり)だろう。


 そして、読み進めるにつれてさらにその困惑の度合いが深まっていった。

 それはそうだろう。読めば読むほど常識外れなことしか書かれていないはずなのだから。


「……失礼ながら、確認させていただきたいのですが……これは、事実ですか?」


 安藤さんの言葉を意訳すれば、『嘘つくなよ』ということになるだろうか。

 父が目線を送ってきたので、代わりに僕が答える。


「そこに書いてあることに間違いはありません。僕が体験したそのままを記してあります」


 ――が、信じがたい事実であるのも確かです。と父が横から補足した。


「我が子のことながら、私も最初は信じられなかったもので、その証拠となるものを見せてもらいました――亜紀」

「……うん」


 こんな詐欺みたいな流れで本当にお役所の人に信じてもらえるのかな、と思いつつ、父に促された僕はその言葉を口に出す。


「――ステータス」

「なっ……!?」


 突如現れた青いパネルに驚き仰け反る安藤さんと、悪戯の成功した子どものようににやりと口端を吊り上げる父。


「これ、は……」


 安藤さんは呆然とした様子でふっ、ふっ、とステータス画面に手を透かした。

 いくら触っても他人にステータス画面を操作されることがないというのは父と妹によって実証済みであるから、いくらでも触ってくれて構わないのだけど……。


「……あの、安藤さん?」

「……へ? あ、ああ! 失礼しました!」


 とうとう実体のないステータス画面を手で貫いたまま放心してしまった安藤さんと、それをにこにこと眺めるだけの父を見かねて僕が声を掛ける。


「これが、この報告書類に書かれていた “ステータス” なのですね……。俄には信じがたいことですが、実物が目の前にある以上受け入れるほかありません、か」


 安藤さんは自分に言い聞かせるようにそう言った。


「……このことは私一人では対応しかねますので、私の上司をこの場に呼んでもよろしいでしょうか?」


 そうして、安藤さんの上司である伊堂さんも同じような反応を繰り返した段になって、ようやく話が進展する。







「では、この書類にある『魔法』というのも実在することはご確認済みである、と?」

「ええ、実際に使っているところを私も確認していますし、息子は動画も撮っていました。今ご覧になりますか? 何でしたら、実演という形でも構いませんが」


 父がさらりと言うと、安藤さんの方は少々躊躇したようだった。


「いやしかし、それは本当に『魔法』なんですよね? そんなものがこの世に実在しているということが既に受け入れがたく……いや、見たくないというわけでもありませんが、しかし気構えが必要といいますか……」


 対して、伊堂さんはもはや落ち着いた様子ですらある。


「安藤、それはこの世界に迷宮なんてものが生まれた時点で今更だよ。それよりも、実際に見せて頂くのであれば二度手間をとらせないように記録しておく必要があるだろう? 私の方で対策課の資料担当に声を掛けてくるから、安藤はお二人を職員会議室までお連れしろ。あそこで撮影したい」


 先程、ステータスに戸惑っていた様子からは一変して、テキパキと指示を出し、行動に迷いがない。

 物凄く適応力が高いというか、迷宮に実際に潜ったわけでもないだろうに数日でここまで順応できる人は中々珍しい気がする。


 それを考えたら、父も父なのだけど。あと妹の美紀も。

 魔法を見て驚くでも気味悪がるのでもなくはしゃいでいただけだったから。


「では、一旦失礼します」


 応接スペースからあっという間に立ち去ってしまった伊堂さんを呆けた顔で見送っていた安藤さんも、ものの数秒で気を取り直す。


「あの人はどうしてああなんだ……? ……あ、いや、お二人とも、失礼しました。慌ただしい話になってしまい申し訳ありませんが、職員会議室の方へご案内します。どうぞこちらへ」







 それからは思いの外、スムーズに事が進んだ。


 やはり、伊堂さんの段取りが良かったのだろう。


 数分もしないうちに機材が整って、僕が一度魔法を使って “転移” をして見せれば、それで終わりだった。

 後ろで大型のLEDタイマーが回り、ストロボライトを激しくたかれたのは流石に公の仕事だと思わされる。

 詳しい仕組みについても気になるそうだけど、それは今確かめることではない、という判断らしい。


 魔法を目にした安藤さんがまたショートして、伊堂さんは伊堂さんで少々興奮した様子ではあったけど、流れとしては極めて円滑だった。


 職員が迷宮の確認に向かう予定を擦り合わせ、迷宮内に入らないよう、などいくつかの注意を受けて一旦の手続きは終了。

 迷宮があるのを目にした通行者が敷地に侵入してくることも考えられるため、可能であればブルーシートなどで覆ってしまう応急処置が望ましい、とのことだった。


 かなり手慣れていると思ったけど、市内ではまだ二件目だという。

 まだそんなものか、と思うも、考えてみると市内で二件もあったことに驚いた。

 横浜市内でも既に二件報告されているのだから、日本全体では百件を超えるのではないか。


 そう思って訊いたところ、北海道から沖縄まで合わせてもまだ二十件にも届かないらしい。

 横浜市がたまたま多かっただけみたいだ。


「情けない話ですが……何分、世界を見渡しても前例のないお話でしたので今後どうなるかはご説明しかねるものでして……こちらの都合でご連絡申し上げることも多くなってしまうかと思います」

「それはもちろん。こちらとしても不安な点も多いので、密に連絡をいただけるならありがたい限りですよ」


 伊堂さんと安藤さんは綺麗なお辞儀で見送ってくれた。

 そうして、僕たちは本部を後にする。


 何だかんだでお昼になっていたので市庁舎の一階にある珈琲店で軽く食事を済ませ、寄り道もせず帰途についた。




「伊堂さんは、仕事バリバリタイプだったね」


 帰りの、朝に比べてガラガラになった電車の中、父がふと呟いた。


「そうだね、そんな感じだった」


 僕が印象を思い返しながら答えると、横からため息が聞こえる。


「あんな人が上司だったら……どうなってたかなー」

「それは……」


 昨日の夜、父から上司の話を聞いた。

 本当に会社を辞めるのか、それを確かめる途中で。


 何でも、とにかく人を貶めるのが好きな人間だったらしい。

 あまり詳しくは話してもらえなかったけど、人の努力を笑い、人の真面目さを笑い、人の失敗を笑う。

 そんな人間だったと。


「何もなくてもあと一月もすればこっちには戻ってくる予定だったんだ。で、またあの課長の下で働くのかって考えると、もううんざりでね」

「向こうではどうだったの?」

「出張先? あの人は良い人だったよ。直属の部下じゃないっていうのもあったんだろうけど、それでも丁寧で、ちゃんと仕事を見てくれる人だった」


 それもあって、考え直すには良い機会だったんだよ。

 父は窓の外をぼんやりと見つめながら、そう呟いた。


 ふいに大人びて、疲れたような顔の父の横顔を目にした僕は、曖昧に頷くことしかできない。


 この時の父の言葉が現実のものになるとは、まだ僕も、父でさえ、当然ながら思っていなかった。


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